料理ができないこと

 twitterで料理ができない人の行動の類型が出ていました。
 まとめると、
  ①基準がわからないタイプ
   例)「強火」「小さじ」などが具体化できない
  ②書かれてないこと勝手にやるタイプ
   例)『早く火が通る』と思い込み、弱火なのに強火にする
  ③錬金術を始めるタイプ
   例)『ケーキの隠し味に味噌入れる』『片栗粉ないから小麦粉で代用』
の3つです。

 で。
 この人たちがどうすればいいかを考える前につまらないエピソードを書くことにします。
 というわけで、スパゲッティを茹でたことがあるでしょうか。
 スパゲッティが死語と言う人においては、スパゲッティーニと言えばいいのでしょうか。
 標準的な茹で方については、適当に検索してもらうとして、私が食べるための私の茹で方を紹介します。
 ただし、最初に断っておきますが、『よい子は真似しない』で欲しいです。約束ですよ?。
 熱源はぼろいカセットコンロ、鍋は18cmの雪平鍋です。
 水はテキトーに入れ、沸騰させてテキトーな量の乾麺を入れます。
 賢明な方なら気が付くと思いますが、25cmの乾麺は物理的に入りません。しかし、2つ折りはしません。気合で入れます。
 塩も入れたり入れなかったり。用途、食べる時間によって変えます。
 時間は測りません。4桁ほど乾麺を茹でていると、自分の好みの固さは箸で混ぜただけで分かるようになります。無駄な特技です。
 湯切りは、昔のペヤング焼きそば方式です。ざるあげをしません。さるを洗うのが面倒だからです。排水トラップだばぁーはしません。したら飯ぬきなので気合が違います。

 さて。
 先の①〜③に戻ります。
 この人たちがどうすればメシマズ問題を解決できるのかを考える際に、様々な手法が適用し得ると考えられるのですが、多品種少量生産で生産設備の流動性などを考えると、PDCAモデルよりは、仮説検証型モデル→仮説探索型モデルが合っているような気がします。
 まず、①。
 この場合、状況把握・分析→仮説→検証のプロセスにおいて、状況把握・分析に欠陥が発生します。
 そもそも仮説検証型モデルは、本人が意識していないだけで、小児の経験型学習モデルと同じようなものなので、本人がメシマズな現状を変えたいと思っている場合、知らず知らずのうちにこのプロセスを実行していると思われます。
 ただ、残念なことに、メシマズな状態をいかにまずいか定量的に表現し、それを標準的と思われる目標の料理とベンチマーキングした際に、定量的に分析し、仮説に繋げる必要があります。この時の変換が正しく行えない場合、正しくない仮説を立てて無駄な作業をくりかえすことになりかねません。
 とはいうものの、3桁ぐらい同じような料理を作り続けていると、料理においては、思った以上に設定できるパラメータなど少ない(家庭料理レベルという意味で)ために、それ相応に収斂してくるものですが、それ以前に心の方が折れる気もします。スパゲッティの例でいうと、「強火」「小さじ」が分からなくても、作って食べ続ければ最低限それっぽくなるということですが、甚だ効率が悪いです。
 最近では、「強火」「小さじ」などを家庭で実際に見てイメージすることが少なくなっているのかもしれませんが、逆にネットの発達で、様々な視点で解説した調理風景の映像に触れたり、「強火」「小さじ」が具体的にどのようなものか、実際の重量はどの程度かを解説している解説書なども増え、自分にあった物差しとして受け入れるための選択肢が増えた気がします。
 また、転居や結婚で突然メシマズ状態になったなどの話も、状況把握・分析が正常に機能しなくなっていることがあります。
 このような場合、例えば、自分ひとりで料理を作る方式の料理教室に参加して、これまでに顕在化せず、自分に気づくことのできなかった錯誤箇所を先生から指摘してもらえることもあります。
 本人に仮説検証型モデルが働いているならば、これらの気づきによって状況把握・分析が正しくかみ合った時、メシマズ状態から開放されるものと思われます。
 個人的には、①の人の場合、謙虚さと向上心がある人が多い印象があり、それなりのブレークスルーがあれば、メキメキ上達する人も多かったように思います。あと、どちらかといえば、真面目なことも多いので、向上心やそもそも食そのものに興味がなくても、レシピを見てそれっぽい料理が定常的に作れるようになることも多いです。

 さて、以降、②③に共通することですが、メシマズを改善する意思のない場合は、なんにせよ無理だと思います。
 例えば、②において、レシピに書かれてないこと勝手にやる理由を尋ねたところ、レシピどおりにやってもマズかった。そんなクソレシピより自分の方がうまくできる、というもの。年配の糖尿を患った方や高血圧な方(これは、多分薬の副作用)で、自分の病気について十分な知識を有していない(もしくは、理解する気がさらさらない)人や過度のダイエットをしている人、根拠のない自分のやり方が最も効率的(例えば、東海村のバケツ臨界とか)という性向の人などに多いです。
 他人の料理に散々文句をつけておいて、「どうだい、うまいだろ」と差し出された料理がまずくて、苦笑いするしかないなんでのも、この部類でしょうか。
 よく、メシマズに関して味見しろよ、という意見を耳にしますが、そもそもこういう人たちは、自分の方法が最高なので味見する必要がないと思っているようです。また、味見しても自分の味覚が基準なので他人にとってメシマズになってしまいます。
 スパゲッティの例でも、自分が食べるための方法であって、他人に出す場合は当然別の方法をとります。(というか、今ならカセットコンロしかないので、冷凍麺にする逃げ方をとる。)店なんかだと、パスタボイラーを変な方法で使ったりしたらどやされるし、当然店が提供する品質のものができるわけがありません。

