学級崩壊 その2

 著者様が連投されていたので、それに甘えて私も感想を連投してみます。
 今回は、こちら( Pick me up! Pick me up!

 まず、前回の記事について『ブコメで「親がなにか言ったんじゃね」という意見も多かった』とありますが、例え今回の事案が事実無根であるとしても、さもありなん、という気がします。前回も触れましたが、学級崩壊は1日だけとかいうイベント的な状況ではありません。状況が長引けば長引くほど各関係者たちは疲弊し、疑心暗鬼となり、ひとこと「どこかの親がなにか言ったんじゃね?」などと噂になれば手がつけられなくなるでしょう。たぶん、コメントされた方は、そういう状況を経験されたのではないかと推測します。まさか「私が(or私の親が)モンペですが、何か?」という人がコメントされていないと信じたいですが。

 『この「1年生で学級崩壊」ということを教育関係の人に話すと、「聞いたことない」と笑われる。』。
 この件についても前回若干触れましたが、新卒の場合は、まず1年生を担当することはありません。3、4年を担当することが定石なのだそうです。聞いた話ばかりで申し訳ないのですが、3、4年が、1、2年のように大人の論理で御しきれるはずもない年齢層でもなく、5、6年の思春期に突入する年齢層でもない比較的安定した時期だからだそうです。結果、1、2年および5、6年はそれぞれそういう層に優れた才能を持つ教師が配属されるはずです。よって、『「聞いたことない」』という発言が生まれるのではないでしょうか。新任校長が勤務数年の教師を配置してしまって「本人の資質が充分に把握できてなかった、ごめん。」というならまだ弁解の余地もありますが。こういう意味で、私は、当該教師が1年の担任になったこと自体に一段と不信感を抱いています。ただ、校長も神ではないので、コネ以外にも、社会人からの転職という観点から、○○制度の広告塔扱いだったとか、『同僚や上司の助けをことごとく断って、「ぼくはぼく流でやりますから」』という観点から、かなり憚られる話云々の方なのではないか(云々の方はこれと全く同じことを言うといったいわゆる偏狭的なクラスの私物化の話を複数の教師から聞いたので)とか、様々な高次のしがらみがあったのかもしれません。ただ、そういう分析ができたところで、学級崩壊が起こっている状態では、ほとんど意味はないですけども。

 『「あなたたちが、もっと、先生の話を聞いてくれれば、楽しいクラスになったのに」と終業式に、子どもらに捨てセリフを吐いて、別の学校に去っていった。』。
 なつかしいなぁ。ほぼ一言一句違わないほどの内容を私は中2のころに聞きました。
 学級崩壊ではなく、いわゆる特定教科での授業崩壊をさせた先生だったのですが、全校生徒の前での転任の挨拶でかまされ唖然としたものです。

 『例えば、発達障害の子も、放置されているわけではなく、家では対処法を親が身に着けているから、普通に暮らせていても、慣れない学校では問題が噴き上がるんじゃなかろうか。』。
 これには、同感です。事前に就学前検診したり、担任同士が学級経営をクロスチェックしたり、「こういうことがもし起こったらこう対応しよう」とか「ある状況になったら複数の教師がこういう体制で対応しよう」とかシミュレーションしたりして、過去に多く見られたADHDやLDによる学級崩壊は改善されつつあります。また、『「学習法」や「学級経営」については、現場の先生たちは熱心に研究している』とあるとおり、起きにくい体制が構築されつつあると思います。結局、そういった手法や体制を反故にする一部の者によって学級崩壊が起きている可能性が高いのですが、この場合は保護者のレベルではかなり自衛は難しいのが現実ではないかと思います。

 『だから、むしろいい子と言うか、学校が好きだし、学ぶことが嫌いじゃない子たちの方が、崩壊させるコアになっていたのかもね。』。
 小学校と中学校、学級崩壊と授業崩壊とはかなり毛色が違うとは思いますが、中2のとき授業崩壊を起こした首謀者3名は、①中3の途中で行方不明。卒業式にも出ず。②中2、中3に複数回の傷害事件で少年院に。③高校にいけなかったが、その後奮起して大検を取った。という変遷を遂げました。『崩壊させるコア』になった子供たちはそれなりの心の傷を背負ったまま成長していかざるをえません。(コアにならなかった子供たちも同様です。)これに寄り添い周囲が暖かく見守ることで、転げ落ちていくかどうかが決まると思います。「いい子」であり「学校が好きだし、学ぶことが嫌いじゃない子」と現時点で認識できるということは、本人の努力もさることながら、彼/彼女らを周囲が正しく導いた証左だと私は思います。

 『なんのために、先生、やっているの? なんか、楽しいの? 金のため? なんなの?』
 得も言われぬ違和感と恐怖。でしょうか。
 この部分を読んで私の幼稚園時代のある事件を思い出しました。
 私が幼稚園の年長の頃、ある男の先生が部屋にやってきました。
 実像は、もう既に恐怖の対象としてしか認識できていないので不明ですが、藁人形のような形をして全身青色、顔が四角い紙切れのようで黒塗りのような感じとしか記憶していません。
 私は、彼を見た瞬間、得も言われぬ違和感と恐怖で震え上がらんばかりでした。こっそり遠くにいる別の女先生の後ろに回りこむと、既にその先生の後ろには必死にしがみついて震えている子がいます。やがて、他の子も感づいたのか、じりじりとその男の先生から離れ、女先生の前にみんなが滞留しはじめたため、しかたなく女先生が前に押しやった途端、複数人が泣き出し、部屋中パニック状態となってしまいました。
 そんな中でも、藁人形のように突っ立ったままの男の先生。
 その異様なさまは恐怖以外の何ものでもありませんでした。
 その後、その男の先生が自分の部屋に来ることはありませんでしたが、廊下で見かけたらダッシュで逃げていた記憶があります。
 彼は、何のために先生をやっていたのでしょうか。
 多分、一生分からないだろうし、分かりたくない気がします。
 ただ、言えることは、私は子供たちをそういう気持ちに絶対させたくないということだけです。
 教員免許を取りながら、私が学校教員にならなかった理由はこういうところにもあったりします。(要は単なるビビリだという気もしますが。)