いつもの当たらない予想

 年末の今年の漢字の予想を懲りずにやってみる。
 で、いつもながら1字というところから、名詞、というか名詞として機能するようなもの(実際、そういう選ばれ方をしていない年もなくはないのだが)をイメージすると、思いつくのが、ミサイルとファーストだったりして漢字と違うじゃん!とか笑えてくる。
 適切なイメージが想起できないのはいつものことなので、そこから漢字に置き換えてしっくりきそうなものがないかとか、さらに連想して結び付けられないかとか、いろいろこねくりまわしてみた結果、さすがにミサイルからは何も思いつかなかったのだが、とりあえず、ファーストは安直に「一」というところに脳内で落ち着いてしまった。

 で、個人的に「ファースト」ということばの具体例として想起できるものというのは3つあって、まずは国内ではないが、トランプ大統領にみる「アメリカファースト」、2つめに政治団体としてのそれとそこから派生した「○○ファースト」という事物の扱い方、3つめは蹴り飛ばすことである。
 以下、それらについて少し触れたい。

 「アメリカファースト」というのが、何がどうファーストなのかは、自国民でさえない者にとってはよく分からないところなのだが、過去にも記事にしたとおり、単純なグローバリズムへの叛逆であるとか、保護主義と同義語として扱うのが適切だとは思えないところがあろうかと考える。
 その部分を書くのはもう面倒なので端折るとして、ぶっちゃけ、言語として単独で序数の概念を明確に分離して歴史を積み上げてきた者のいうことが理解できると思う方がおこがましいということでもういいじゃん、って気もしてくる。
 また、国家間の関係性という点からアメリカに非常に偏った位置である国に生き続けて、たとえ序列を客観的に把握できる数値なり資料なりがあったとしても、それ自身に意味がなく、意識的に目をそらし続けることが生きやすさであるがゆえに、そういった属性に該当する私には適切な判断はさらに難しいと思える。
 そもそも教科書的知識として、ソ連(革命直後あたりを除く)なんかより、アメリカの方が政策の一部、もしくは政治的判断の一部においてよほどコスモポリタニズムとかスープラナショナリズムでも標榜しているかのような行動を取っているかに見えて、かたや独歩的な一国行動主義があったり自前主義的な行動があったりするわけで、そういった面でも理屈として分からないといえば分からない。(考え方に自由度があるということでいいんかな、と納得していたりはするのだが。個人的に、)
 ただ、いずれにせよ「ファースト」であるのは「アメリカ」であることに違いはないわけで、それをどう捉えるか、というある意味哲学的と言われかねない「私」とはどうあらねばならないか、とか「ヒト」とは云々みたいな領域をその対象に対して自然と無意識に理解できる状態でなければ、適切な解はないってことなのかもしれない。
 国内で同じようなことをすると、すわ国粋主義(特にとある領域で扱われる狭義の思想体系)とかいったりいわれたりしかねないが、多分、そういうところもひっくるめて判断するとなると、もう判断すること自体が嫌になってきて、ある意味当事者でなくてよかったとか思えるレベルだったりする。
 とはいえ、いずれにせよ、これは大統領という簡単に言えば「できることが多い」ことに起因する国外でさえ判断材料がふんだんに提供されることによって、あーでもない、こーでもないとくだがまけるだけで、そうでなさそうな場合もある。