 という訳で、②。
 味覚障害の場合は別として、仮説検証型モデルを導入すれば、基本的にまともな形に収斂すると思います。
 ただ、レシピどおりに作っていない、もしくはレシピどおりに作っているのにうまくいかないことに気づいているならば、基本に立ち返って、レシピどおりに作ってみてから他を試して変化を見る、もしくはレシピどおりに作れていない可能性がある工程を別工程に置き換えてみることで変化を見るなどの仮説、検証を繰り返すことでよくなるスピードは速まるものと考えます。
 また、料理見学型の料理教室でもOKなので、他人の料理工程を見た上で、もらったレシピどおり作ってみてどのように味が違うのか確認、それを料理教室の先生にフィードバックして指導を仰ぐような方法でも解決策が見つかりやすいかもしれません。

 最後③。
 本人に改善する意思があるかどうかの問題とは別に、『片栗粉ないから小麦粉で代用』などのような置き換えについて、論理的に繋がりがあるものとして考えられているかどうかがあろうかと思います。
 論理的な繋がりが希薄な場合、およそ仮説検証型モデルを用いても、常識的な範疇を飛び越して仮説のバリエーションを増やす総当り的な状況になってしまう(そもそも優先付けができない)ため、何度でも発散し続けることになります。
 たちが悪いことに、最近の料理研究家のなかに、常識的な範疇を飛び越した置き換えなどを通じた人の気を引きやすい料理を示す人もおり、こういった人を表面的に真似てしまい、それが感性であると感じている(勘違いしている)のかもしれません。
 しかしながら、ほんの一部の料理研究家以外は、一般に正しいとされる調理方法を熟知した上で、さらにオリジナリティを追求し昇華した結果により調理していることを知る必要があるように思います。
 これは、仮説検証型モデルで調理方法を極めた上で、今度は、仮説探索型モデルを用いて最も魅惑的でかつだれも手を出さなかったような領域に攻めるのが定石だといえるかもしれません。
 また、さきほどの「常識的な範疇」というものに関して、『片栗粉ないから小麦粉で代用』が、どのようなときに可能でどのようなときに無理であるかは、料理人であれば、当然知っていますが、家庭料理を作る程度の人ならば、とりあえず作ってみてダメだったらその知識を蓄積することで仮説の確度は上がりそうなものですが、個人的に謙虚な③の人を見たことがないので何ともいえないのですが、その蓄積を無にするようなことを行っている気がします。個人的な経験で言うと、謙虚じゃない③の人は、メシマズと指摘されるとその料理を二度と作ろうとしませんでした。もしくは、本人が作ったことさえ忘れる時期にならないと同じ料理を作りません。おかげで、レシピ本がいつも積みあがっていて、すごく勉強熱心っぽく見えたりしました。要するに検証から状況把握・分析が断絶しているように感じます。
 さらに、その得た知識を似かよった料理に応用すればいいように思うのですが、非常識的な置き換えが常態化すると、常識的な範疇の置き換えをまともに認識できないのか、そういう部分での応用ができていなかったように思います。
 加えて、『ケーキの隠し味に味噌入れる』と例示されるように、謙虚じゃない③の人は、原材料を並べて味を想像してもらった時に、大抵誤答していたように思います。(原材料とそれから作った料理と別の原材料を使って作った料理の3択問題を出して判断する。)このことから、調理後の味を想定できないために一般人にとって想像を絶するものを混ぜたりするのではないかと考えています。
 あと、例えば冷蔵庫にあるもので何かを作れというお題があった場合、思考停止することが多いようです。レシピの材料は置き換える割に、自分でレシピを組み立てることは苦手でした。
 と、書いてみたものの、改善するのは、かなり厳しい気がします。そもそも謙虚じゃない③しか見たことがないので、想像の域をでませんが、市販の加工食品から原材料を当てるような訓練を行ったり、外食した際に、でき上がった料理から調理手順を逆回転させて原材料までたどりつくような訓練を、まずは行う必要があるかもしれません。
 年齢的に若ければ、若干の調理が必要なキッチンオペを経験するなどして、まず、正しく作ることのできる料理を何品か持つことも有効かもしれません。

 あと、何でしょう。
 完全無欠だけど料理ができないといったようなキャラ設定が一部で鉄板になった関係で、リアルで意図的にメシマズなものを作ろうとする人が出てきた気がします。
 多分、これが④になるのでしょうか。
 一時はやったブルーカレーをより鮮やかに自作することに心血を注いだり(食用色素の加熱による退色とかそういう話)、見栄えの悪くさせることを主目的にしたムラサキイモのシチューとか無駄に時間がかかるグラスドビアン風おでんとか。
 食べてまずい訳ではないけど、なぜメシマズっぽくみせることに努力を惜しまないのか不思議になることはあります。
 こういうのは、本人の趣味なのであまり実害はないかもですが。