解決策を提示しない方向性

 増田ネタ。
 「学校はFAXを廃止してください」ということだが、端的にその内容を書くと今時小学校の欠席届をFAXで送れるかボケ!という話である。
 で、まぁ、コメや別増田等で技術的な話はかなり出尽くしているように思うので特に書くこともない。
 ということで、実際に全く無意味な役に立たないことを以下、書こうとしている。



 で。
 私が小学校の頃は、電話連絡で良かった。
 はずである。
 というのも、そもそも保護者が学校が開いて誰かいる時間にすでに勤務時間に突入しているようなケースがそれなりにあった(さらに携帯などない時代だし)ため、当初、朝に電話連絡をして欲しい、というのが原則のはずが、電話連絡ができないという親の一部が地元の有力者を通じて学校に圧力をかけたらしく、めでたくグダグダになっていたように思う。
 とはいえ、全校生徒が千人未満の小学校だったため、当時は職員室にある黒板の1面を使ってクラス別に事前連絡者の氏名と担任が欠席者の氏名を書き込んで突合せを行い、連絡がない者に手が空いた教員が連絡していた(とはいえ、およそ冬の風邪でそれなりに休む者が増える時期は教頭(今の副校長)ががんばって電話していた)というシステムが構築されていた。
 で、なぜそんなことを知っているかというと、教室の後ろ側にある予定表みたいなものと似て非なるものがあったので何をしているのか聞いてみたところ、仕組みも含めて教えてもらえた、という顛末による。
 なので、実態としては無理を通すとするならどんな形態でもよいということに近かったのだと思う。
 多分欠席する生徒の保護者が近所の子に託したのではないかと思われるメモがその黒板に磁石で止めてあるなんてこともあったりと、考えようによってはアナログならではのプロセスがバラバラだろうが最終的に統一的な目的を満たせばよいという融通性、悪くいえばガバガバなシステムで運用されていたように思う。
 そんな時代から、何がどう変わっていったのかは分からないが、中途半端かつ幾分エラーが混入された状態で、手順書化や共通化、電子化を伴う効率化が行われたっぽい結果として、「FAXのみ」というようなシステムが稼動し続けているのだろうと思われる。
 教員をしている(もしくは、いた、既に)知人と話していると思うのは、当人が気付いている場合とそうでない場合もあるのだが、手順書は法のような一定の規律を定義し原則不可侵であると思い込んでいるがゆえに、より良い手順、方法を排除することが容易になっていること、義務教育における指定された教育機関といった品質向上に動機が働く構造にはほぼない組織においてはその需給する/される成果品、サービスの品質を規定する力関係から学校側の独りよがりの共通化がなされやすく、またそのニーズとのずれを需給関係での弱者側にしわ寄せが行きやすいこと、電子化することが目的となり、電子化によって保護者側を効率化せしめるという目的がおざなりにされ、またそれに気付き改善する動機が乏しいことが挙げられるように思う。
 ただ、実態として、先のとおり、認知していようとしていまいと一個人としてできることとできないことというのは、多分一般企業と比して少ないのだろうとも思う。
 それがいいことかどうかは別だが。

 さて、コメ等でも指摘されているとおり、FAXというのは、最終形態が紙であるという最終的な使用者からすれば完全なアナログデバイスである。
 そもそも戦前に写真を別の場所に送るために使われていたわけで、飛行機や汽車で運ぶよりほかなかった時代からすれば、唯一無比の存在だったであろうと思う。
 しかしながら、現在では、同様の機能を満たす技術、技術的デバイス、手法が複数存在し、それゆえ増田の言うように『20世紀においていくもののはず』だとも言える。
 が、あくまで、その「存在」は、当該人物、組織等が目的を満たすものとして用いることができ、実際に扱うことができ、維持することができるかによって抹殺されるかどうかが変わってくるということだろうと思われる。
 結局のところ、想像の域は出ないが、あくまで紙管理という前提は覆らないとして、FAXの代替になるデバイスが扱えないとか予算がつかないとか技術的な練度の低さからデバイス自体を維持できないなどの問題によって「存在」していないことにされているため、未だにFAXが唯一の機能を満たすデバイスであるということのようにも感じる。
 増田が、BPRといったような領域を少しでも経験しているのかどうか判断できないが、『この世からFAXを消し去ってください』ということがはたして所定の機能を維持する上で建設的な発言であるのかどうかは私にはよく分からない。
 ただ、個人的には、「腐った腕を切り落としても腕は生えてこない」というのと同じで、なくなれば当該機能が整流化されるべくシステムなりプロセスなり資源なりが組替えられるのかというと、必ずしもそうではないのではないか、と底辺で蠢いている者からすれば感じてしまう。(上級な領域では大概そうなるという人もいるので限定してみた)
 とはいえ、解決手法は別にしてこれまで増田のような疑問を感じていながらも誰も声をあげず、愚痴っても学校側(特にシステムを構築する権能を持つ職責の者)に届いていなかっただけで、ちょろっと世話話レベルで言っただけで簡単に解決する話かもしれないし、逆に、FAX買って当然じゃ、クソして寝ろ、学校にケチつけるとはいい度胸やの、などと烈火の如く猛り狂うのかは、全く分からないわけだが。

 で、私が周囲の教員(特に小学校)の人に聞こうと思っていながら放置していたものの1つが問題になっている気がするのだが、欠席を連絡帳に書いて誰かに託すというシステムが基本というのは、学校側の生徒の出欠に関するエビデンスの1つとしてどういった扱いをしているのか、ということがある。
 そもそも担任が出欠の○×が確定的に入力できればよいだけならば、担任にメールすることでも事足りる。
 まぁ、そもそも先の事項がエビデンスであるのかどうか、それが法的な拘束力を持つものなのか、市町村レベルの権能でどうにかなっているのか、学校ごとの権能でどうにかなっているのか、何も決まっていないのかは調べがついていないのでどういった機能が「満たされなければならない」のか分からず、どうもこうもない。
 ただ、少なくとも増田の小学校はエビデンスとして厳格であろうし(翌日シュレッダーにかけていたり裏をメモ帳に使っているなら別だが)、連絡帳でのみ欠席連絡をすればよいのであれば、それが学校側のエビデンスであるという認識ではなく、長期欠席やニグレクトに対する自助的抑止力として機能させるためのシステムを学校側が運用しているという実績ぐらいにしか機能していない(あくまで、欠席事由の管理という意味だけに絞った話で、それ以外の意味はここでは除く)ことになるのだろう。




 で。
 とりあえず、誰も書いてなさそうなので書いてみる。
 先の欠席連絡の方法に圧力をかけたっぽいという話が当時噂に出たときに、とある保護者(まぁ、誰とは言わんが)が最低なことを言っていた。
「じゃあ、休まなきゃいいのに。」
 私は小学生ながら、こいつマジクソだな、と心底思った(まぁ、マジなんてことばなかった気もするが、意味としてはそんな感じ)が、およそそのブーメランが刺さるのは当人ではなくその子供だったりする。
 とにかく、増田が増田の子供ともども円満な解決が図られることを願ってやまない。