かいり

 増田で剥離と乖離の表現について剥離が誤用と扱われることに訝しさを感じるという意見が述べられていた。(こちら
 私自身、国文学者でも何でもないので、増田著者と同じレベルでの「感覚」に基づくものでしかないが、個人的に明確に使い分けているつもりでいるので少し触れてみたい。
 まず、剥離と乖離のほかに解離というのもある。
 解離もイメージ的には似かよった言葉だが、専門用語の分野で定型句として用いられるとはいえ、特に医療分野などで用いられる上で一般的に触れる機会もそれなりにあると思われる表現である。
 他には、イメージ的には少し離れる(意味的に離れるレンジが大きい)開離というのもあるが、私は電気と音楽の分野でしか聞いたことがないのでその専門分野の方だけ分かっていればよいかもしれない。
 で、分類としては、「剥離」と「乖離、解離」に分けられる。
 「剥離」はまさに今基底対象物Aから対象物B間に亀裂が入り、離れ始めているもしくは部分的に離れているが基底対象物Aと対象物Bは完全に離れてはいない状態を指す。
 例えば「コンクリートの剥離」などの使い方がこれにあたると思われ、完全に離れて下に落ちると「剥落」となる。
 また、別のイメージとして、ポストイットなどの「剥離紙」やフローリングワックス用の「剥離剤」の場合は、先の離れる機能を有する、もしくは離れる状態が想定されるモノを指す。
 そういった意味で、増田著者の「剥離は無惨にベリベリ剥がれ堕ちていったイメージ」と近いように思える。
 ただ、注意しなければいけないのは、「剥離」するのは対象物Bであり、さらに対象物Bよりも基底対象物Aの方が格段にボリュームがあるイメージがあることである。
 また、先ほどのコンクリートの例でいうと、対象物Bはそもそも基底対象物Aの一部である。
 よって、対象物Aと対象物Bを双方同列に扱った上で、その双方の間に隙間ができる場合に使用すると正しく伝わらない可能性が高い。
 増田著者が具体的に「剥離」をどのようなケースで使用したのか、その例示がないので分からないが、「化けの皮がはがれてきた」などのような状況に類似する場合なら「剥離」で問題はないと思われる。
 これに対して「乖離」は、対象物Aと対象物Bが既に分離している、もしくは分離した状態が維持されている状態を指す。
 また、対象物Aと対象物Bは大小に関わらず、双方同列の事象や比較対象として扱われる。
 さらには、「実測値が目標値と乖離している」などのように、本来対象物Aと対象物Bは一致、接触、一体化しているはずのもの、もしくは出発点が同じであるために過去や以前の条件下で同一であることを暗に示唆していることが多い。
 同様に「議論の乖離」という表現も、話し合いが平行線であることの他に、表現者が本質的にその議論に一定の統一的な結論があってしかるべき(もしくは統一的な結論を出すべき)と感じていると私は捉える事にしている。
 株取引などをやっている者などならば、例えば「移動平均乖離率」を考える場合、移動平均と株価の差はやがては修正されていくという考え方から、「買われすぎ」や「売られすぎ」を判断する指標として用いることからも同様のイメージが取得できるのではないかと思われる。
 加えて、「本来一つであるべき」的な発想から出発している関係上、対象物Aと対象物Bの隙間が本来あるべき姿に修復不能な状態ではない、簡単に言うと「その隙間は狭い」というイメージが付随するように思われる。
 明らかに袂を分かっている状態を「乖離」と表現するのは少し人が良過ぎる気がする。
 多分、断絶とか分断の方がしっくりくるが、「大きな乖離」のような表現もみられるのでこれはこれで何とも言いがたい。(分析系では致し方ないが。)
 ただ、これらはあくまでもイメージであって、「乖」には「そむく」とか「わかれる」ぐらいの意味しかないので、注意は必要である。
 「解離」も「乖離」と同様に、対象物Aと対象物Bが既に分離している、もしくは分離した状態が維持されている状態を指す。
 例えば、大動脈解離は血管の内膜が外膜からはがれてしまい、その隙間に血液が入ることを指すことからも、「剥離」したあとの状況を指すことがわかる。
 また、心理学や精神医療の分野でも「解離」が使用されるが、内容が難しい(というか私自身よく分かってない)ので他に譲る。(というか怖くていい加減なことが書けないし。)
 「解離」は対象物Aと対象物Bの状況については「乖離」と同様に考えていいとは思うが、それ以外に「乖離」に付帯していたイメージは定義のはっきりした専門用語として使われるため付帯しないと考えた方がよい。
 また、定型句として使用する以上にその内容に踏み込む場合には、「解離」の原義(多分、主に英語とフランス語だったと思う)と定義づけを正しく理解することから始める必要はある。
 以上から先述の「化けの皮がはがれてきた」ことを「乖離」や「解離」と表現した場合、前者だと「化けの皮自体が対象者の本体かもしれないな!」ということを暗喩する皮肉とも取れるし、後者だと捉えようによってはいろいろ厄介な話になりそうだが、多分、言葉どおりの意味として使用していない可能性は高い。

 で、ここまで書いてきたものの、私自身の言葉のイメージではなく話者(書き手ではなく)をイメージしたとき、「剥離」も「乖離」も一般的に文語表現として取り扱われると思うが、「乖離」に関しては、経済用語やビジネス用語として使用されることがそれなりに多いため、およそ「意識高い系」の話者が口語ベースで使用することが増えたような気がしなくはない。
 こういった手合いにおいては、話者本人が使いたい言葉の表現領域を極端に広げるため、ひどい場合は、離れそうなことや離れたことをすべて「乖離」と表現してしまう可能性もある。
 これに対応するには、「剥離」においては「はがれる」と口語体で表現した方がよいかも知れないが、「はなれる」と聞き間違えられる可能性もあるので場合によっては「めくれている」という方がよいかもしれない。
 「めくれている」ことを「乖離」と訂正するならもはや救いようがないが。
 多分、その人は「スカート乖離」とかがしっくりくるのだろう。
 そもそもスカート剥離とさえ言わないが。