 というフリを入れて、2つめ。
 政治団体のそれは、これまた当事者でないので分からないわけだが、ここで言えば、1つめよりはより序数としての意味が強くなっている気がする。
 一応、考え方としては、「ファースト」を「第一主義」と置き換えをすると、ことばのイメージとして分かると思うが、非常に厳格で表現として硬く、それでいて序数を明確に「第」で指示する形態から他を意識付けさせ、それとの違いを鮮明化させるに至ると考えたゆえの選択ではないのかなぁ、と勝手に考えていた。
 要は、柔らかく、それでいて「もやっと」した表現にしたかったという感じかと。
 いずれにせよ、団体名の「○○」というのは、「○○」を他のいずれのものよりも優先する/した/される/されたというのも事実ではあるが、実質的に政治的構造から考えて、そのパワーバランスにおける序数でもある(一応、義務教育レベルの話としては議会制民主主義として同値扱いではあるが)ということもあろうかと思う。
 某氏の「ファーストじゃなくてラスト」という発言は、氏の行動からみれば言いえて妙だなぁ、とか納得したりもしたのだが、当然、それがそのとおりになるとも限らないし、そういう世界であるといえる。
 ただ、個人的に当事者でないがゆえの感覚かも知れないが、その後の顛末として、「○○」が「○○」を「ファースト」だと思っていたものと実態とが特段合致しているようにも見えなくなってしまったかなぁ、と。
 あくまで、当事者ではないので、当事者にとって合致しているのであれば、いらぬ心配余計なお世話に過ぎないのだけれど。

 で、その政治団体の勝利という縁起を担いだのかどうかは不明だが、これまた意識高い系の者たちが「○○ファースト」というフレーズを使い始めた気がするのだが、次第に「第一」とか「最優先」という置き換えで意味が通じると思える領域から、段々「○○好き」とか「○○推し」といった意味合いの極めて主観的な思考から発生した個人的思いとして置換した方がよほど理解しやすいというところまで来ている気はする。
 そういう意味で、多分、ここは「一」とはズレてしまうのだが。

 最後3つめ。
 特になし。(以前書いたし)
 でも、まぁ、「一」だわな。





 ということで、ごく時事的な意味で「七」にします。
 羽生先生すごすぎ。

昨日のWBS

 こちらもいつもの日経MJによるヒット商品番付
 とはいえ、時事的に今年横綱にランク付けされるのはあまりうれしくないだろうなぁ、何といっても書類そ「わーわー、それいったらダメー、それダメー」と私はかぶせたりしたが、まぁ、ある意味いずれも他人ごとといえば他人ごとではある。
 個人的には、GINZA SIXが来なかったなぁ、というのが感慨深いというか。
 もう、箱全体をヒットとして扱ってもらいにくくなったということかなぁ、という気もする。
 逆に、「アマゾン・エフェクト」とか「睡眠負債商品」とか「AbemaTV番組」とか1点ものではなくて同列の関連するものをいっしょくたにして表現したり、影響や派生したところをひっくるめて表現していたりするのも項目として目立ったので、ヒット商品ではなくて当初から設定されたヒットのまとまりというよりは結果から抽出したあとからまとめたヒット商品群というものになりかかっている気はするが。
 特に「外食値上げ・スーパー値下げ」とかになってくると、現象そのものよりもその2つをセットにした意図が番付作出者になければ成立しないわけで。
 というか、「外食値上げ・スーパー値下げ」という定型句がヒットしたというわけではないはず(今、ググってのヒットは1件だけなので)で、要はヒットがない、という状況から無理やりひねり出した、ということなのかもしれない。
 あと、消費に結びついていないということか、消費として扱う気がそもそもないのか、将棋とビットコインには触れられていないのも興味深いかと。
 書籍という媒体の関係上、あまりに流動的だったり、ある程度沈静化してしまうと記事にしづらいということかもしれないが。

 で。
 解説の市川氏の『中途半端なものではなくて、価値の高いものに適正な値段をつけるか、普及品を安く売るか、そのどちらかの覚悟を決めたものがヒットする』というコメントからグダグダ書いていたのだが、面倒になったので削除。
 一応、氏のいう『ポストデフレ』という世界とはどんなものかを書きたかったんだが、誰か書くだろうし、何なら氏自身が書きそうなのでおわる。

 で、一応、「ザ・チョコレート」と「クラフトボス」は実際触れたので今年はミッションクリアということで。
 来年はどうかなぁ。