たこではなくなった

 さらに昨日の続き。
 現場至上主義の記事を書いた記者と同じ方が「現場頼み限界 綻ぶ日本の製造業 問われる経営力 (10/15 日本経済新聞)」という記事を載せているようである。
 私以外にも読んでいて疑問点が発生してしまうことを指摘した者がいたのか、事件の進展によって再度推敲した段階で大幅に改稿した結果かは分からないが、少なくとも私には疑問点を解消してくれて、かつ理解しやすいものになったように感じた。
 まず、現場至上主義という表現は消え、神鋼に関しては『頼みは現場のがんばり』、日産に関しては工場同士を競争させる『「強い現場」に頼る』という表現で同じ現場主義という考えから生まれた構造であったとしても区別して認知可能になったと思える。
 たこつぼという表現も消えた。
 昨日書いたとおりたこつぼということばに多くの付加的概念をぶら下げすぎて、そのことばを用いた者が持っていきたいネガティブ結論にかかる要素(いわゆる原因だとか改善すべき問題点)と受け取る側のことばに対するイメージが乖離するもしくはぼやけすぎて1対1でかみ合わないという意味では、『市場が成熟するなかで少しでもコストを削ろうとするあまり、現場の社員を不正に動かす芽が生じる。強い力を持ち、本社の目が行き届かない現場はブラックボックス化。自らが所属する組織を優先する縦割りも常態化した。管理が行き届かないなかでいつの間にか一線を越えてしまう。』と大きく紙面を用いるというあたかも非効率的な手法を用いてでもたこつぼとかセクショナリズムとか大きな意味では組織構造論とか組織社会学の中のどこの何かを明確化したほうが私のようなバカには文章の先が見えやすい気がした。
 バカかどうかは置いておいたとしても、企業や組織に内在するよくない点が存在しないという可能性があるとは経験上思っていないし、多分可能性はないのだろうけども、よくない点があったからといって必ずしもその全てが手が後ろに回る事態を引き起こすこともなければ、そういった事態に内在するよくない点すべてが同量質かつ等距離で影響するわけではない(これも経験則だが)こと、および時代としてあらゆる視点から見た上でのよい点が見つけにくく、見つかっても永続的ではなく、それでいてよくない点はがんばらなくてもすぐ目に付き、がんばってもなかなか消えず永続的になりがちで、相対的に多くなる認知(よくない方が同じ個数でも目立つというバイアスもなくはないが)を考慮すると、「よくないことはこれ」といっても「どれ?」となる可能性が高く、「よくないことの中でも大ボスはこれ」という形の方が分かりやすい社会環境なのかなぁ、とかいう気もした。
 ただ、未だに分からないのは、先の説明で現段階の神鋼の事案については説明ができそう(個人的には、情報が下から上がっていて取締役会で認知されていながら早急に公開に踏み切っていないこと、過年の神鋼鋼線ステンレスが起こした改ざんによるJIS規格外品出荷を受けて全カンパニーを対象に調査ができなかったことを悔いる発言などからみるに、最終的には単純化できる問題ではない気もするのだが)なのだが、日産についてははたしてそうなんだろうかというところだったりする。
 日産に関しては、改革着手時のゴーン氏のやり方が、クロスファンクションのような当時の組織構造からすれば、たこにとってたこつぼの機能をすべて無効化するような擾乱がひきおこされたんじゃないかと当時思っていたりしたので、そういう意味で、その嵐のあともたこつぼが温存され恒常的に広い範囲で存在したという事実を受け入れがたく、逆に受け入れるためにはあの程度のクロスファンクションのやり方では甘いということか、また恐ろしい想像をすると、あそこまでやってもたこつぼが現存してしまったという事実からすれば、可能性として別のたこつぼもあるんじゃないか(いわゆる黒いのが1匹いれば云々というやつ)という考えに至ると、怖くてしょうがなかったりするので。
 というか、ただの思考停止なのだけれども。
 あと、新たなテクノロジーの導入という表現は消え、一事例として『工場のIT(情報技術)化』を提示し、さらに『現場の力に頼るだけでなく、経営トップが変革の道筋を示して投資を実行することで実現した』という条件により、単にIT化したで、IoT機器を親会社から押し付けられたんでそこらへんに置いてみたよといったインフラ面の話ではなく、戦略が存在した上でそれに適合した用いられ方をしなければ意味がない、ということを示すものであろうと思う。
 昔、とある製造現場の者が、先進国の経済援助で後進国において井戸を掘りポンプを設置するも、技術者が帰ったあとはポンプをばらして金属を売っぱらったという話をバカ扱いで笑って語ってくれたことがあるが、この者が自らの知見に余るインフラやシステムに触れたときに見せたアレルギー様の保守的反応を鑑みれば、相対的位置関係が違うだけで行動原理は同じであって、笑い話ではないように感じたものである。
