増田ネタ

 増田の『「デッサンが狂ってる」という言葉を使う人間はもれなく絵の素人』について感想を書いてみたい。
 まず、この記事自体が釣りなのかどうかであるが、、、どうなんだろう。
 釣りでないことを断定できる要素も感覚的にあまりない(というか、匿名で真実であることを証明する方が難しいのであたりまえだが)し、逆に釣りである可能性の方を指摘できなくもない。
 特に、デッサンに対する説明が美術高校、美大予備校、美大とその行為だけでなく理論や歴史やその行為に連なる芸術性についても叩き込まれているはずの人物から吐露する言葉としては、あまりに表面的な手法をなぞった言語変換であるようにしかみえないため、読んでいて不穏に感じた。
 とはいえ、それを考察しても結論は出ないので、とりあえずここは、釣りであるかどうかは置いといて、単純に「デッサンが狂ってる」という言葉がどういうことなのかを考えてみることにする。
 個人的な経験で言うと、かなり古い話ではあるが、高校(普通科)の時代の美術部で「デッサンが狂ってる」という言葉に始めて出くわしたように思う。
 そして「デッサンが狂ってる」という言葉が意味するのは、油絵やデザイン画の完成作品を制作する以前にデッサンの練習からやり直せ!ということであり、その裏にはデッサン力がないことを小手先の表面的な技術で覆い隠そうとする制作者のただれた精神を糾弾するマイナスの意味が背景にあるようにも思えた。
 ただ、なぜこのような「デッサン力が足りないために作品を評価するにあたらないということ」を表現するために「狂っている」という言葉をあてるのか、そのときにちゃんと聞いておけばよかった、と今回の件で後悔したりした。
 想像でこじつけるとするなら、作品をより良いものにするための制作者における構成要素の一つであるデッサン力やそれを高める手法の一つであるデッサンという行為、もしくは適切な指導や気付きを踏まえた上での繰り返しの訓練ができていないこと、さらにそのできていないことを別の小手先の方法で対処しようとするおよそ一般的な作品制作のプロセスにおいて間違っていること、およびそれに対して発語者における憤怒の感情があいまって、侮蔑を付加した変化を伴う言語行為が行われた結果のように思える。
 ただ、昨今の自称意識高い系による、その作品のどこに問題があるのか分からないが、何となく「ヘン」に思えるので、かっこよく表現するために「デッサンが狂ってる」というフレーズをあてるのは、標準的な中等教育レベルの知識においては、「そっかぁー、うんうん」と何となく納得して(正確にはだまされて)しまいかねないかもしれないし、美術系の教育を受けてきた者にとっては、字面からは理解不能な表現であると思うのも難くない。
 ただ、『自分に何か悪影響があるわけでもなく』と表現している間違えた言語表現を単純に廃棄する形でのエラー処理をしていいものかということには疑問を感じる。
 著者が、一般消費者を相手にする商業系のデザイナーや絵描き系の職種を選択するつもりであるのか、芸術家に評価されやがてその仲間になることを目指す芸術家を目指すのかによって変わるとは思うが、こと前者の場合は、著者の言う「素人」が自らの作品をどう思うかが自らの職業における評価になることを考えると、「素人」の何となく「ヘン」に思える領域を自らの高度な知識と経験で導き出す必要がある。
 昨今の美術界隈の教育現場では、指導方法におけるテクニカルな部分がかなり深化しており、ン十年前のセンスだのエモーショナルだの一辺倒の世界ではなくなっているという話を耳にするが、著者の講師・教授の指導方法に対する表現(具体的にかつポイントにしぼって詳細に説明し、より効果的かつ効率的に結果が出せる指導を行っている例)を見るに付け、著者がその教育手法の現状をよく体現しているようにも思うし、悪く言えば、それを当たり前のものとして甘受しすぎているようにも思う。
 これは、対面しているとまず言えない(逆に対面していないから書けるともいう)話題の1つで、自分で考える癖をつけろ、というジャンルになるのだが、大概、この手の話を振ったときには、烈火のごとくに反抗されるオチが待ち受けているものだったりする。
 しかしながら、一生被教育者として学校に残り続けるわけにもいかないので、自らよりも素養のない者からの的確でない指摘に対し、それを自身で分析してより良いものに昇華する能力もその美術系で培った能力で口に糊するつもりであれば、必要になってくるかもしれない。
 そういう意味で、将来の進路においては上述の「悪影響」は著者が他を寄せ付けないほどの稀有なギフテッドである場合を除き「ある」と考えてもいいように思う。
 ただ、それを本人が「悪影響」とみなすかどうかというのも議論の余地があるため、「疑問」という表現をしてみたのだが、一部で有名になった「上級国民」という立ち位置を嘱望するならば、そもそも影響されることはなく、逆に影響されないことに疑問を持った時点で「上級国民」への道は閉ざされてしまうことだろう。
 とはいえ、「正規の美術界隈の人間」と「それ以外の人間」から、相互に「可哀想に、物を知らないんだな」と失笑し続けることで、それぞれが存続し得るのならばそれはそれでどうでもいいことなのだろう。それでいいんじゃないか。
 と同じような終わらせ方をしてみる。