昨日のWBS

 あくまで感覚的な話ではあるのだが、ここのところの企業不正、不祥事の原因が高い目標の設定にあるという結論づけ方をしているように感じられる。
 トップニュースの商工中金も同様で、類似の事例として東芝、フジゼロックスが挙げられていた。
 ここで個人的に訝しいと感じるのは、2点ある。
 まず、高い目標の設定をしていない企業というものが市井にどの程度存在するのか?というところである。
 「高い」のレベルも様々ではあろうが、多かれ少なかれ設定されているはずで、逆によほどとんでもなくひどい対応をしない限り自動的に達成されてしまうような安易な目標が設定されている企業は少なかろうと思われる。
 高度成長期ならいざ知らず、もうかってそうな企業の三番煎じ、四番煎じでさえ中長期的に安定して会社運営ができるほどの十年単位とかで継続したボリューム(正しくはおこぼれ)が見込める市場が見当たらない現在において、企業を維持する最低限度のためでさえ、そこそこのレベルの目標を設定せざるを得ないのが実情ではないかと思う。
 経験上、中には金銭的なからくりから逆算した目標が低い(ただし、現場からすれば実力との乖離が大きいため、相対的に高くはある)とか、事業収束用の子会社(最近は抱え込まずに外部委託することも多い)のように目標というよりは条件設定に近いものであることもなくはないが、多分、こういうのは例外として扱っていいようには思うので。
 で、この部分に関しては、過去に何度も書いているが、失敗事例の共通点を探したときに、失敗事例に見つかった共通点が失敗事例以外にも多く存在すれば、失敗の原因として存在させるには根拠が乏しい、ということにはなろうかと思う。
 2つめ。
 では、問題が起きた企業が高い目標を設定せずにより一段と低い目標を設定するとか、もういっそ目標など設定しなければ不正や不祥事が起きなかったのか、という点。
 非常に短期的な観点から考えれば、目標が一切設定されず、売れそうならば売ればよく、できそうなら技術的な何かをやってみればいいというのであれば、作業者、担当者などへの一定の方向性を持った心理的圧力による数値の改竄やシステムの悪用、裏マニュアル的な二重化は起こらないとは思われる。
 ここで、高い目標を設定しないことのみでそれは達成できるわけではなく、高い目標を設定しそれを遂行せしめんがために設定された様々な制度やプロセスなどもすべて取り去る必要はあろうかと思うが。
 とはいうものの、それらを維持した状態で企業という組織が存続し得るわけでもなく、先述のとおり、企業が存続するために最低限度の状態から逆算した目標は設定せざるを得ない。
 ひどい話、それでもなお設定しないならば、社会的な作用として、その企業に属する者が出勤したら入り口が閉まっていて、そっけない紙切れが張られているということにしかならないように思う。
 また、この「最低限度」というのもクセモノで、某領域の「生活」が具体的にどのようなものがどうであれば下限かという話で紛糾するのと同じで、「企業の存続」も例えば2度目の不渡りで当座取引を停止されることで芋づる式に法的問題を連鎖的に抱え込むようなレベル(一応倒産する/しないという表現で分けるにはある意味どんな状態でも倒産できるというのもあるので)か、ブランドなどの有形無形の企業価値が維持されるのがそうなのかという位置関係の捉え方で変わってくるわけで、最低限度の姿から逆算した目標が設定されたとしても、それ自体が必ずしも高くないとはいえないのも事実ではある。
 基本的に逆算して求められる目標があまりに現実的でない場合は、根本的にビジネスモデル、もしくは組織運営のモデルとして成立し得ないと私は思っているのだが、それに対する保護回路とか危険な状況でも無理やり維持するようなシステムが存在する関係上、高くても別にええか、ですませている気もしなくはない。
 と、多分、簡単な問題ではないのだとは思うが、何というか、目標が高いと不正が起こる、といってもらえた方が、視聴者として気持ち的に楽になるというところなのかなぁ、と考えることで気持ち的な落としどころとしたい。
 現場としても目標がないならないほうが楽だし。