昨日のWBS

 宇都宮市LRT整備が取り上げられていた。
 事業内容は宇都宮市HPを参照するとして、このLRT整備に関し、ネットワーク型コンパクトシティを標榜するといった発言が市長からあった。
 多分、国土交通省が推進するところの多極ネットワーク型コンパクトシティの一類型を指すのだと思われるが、宇都宮駅と宇都宮テクノポリスセンター周辺の工業団地とを結ぶ単線双方向でネットワークであるようには映らない。
 実際LRTは、市域およびその周辺市町村も含めた都市計画マスタープランとそれに伴う全体的な交通計画(ネットワーク)マスタープランの中の1つに過ぎないはずだが、新規建設予算の規模からLRTだけが悪目立ちする関係上、番組の時間的な制約もあってLRTの位置付けが説明されることはなかったのかもしれない。
 ただ、コンパクトシティを標榜するのであれば、特定拠点間の交通システムが致命的なアキレス腱になる状態に対し、新構造物、新設備を建設、導入することで解決するといった拡大型の都市運営ではなく、一端都市計画マスタープランまで立ち返って最善策を検討する必要はあるだろう。
 そもそもコンパクトシティの考え方に倣って産業や商業、居住などの都市機能を集約することで、拠点間の交通システムに障害が発生するのなら、本末転倒であると言われてもしかたがない気がする。
 副市長がBRTやモノレールを検討したがバスでは捌ききれないと強調していたが、できない、選択肢がないと強調すれば強調するほど当該交通路線に対する不安定さや危機感、都市計画そのものに対する不信感を強調しているようでならない。
 現状そうなんだから対策打つしかないでしょう、と開き直られればそれまでだが、少なくとも公営組織である以上、なぜ捌ききれないほど集中するのかということに対しての説明責任を果たす必要はあると思う。
 あと、立場の問題もあるかも知れないが、LRT整備室長の「道路を沢山作っても(渋滞や交通量の逼迫を)解消できない」という道路計画屋全否定な発言は公組織の計画屋の意識レベルとしていかがなものかと思う。
 芳賀・宇都宮基幹公共交通検討委員会の議事資料から見るに、H4のパーソントリップ調査をもとにLRTの需要予測をしているので、この際の調査結果から、どんな道路を作っても交通需要を御しきれないという検討結果がもたらされているのかもしれないが、これも公開はされていないので、部外者には裏づけがとれない。
 さらに、現時点でも生活渋滞が激しい道路においてLRTを整備するため、宇都宮市HPの「新交通システムについてQアンドA」内に、「(LRTを導入すると)自動車の車線を規制することになりますので、事前に市民の方々にお知らせし、混雑をしないようにしなければなりません。」と書いていることとの不整合を考えると、LRTありきでLRTでなければならない根拠を後付けしたと勘ぐられてもしかたがないかもしれない。
 副市長の「朝の時間に集中」という発言から考えると長期的な負債を抱えることになるハード対策ではなくまずは交通需要マネジメントの点からソフト面での対策を考える必要があるはずだが、ソフト面での対策(例えば、時間限定のバス専用レーンなど)は万策尽きた状態であるがゆえに高額な予算をもってしてもLRTを整備する必要があるという切実さが宇都宮市HPの先の文面からは読み取れない。現状でも渋滞が問題視される状況で車線を潰しても市民の気持ちのやりくりで渋滞が緩和する程度のレベルならLRT導入以外の選択肢もあるのではと不信感を抱かれる芽になりかねないと思う。
 また、当初の建設費を国土交通省によるLRT推進の観点から国から助成が得られることを市長が説明していたが、数十秒程度の簡単な説明では困難なためすっとばした可能性はあるものの、宇都宮市HPの「うつのみやのまちづくり」内に『本市が将来にわたり、持続的に発展していくためには、長期的視点のもと、都市空間そのもののあり方を見直していく』とあるように、作れば終わり、地方債が償還できたら終わりではなく、長期的に維持運営されることを想定したアセットマネジメントを考慮する必要があるだろう。
 中核市であることなどを考慮すれば、その程度のことを既に実施していそうだが、HP上にはそのような情報は掲載されていない。
 想像の域を出ないが、取材の原点がコンパクトシティの旗手ともてはやされている富山市富山ライトレールが、予算における地方債の比率の上昇で喘ぎ、補助金なしでは実質赤字である現実を踏まえた上で、新たに同じ方向性を打ち出そうとする宇都宮市がどう動こうとしているかを探ることにあったのではないかと考えたりした。そして、放送する段において、その取材方針の先鋭性を番組構成のレベルで薄めたため、行政執行者側の発言が辛辣な返しっぽかったりとか、出典は明記しているがこっそり富山ライトレールを赤字扱いしていたり、富山市が「赤字の路線を抱えています」というぼやかした表現になっていたりするような隠し玉が転がった素材になったのではないかと思った。
 というように、公共事業計画、公共工事、公共サービスとしての一般的なプロセスに則っていそうでところどころほころびがありそうで、かつそれに対する情報集約がされていなかったり、そもそも開示されていなかったり(法的には市民にのみ開示すればよいのだと思うが、補助金という形で国費が使われる以上、市外の国民にも開示する道義的責務を追っているとは思う。)するという、思った以上に意識レベルが低い状態(作為をもって低い状態を維持しているとするならもはや救いようがなく論外だが)にあると思う。
 そのような中で、反対派の話題も番組内で挿入されていたのだが、反対派のチラシがLRT路面電車という扱いだった。
 細かい話で言うと、LRT路面電車の明確な定義とその違いについて国内で定められているわけでもなく、LRT路面電車としても完全に間違いであるとも言い切れないのだが、ここでは、用語の定義ではなく、LRT計画に対して懐疑的な層に対してでさえ「LRTというのは、みなさんのよく知っている路面電車ですよ。」と表現しないことには、計画されている事物をイメージすることが困難であると反対派が考えているということではないかと感じたからである。
 宇都宮市HPでもLRTに関する出前講座を開催する等の表記が見られるが、構想、計画レベルでの住民のコンセンサスや認識レベルがどの程度か現地住民でないため身をもって知覚することはできないとはいえ、今の段階で市民にとって「LRTがなんなのか?」という部分に疑問符がつく意識レベルであるとするならかなり危険な状況であるかもしれない。

 と、書いてはみたが、個人的にLRT計画そのものに賛成するわけでもなく反対するわけでもない。
 当事者双方が多数決という形ではなく、双方歩みより納得できる落としどころを模索できているかどうかで良いか悪いかは決まってくるものだと思う。
 当事者として最も影響の大きい行政側と市民とが理解しあう努力をしたという証拠と検証に値すべき結果(公共事業として一般的に成果が見込まれることが確認されているために実施されている各プロセスに伴う結果)をないがしろにすると、後から「○○してなかった」「○○だと思わなかった」などと借金という汚物を撒き散らしながら悪者探しに駆けずり回らなければならないことになる可能性が高いのではないか、そう思うだけである。