 はたして新入社員教育の机上での講義やロールプレイングで教わるものか、義務教育レベルでの工場見学や職場見学などでおぼろげながらにも概略を認知するものかは分からないが、そもそもテクノロジーとかその1要素である技術とか手法というものが、作業者であったり見学者にとってその一視点、一視線、自身の周囲の認知可能な環境、事物でもってその企業という単位、または原料から販売現場に至る流れでの製品に対してテクノロジーがどのように適用されているかは、厳密には認知することはほぼ不可能だと思われる。
 個人的に、それを厳密に認知することが重要なわけではなくて、認知できていない何かが存在するはずとしてそれを埋めるべく考察し、情報交換し、より適切な形として認知できるように行動することが必要なんじゃないかなぁ、という感覚があるかどうかが、同一のインフラが投入されてもその実効性が異なる一因となっているようには思う。
 こういった領域になるとテクノロジーとはなにかとかいう個人の哲学的なものになりかねないので終わり。

 で。
 結局、一連の記事は、どちらかといえば不正をどう扱いどう考え今後防ぐのかという話というよりは、組織として構造的な限界に達し、最も構造的に弱いところが不正という破壊現象として露見したという考えに基づいていると考えた方がよさそうという気がする。
 確かに、露見した問題点を考察するにあたって、水を溜めておくコップに穴が開いてしまって水漏れがし出した、として、プラスチック素材の場合穴を埋めクラックを塞げば元どおり機能すると考えていいかもしれないが、それが複層のヤシ繊維でてきていますとか言い出すと、補修するよりいっそ別の容器に替えない?とか嘆息してしまいそうになるのはよくあることだが、そういう喜劇は、個人的に三流企業の専売特許だと思っていたわけで、大企業がそれだとちょっとなぁ、考えたくないなぁと、とか、なかなか気持ちが追いつかないというかそこを原因にしたくないというか。
 それはそれとして、わるもの探しという意味とは少しはなれて『神鋼の業績は2017年3月期まで2期連続の最終赤字に沈む。川崎博也会長兼社長は自動車の軽量化で需要が増えるアルミで大増産の号令をかけた。だが工場の負担を緩和するような生産システムの導入はほとんどなく、頼みは現場のがんばりだった。』という箇所を読んでいて、SWOT分析の見落としを逆からたどる失礼ながら恰好な事例ではないかとか思ったりした。
 そもそも下世話な話SWOT分析をしなければならないのは今よりもうけたいがためであるため、かなり昔は現状分析で終わってしまっていたりというちゃんと使えていない事例が報告されたりしていたものだが、感覚的に最近では、参考書も格段に増えたり社会的にこなれてきた関係からか初期段階でのつまずきというのは少なくなったように思う。
 とはいえ、もうけたい!というはやる気持ちを押さえることができないがために、可視化するためのツールであるにもかかわらず、無意識に自らの導きたい結論になるように重み付けをしてしまったりすることで、適切な解が導かれていないというケースも多く見られるように思う。
 とりあえず、アルミに関して勝手にSWOTを埋めていくと、
 S 他社にない素材における先進技術とその製造技術・設備を保有すること
 W グループ全体としてカネがない
 O 液晶とか在庫調整にグズついているが今、車はいける、どんどん仕事とるで!
 T 地金価格(??? ここはよく分からない)
みたいなものだろうか。
 たとえば、ここでクロスSWOTを考えると、最重要視されるSOでは、どんどん提案、ガンガン製造、他者に付け入る隙をあたえるな、という感じになるだろうし、STでは技術によって今後付加価値を生む領域なのでグループの中から選抜した、選抜したのでがんばれってことだし、WOはカネないから取れる仕事は取ってかんとダメじゃん?、WTは最悪どうしようもなくなったら切り飛ばしてもええか、ということになる。
 高度成長期によくある、とにかくイケイケや!うまくいったらその先はあとからなんとでもなる!という感覚で時系列を捉えると、とにかく仕事を取って納めてあとはそれからどうにかするという構造でもってなにふりかまわない仕事の回し方を頭に描いて事業の方向性をSWOTで検証しても齟齬がなさそうに見えるという心理学的な問題ともいえる。
 実のところ、冷静に第三者がみれば実行に際していかなるリスクが存在し、それに手を打つかどうかを考察するプロセスは至極当然な道筋であろうかとは思うのだが、思った以上に現場ではその道がカネのために血走った眼では見えないことも多い様である。
 不謹慎ながら、不正を経営が認知した際のSWOTとして、Tを不正に置き換えてみてその心理的変化と行動原理を見つめてみるのも1つの方法なのかもしれない。