ゴミ屋敷

 先日、京都市でゴミ屋敷のゴミ撤去を行政代執行で行ったとニュースで知った。
 「ごみ屋敷条例」なる条例を制定してまで行政が手続きを行わなければならない時代が来てしまったか、と嘆息したのだが、個人的なイメージに過ぎないが、「ゴミ屋敷って最近のことなの?」とか、どうしても思ってしまう。単純に学生時代にそういった事象に偶然にも遭遇しなかっただけなのかもしれないし、生まれが都会の住宅が密集する地域ではなく、農家が多い地域であったため、敷地にそれなりの余裕があれば、ゴミが公道にはみ出すなどの目に見える状態になりにくかっただけかもしれない。

 現在は、都会の住宅密集地に住んでいるせいか、近所(といっても自転車で10分ぐらい)にゴミ屋敷が存在する。
 毎年、12月の中旬になると、地元の有志の方と思わしき人(いつも見た感じ業者っぽくないので)が数日をかけてゴミを撤去しているのを見かける。
 が、残念ながら、年が明けた頃から公道にゴミが出始めるので、虚しさは半端ない。

 ゴミ屋敷のそばで暮らしたことがないので分かりづらいが、ゴキブリ、ドブネズミ、ダニなどの害獣、害虫や悪臭、放火の危険性などの問題が周辺住人を悩ませているという。
 同様の事例と結びつけていいかどうか分からないが、私の場合、隣の部屋に住人がやってきた翌日には必ずゴキブリの姿を見かける。『住人がやってきた』という表現には理由があって、隣の部屋はとある行為の時にしか使われておらず、通常は無人だからである。なぜそれが分かるかというと、壁が薄すぎるため、隣室の住人がトイレに移動する足音さえ意識するまでもなく聞こえるレベルだからである。また、彼/彼女らは非常に騒がしく、部屋で行為に及ぶ前の2、3時間ほどは、私がヘッドフォンで音楽を聞いていても聞こえるほどの大声で日本語ではない言語を繰り出している状況だ。ゴキブリに関しては、同じフロアの住人もかなりキレているようで、当の部屋に隣あう部屋(当の部屋から見て私の部屋の反対側の隣室)の住人が管理会社に文句をつけたらしく、○○号室の人から指摘があって、と、バルサンが2個各部屋に配られたことがあった。しかしながら、発生源が絶たれたわけではなく、自室のゴキブリを駆除してもどんどん侵入してくるため、その住人は退去してしまった。ちなみに、私は金がないので養生テープで徹底して目張りをして侵入を防ぐ方法を取ったため、先の隣の部屋に住人がやってきた翌日のみといったようなレベルにまで持ってくることができたのが現状である。

 あまりいい傾向ではないのだろうが、私自身、こういう問題にどちらかといえば消極的だ。相手に改善して欲しくないわけではないが、話して易々と理解してもらえるとも思えない。私が相手を納得させられる話術程度も持ち合わせていないこともあるが、論理的に説明して理解できるようなら、言われる前から問題があることに気づいているはずで、結局それを解決する意思がないと推測するからである。
 結果、できうる限り自衛を行い、こちらの心がポッキリ折れてしまう前にそれなりの最低限のガス抜きをすることしかないのかなぁ、と考えながら生きている。

学級崩壊

 学級崩壊か、家庭崩壊か、地域崩壊かを読みました。
 お子さまの学級崩壊、さぞや大変だったことと心中お察しします。
 私自身は、学生時代に見聞きした(自分のクラス以外)の学級崩壊しか直接的な経験がないのですが、少し感想を書かせていただきたいと思いました。

 『教え方が下手な先生は、学級崩壊を起こすそうだ。』。
 個人的には、合ってもいるし、合ってないとも言える気がします。
 もちろん、一般的に考えれば、合ってると思うのですが、例外もあるかな、と。
 私の大学時代の先輩に2人同年度に小学校教師になった人(仮にAさん、Bさんとします。)がいます。AさんBさんともに1年目から担任を任され、問題なく過ごせましたが、2年目にAさんは問題行動が多く学級崩壊寸前のクラスを任されたのですが、立て直しました。一方、Bさんは、問題のなかったクラスを学級崩壊させてしまいました。(なぜ知っているかというと、Aさんが受け持つクラスの教材作成の手伝いをさせられたときに聞いたからなんですが。)私自身、大学時代の彼女らの行動様式ぐらいしか把握していないため、実際の教育手法に問題点があるのかどうかは分からないのですが、Bさんが特に社会的に劣っているわけでもなく、また、初年度は問題なかったわけですから、常に学級崩壊を起こすわけではないということではないでしょうか。『戦略的に子どもらを動かす』『鋭い観察眼があり、的確な指示を与える』などの学級崩壊を立て直すほどの卓越した能力を持ち合わせなくとも、ある程度平均的な能力で学級崩壊を起こさないことも多いという意味で、私は教え方が子供に合わなかった先生(かなり先生寄りですが)という風に解釈していたりします。『1年生の時の担任が、教師としての能力も低くて、そもそもなんで採用されたのかというぐらい社会人としてダメ』なのはもとより論外ですが、個人的には、そんな人物を1年生の担任に据えるような学校運営自体に疑問を感じますし、教師の能力云々以前に組織として学級崩壊が起こるべくして起きた気さえします。

