今週のお題「テスト」

 私が学生のころは「詰め込み」の時代だったので、最近の「テスト」のイメージとは離れるのかも知れないが、「テスト」といった学生時代において勉強をすることへの理由付けになってしまうものが嫌いだった。
 正確には、「テスト」という時期と形態と数値的結果を非常に簡単に認知できるシステムによって、他者(特に両親)から勉強させられる恰好の理由付けにされることが嫌だったのだと思う。
 形式的な学歴という意味では、両親ともFランの私よりさらに低学歴だったわけで、今思えば、少なくとも学生時代に勉強することにどのような意味があるのか、という答えは自ら明らかになっているわけではなく、どちらかといえば伝聞を鵜呑みにして、先の「理由付け」を探した結果、「テスト」をそういった扱いとして利用していたのだとは思う。
 そういった意味では、「テスト」の点がよく取れた時期は、風の音だったから「ああ、よかった」で済ませられるが、取れなかったらオバケがくるので逃げ回らなければならない、そういう位置付けにしか私の中ではならなかった、そのように思う。
 要は「テスト」が自らの本質的動機付けにはなっていなかった、ということになる。

 お題の説明に『テスト勉強は、一夜漬け派?それともコツコツ派?』とあるのだが、私のような者がはたしているのかどうか分からないが、いうなればダラダラ派だった。
 深夜ラジオが隆盛を誇っていたころ、ラジオを聞きながら勉強することをナガラ派、ナガラ族などと呼ばれていたが、これをそれよりも古い者はダラダラやっていると映ったという状態を年代的に想像するかもしれないが、そうではない。
 ダラダラなのは単にダラダラなのである。
 寝るまで教科書を開いていたり問題集を解いていたりするが、目的意識が希薄なためにほとんど何も頭に残ってはいない。
 およそそれなりの監視下で、今のように情報が豊富ではない時代であったことから、結局は目的となっているのは、就寝までの時間が尽きることのようなものだったと思う。
 それでも、繰り返しの回数でそれなりに表面的に取り繕うことができる時期は、成り行き上テストの点はいいという理由付けにできるのだが、それにも限界がある、というだけだったようである。

 いずれにせよ、もとからアホという結果をもたらすべく自らが行動してきたわりには、「テスト」というシステムにおける数値としての結果は違った傾向を示すもので、先述および過去にも書いたが、多分自らの答案用紙へのアウトプットとあらかじめ設定された正答が最も一致していたのは中3あたりなんだと思う。
 とはいえ、実のところ、これも過去に書いたが小5で足元を掬われた(というかねじ切られたに近い)関係上、いつそのありがたい「テスト」での順位が維持されなくなるのか、ピークアウトを起こすのかをいつもビクビクしていたわけだが、何のことはない、高校でそれは現実となる。
 で、その顛末は省略するとして、とりあえずテスト欠席者を除く最低点とかを何度かたたき出したりする関係上、当然赤点(当時はちゃんと手書きで赤ボールペンを使って数字が記入されていた)も増えることとなる。
 おかげで、これまた何度か追試を受けるわけだが、ひどい時は追試の方が点数が低くなり、採点中の段階で呼び出され説教を食らったあと、追追試を2、3人で受けたなんてこともあった。
 追追試中、先生が「ほとんどが1回目のテスト問題と同じだぞ?頼むぞ?」と何度も祈るように繰り返していたのを今更ながら思い出す。
 昨今、アニメや漫画でテストと追試が同じ中身なのに点数が取れないってどうなんだ!的なキャラの低能さを際立たせるシチュエーションに対して、現実にはそんなのねーよ!と言われたりするが、私のころには少なからずあったので、ねーよ!と喝破できるレベルでそういった状況に置かれたことがない、それよりも相当下のレベルなんだ、と理解した方がいいのかもしれない。
 認知されないように原則的に秘匿され、認知したところであまり意味がない領域という意味で、下には下がいる、そういうことでもある。
 それにしても、県内一の進学校の教師にそういったことを言わせるのもかなり極悪な生徒だったのだと、あまり考えたくはないのだが、そういうことだったのだと思う。
 当時の先生は、もうあっちに行ってしまっている可能性は高いが、謝りたい。
 そして、そこから改心するわけでもなく、ひとかどの人間になるどころでもないことも謝りたい。
 もはや過ぎた話だけども。

 『大人になって取得した資格』はいくつかあるが、その段階で「テスト」という目標が存在する流れ自体に拒否反応ができてしまったため、あまり受けていない。
 それでも歳をつみ重ねれば何個かは持ててしまう、というか持つように強制されるわけだが。
 言い訳に過ぎないが、今となっては、これも「テスト」が何のためにあるのか?というところにあるのだと思う。
 それは、直接的には資格を持つことであるとは思うが、資格を持つこと自体が重要なのではなくて、それから先の目的なり目標なりが自らに備わっていなければ、資格取得が趣味である者でないかぎり意味がないどころか、資格者としての適切性すら疑うべきところではないかと思ったりするわけで、まぁ、なんだ、言い訳はこの程度にしておく。
 というのも、過去にかなり難しい資格試験で科目合格していながら、もういいやっていった友人がいて、いやいやそんな大層なものなのに最後までいったらいいんちゃうの?というと、1コト。
 貧乏性やねぇ。(苦笑)
 といわれたことがあって、そのときはたと気づいたのは、自らが常に「資格」というステータスだけを見て、「資格者」として何を為すのか、という部分を見ていないからよどみなくそういうことが口に出せるようになっているんだろうなぁ、と悔いたことを思い出したので、その戒めのため(いや、言い訳なので戒めになってないし)に書いてみた。



 テスト、嫌い。
 って、・・・・・あいかわらず、嫌いなもの多いなぁ。