特別お題「青春の一冊」 with P+D MAGAZINE

 青春時代に突入する中学時代以降にかけて読書などより優先せざるをえないという、とてもまともとは言いがたい事項が存在する状況だったため、実際のところ一番読書していたのは小学生のころだった。
 そんな数少ない青春時代の読書の中で、エピソードとともに思い出すことが可能な「青春の一冊」としては、アルビン・トフラーの「第三の波」ぐらいである。
 この本は、東京←→高知のフェリー航路で読んだものである。
 東京←→高知航路は既にないはずなので想像しづらいと思うが、狭い雑魚寝領域が与えられた客室で東京高知間を20時間ほどで結ぶ船便である。
 外洋航路なので、時化て酔ったりしても到着するまで降りられない言うなればバクチであった。
 本を選んだ理由は、身軽さを優先し何冊も持ち歩きたくなかったため、単純に文字がぎっしり詰まっていて厚みがあればよかったわけだが、なぜ、よりによってこの本を選んだのかはよく覚えていない。
 さて、このときの東京←→高知のフェリー航路では、波もなく至って穏やかで揺れが少なく快適であった。
 ただし、甲板に出ると船が進んでいるため当然風はきつい。
 さらに、内陸と違って空気が澄んでいるため、水平線まで見渡せるが、それよりも日光が拡散しないために露出した肌がどんどん焼けていくのを体感できることが何より問題である。
 我慢して景色を眺めていても360°海しか見えず、その変化のなさにすぐに飽きてしまう。
 というわけで、携帯ゲーム機などの遊具を持っていない私にとっては、当初から想定された貴重なアイテムだったわけである。
 乗り合わせた全く面識のない子と「だるまさんが転んだ」をしたり、休憩室のようなところで見ず知らずの人とだべったり(今思えばゆるい世界だった)して気分転換しながらも、結局2回ほどループして読んだと思う。
 当時、普通の小説と違って読み返すことができることが助かったと思った記憶がある。
 で、読後ウン十年(それほどでもないか)になった現在、はたして第三の波は来たのだろうか。
 プロシューマー(producer+consumer)を生むかにみえて、技能を求めないlaborであるとともに情報の洪水に押し流されるconsumer(れいばしゅーまーとか語呂悪すぎ)が生まれ、富も知も偏在し、それでいてグローバル化の名のもとに歴史や文化を排除した均質化の圧力が発生する状況は第三の波への過渡期なのか、トフラーの予言を逆手に取った既得権益者層の叛逆なのか、もう一度「第三の波」を紐解いてみたい気がする。

 せっかくなので、誰か外洋航路に乗せて下さい。
 そのとき読みます。