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流行

 OODAっての流行ってるんかな。
 というのも日経の記事を読んでいて思ったので。
 あんまり有料記事をどうとかいう自分の中での縛りもあったりはするんだけど、今回はまぁいいか、とか。
 個人的には、これを有料で読ませたらあかんでしょって気もするけど、まぁそれもそれということで。(世の中色々だし)
 およそPDCAモデルという巨人をこき下ろそうとする記事というのはその多くが冷静さを欠いている気がする(それは単純な知識的浅慮だけではなく半ば詐欺的なもの(オカルト的と表現するのが適切か?)もあるだろうし紙面的に表現しきれないようなケースも含まれる)ので、そう思うなら読まなければいいんだけども、記事を開いてしまった自らの浅慮さも含めて書き残しておくべきことなんかなぁ、とか言い訳をしてみたりするわけだが。
 それにしても、OODAって検索するとPDCAをこき下ろすツールって感じのあおりがかなり出てくるんで、最近の前線の人にとってはよく耳にする内容なのかもしれない。(もうすっかり離れたので正直よくわかんない)
 個人的にOODAってのの認識は過去にも書いたかもしれないけども認知→判断→操作という自動車教習などで出てくる行動モデルに似たものだったんだけども、別もんなんか?と思ってWikiを読んだら同じものだった。
 やはり世の中はどんどん進化しているらしい。

で。
『一般に経営者が経営計画づくりで頼りにするのは過去のデータだが、「そこからでは意味のある未来予測はできない」という。重要なのは現在起きていることであり、「そこに突然変異的な出来事が存在することがわかれば目をつぶらずに真剣に未来への影響を考えること」だそうだ。』なんだけども、AIの世界では著名な矢野和男氏の話を引用しているっぽいのだが、ぶつ切り過ぎてすわ昨今の偏向的な編集かと見まがいそう。
 氏の一貫したAIに対する考え方は激しく雑に書くと過去に起こったことからよさそうなのを「選ぶ」ためのものじゃないというものな気がしているんだが、詳しくは私も知らんので他に譲るとして。
 ここで変だなと感じるのは、文系理系で分けるのもどうかとは思うけども、観念的というか哲学的にみても今現在とは何で過去とは何か、とある瞬間認知した現在はすでに過去であるみたいな、そして科学的にみた場合でも氏が矛盾する話をするとは思えないことかと。
 いずれにしても、最近のOODAは氏の考え方が容易に組み込みやすい構造になっているのかどうかは分からないけども、個人的には毛色の違うものなんじゃないのかなぁとか思った。
 その直後が『なぜ過去に意味がないかといえば、終わってしまって情報としての価値を損なったのに加え、企業のデータ解析では、時々表れる突然変異的事象を除外することが一般的だからだ。PDCAを回そうにも計画の前提から貴重な情報が消えているわけだ。』となっていて、PDCAをこき下ろしてからOODAという真のヒーローを持ってくる筋書きには不可欠だったのだろうけども、とりあえず、先の内容と照らし合わせるとして、
 a)AIでいう突然変異と著者が思っている外れ値とか異常値的なものって同じなの?
 b)少なくとも前世紀ではPDCAでも外れ値とか異常値的なものは認知はしてたけど、最近は問答無用に消すの?
という点で、なんか雲行きが怪しくなってくる。
 『だが、ウイルスとの闘いや経営の現場では世界が逆転する。起きていることの中には過去データをあたっても把握できないことが多数存在し、危機の予測や事態の打開に貴重な示唆を与えてくれる情報が多くなる。』も現在と過去という認識論からするともはや意味不明に思える。
 少なくとも情報になった時点で過去のデータ類に他ならない。
 『海外企業はその点どうだろう。米国のGAFAなどシリコンバレー企業で見かけるのはOODAループという手法だ。OODAとはオブザーブ、オリエント、ディサイド、アクト(観察、適応、決定、行動)の略で、状況をまず見るところから始まる点でPDCAより進化しているようにも見える。』とここでOODAが登場するんだけど、『状況をまず見るところから始まる』ことが最近のOODAは進化系らしいですよ・・・・ってマジか。
 軽くググった感じからすればOODAってかなりもてはやされているっぽいのにそんなのが理由ってないでしょ、もったいぶって隠してないで出しなさいよ、ほら、って思った。
 あ、でも、一度技連のコーチとかつけてQCサークルでもやったらちゃんとした文章が書けたんじゃないかな、という気もした。