 (引用として)『学級崩壊を内部の目から書いたので、学級崩壊の原因は担任の先生の指導方法によるような書き方になったが、そうではない。』。
 私の周辺で起きた学級崩壊で一番の規模のものは、私が小学校3年のとき、1学年上のクラスが学級崩壊を起こし、学校側はさまざまな方法を取ったのですが、どうにもならず、結局学年全クラス替え、担任全替えを行ったことがありました。その後、私が高学年になって職員室で教頭先生と茶を飲みながら取り留めない話をしていたとき、教頭先生が当時の学級崩壊に触れ、「(教師や学校側が)保護者が協力してくれないと泣き言を言ってるうちは、まだ大丈夫。」ということをつぶやかれた時には、「ガキに向かってなんてビビらせることを言うかな。」と思ったものです。泣き言が出るぐらいなら逆にまだそれを改善するという手段が残されているということでしょう。学校職員、保護者、警察、地域住民ががんばって連携して取り組んでも、取り組まざるをえなくなっても、どうにもならないこともあるようです。また、学級崩壊にはならなかった事例ですが、私が小学校5年のときは、異常に特殊な教師(性格的にも立場としてゲフンゲフンなところも)であったため、学級崩壊を招きかねない2〜3人が不登校でした。とはいえ、私自身この年度の授業風景をひとかけらも思いおこすことができないので、忘れているだけで実質的に学級崩壊を起こしていたのかもしれません。
 結局、学級崩壊がさまざまな要因によって起こりうるし、また、学級崩壊の内容、状態もそれぞれ違ってくるのではないかと思います。引用元の方は、学級崩壊を複数回経験されているものの、一時が万事な結論であることは否めませんし、著者の『首をひねった。』『そもそも、親も、子どもも、住んでいる地域も、大変動したわけでもないのに、学級崩壊を起こし続けるってことがなかったのは、なぜなんだろう?』という感覚こそが、その証左ではないかと考えます。
 ただ、実情として、保護者側からは強権的な改善(例えば担任換えなど)が難しいこともあろうかと思います。逆も同じで、担任側が「俺は悪くない」と言い張っているような場合は別にして、本人が責任を取って担任をやめられない(退職すれば別ですが)のもあるでしょう。このため、クラス運営の体制を維持したまま、なにか追加措置で乗り切ろうと考えざるをえない。結果、根本的なところに即断で効果的な対応が打たれないまま、学級崩壊が長引くことになります。このような状況下では、保護者、子供、地域とがそこそこ良好な関係を築いていたとしても、次第に軋轢が生じてしまうため、引用元の方にとっては、教師以外の要因の割合が大きい、と感じてしまうのかもしれません。
 また、邪推の域を出ませんが、『昔からの住人が多いし、学校への関心も高いし、行事などへの参加率も高い。最初の学級崩壊の時には、学校を信頼しているからと親たちが静観していた』という表現から、管内で問題行動の起こりにくい、引いては学級崩壊が起こりにくい校区であると認識されている可能性もあります。この場合、学級崩壊や校内暴力、触法少年の多い校区の学校にこれらの問題に対応する能力の高い教師を集めますし、逆に問題行動の起こりにくい校区には、言い方は悪いですが能力の低い教師が割り当てられることになります。私の小学校は管内で下から数えた方が早いレベルだったため、結構暑苦しい教師が多かったですが、ある行事で他校の職員室にうかがった時、「なに、このほわほわっとした空気は!」と面食らった記憶があります。例えば警察署で言うと一課と警務課ぐらいな違い・・・分かりにくいですね、すみません。

 『あと、当時の校長先生が言っていたんだが、教え方が下手な先生は、学級崩壊を起こすそうだ。その理由といえば、「子どもたちがその先生についていくかを決めるのは、教え方がうまいかどうか。先生といちばん長く接する時間は、授業なんですから。その授業がつまらなかったら、子どもたちは言うこときかなくなりますよ。つまらなくて、つらいだけの時間を過ごさせる人なんて、好きになれないでしょう」』。
 著者の言うとおり、まとを得ていると思います。
 ただ、残念なのは、発言者が「校長」であることでしょうか。
 地域によるとは思いますが、学校管理規則から外れる発言ではないかと思います。
 『つまらなくて、つらいだけの時間を過ごさせ』たのは、紛うことなき校長が行った行為の結果なのですから、他人事のように口に出せる精神自体を私は疑います。
 学級崩壊後に赴任した方ならば、しかたがないとも思えますが、先の1年生の担任の任命の訝しさといい、かなりもやもやした気分になってしまいました。


 以上、乱筆乱文あいすみません。