コイ退治

 オーストラリアのニュースというのはどういうわけか国内であまり流通しないようで、直近だと簡単に対立構図がイメージできて感情に訴えやすい「ほげぇー」とか「源泉」(意図的にワードを外しました。)ぐらいしかなかったように思う。
 その理由をあまり追求したくないし、追及すれば結果的に英語を(ry ということになるので、あまり触れないことにする。
 そんな中、「豪州、外来種のコイに宣戦布告 ウイルス使って壊滅も (CNN 5/5)」という記事が目に付いた。

 ほとんどというか何も知りはしないが、何となくオーストラリアは環境問題に積極的なイメージがあるように思う人が、これまた個人の勝手な主観であるが多いような気がする。
 オージービーフの安全管理体制などが積極的に広報されていることに起因している気がこれまた主観だがしなくはない。
 私がそういう環境分野を調べていた時期がかなり前なため、現時点でそれが通用するかどうかは分からないが、たとえば、少なくともオーストラリアでの農薬市場はそれなりに大きかったように思う。
 ただし、そのほとんどは除草分野で病害、害虫等による食害対策や収穫量や見栄えの向上のための薬剤を積極的に投入する感じではない気がする。
 基本的に農薬をきっちり使って確実に根絶やしにすることよりは、使用を最小限に留めたいという意識が強いためかどうかはわからないが、除草剤使用に伴う除草剤に耐性を持つ植相が他国に比べて顕著に形成されるなどの問題が浮上したこともある。(ソースがみつからなかったので勘違いかもしれないので話半分で。)
 また、同様に古い話ではあるが、日本と同じくアメリカ、オーストラリアなどは農薬に関してポジティブリスト制(使ってよい農薬(基準値内に収まっていれば問題ないとされる農薬残留値)を規定する方式)を採っているが、日本は面白いぐらい大量の登録がなされているので除外するとして、オーストラリアは北米と比べて登録数が多かったように思う。
 実際のところ、登録数が多いことが農薬使用の積極性と捉えるのか、隠れて使用されるより適正に使用させることで安全を確保しようという考えだと捉えるのかは様々だと思われるが、農薬に目が向けられそのイメージがプラスかマイナスかは分からないがそれなりに関心が高いと捉えてもいいのではないかと思う。
 あと、EUはネガティブリスト制を採っているので、同列に扱うと様々なところで軋轢を生じているのは周知の事実で、途上国の場合は、何らかの制度自体が存在しても有効に機能しているかどうかが判然としないため何ともいえない。

 で、個人的な感覚としては、オーストラリアにおいては「鬱陶しいので農薬は使いたいけど、環境問題もある(ただしそれが正しい環境に関する知識かどうかは問わない)ので農薬は少なめにしたい。」という精神から制度化されているような気がしてならない。日本のような「鬱陶しくてしょうがないので農薬は是非とも使いたいけど、いろいろしがらみもあるので、農薬の量は横並びにしとかないとやばい。」とか「一定の需要があって価格添加もできるので、無農薬でいく。」みたいな方向性とは違っているように思ってしまう。
 ここで、「正しい環境に関する知識かどうかは問わない」と限定したのは、先述の農薬による耐性であるとか、有名なところでは害虫対策として移入されたオオヒキガエルの問題であるとか、コアラの保護に伴う生息数の急激な増加とその後(大体2000年前後辺りかららしいが)の急激な減少などにおける失策の内容を紐解けば、どちらかといえば、環境保護の学習教材として数十年前の理科の小学生用教科書にさえ記載されていた程度の失敗例と同じ根を持つことが挙げられるように思うからである。
 日本のように毛ほどの失敗も許されない官僚制度の中で様子を見ながら少しずついじっていくような即効性の乏しい方法が一概にいいとは言えないが、さもそのときの激情で「答えは、やってみなくちゃわからないっ!大科学実験でっっっ!!!(激おこ)」を大陸全土でやらかしたあげく「失敗でしたテヘペロ」では国民感情としていいのかそれで?と私は想像してしまうのだが、そういった意識は国によって全く違っているために問題に発展しないのかもしれない。
 個人的には、こういった日本人とは違う考え方や疑問に対して、日本語が堪能なオーストラリア人とかに訊いてみたいとかねてから思っていたのだが、ついぞそのような機会はないままである。

 まぁ、ぶっちゃけてしまうと、今回のコイに限らず、昔からオーストラリア国内でのカダヤシによる在来種への影響が指摘されていながら絶滅しきれてないのにもかかわらず、コイをコイヘルペスウイルスで殲滅するとか息巻くのも、何を興奮してんのさ・・・、いい加減変なフラグ立てんなよ・・・、とこっちが冷めてしまいかねないという気持ちというのが正直なところではある。
 そもそもコイヘルペスウイルスの耐性についてはコイヘルペスウイルス発見当初から議論・研究されてきた事項であり、コイヘルペスウイルスの耐性魚を人為的に産み出すことも可能(たとえば「茨城県内水面水産試験場研究報告Vol.44」で報告がある。)になってきている現在において、どの程度の実効性があるのか疑わしくもあり、また興味深くもある。
 もし失敗した場合は、いわゆる院内感染に代表されるような耐性を持つものによって従来の方法の優位性が一気に下がるといったことが起こると思われるし、耐性魚ばかりになった暁には尋常ならざる数のコイヘルペスウイルスのキャリアを国内で養殖し続けていくことになる。

 じゃあ対案を出せと言われそうだが、実際ない。
 もし現実的で確実な実効性を担保できる方法を持ち合わせているのなら、世界中から引き合いが途切れることなく、食うに困らないどころか御殿がいくつも建つに違いない。
 それほど、一端野に放てばとりかえしがつかないということであり、またそういう事実が転がっているだけである。
 その事実にいかにアプローチするかによって一部のバザー関係者などにおける放流者になったりモラルを説く者になったり感情的な滅殺論者になったり過激な保護論強行者になったりするだけとも思える。
 私自身、結果を確かめられるかどうかは分からないが、今回の政策がいかような結果になるのか興味は尽きない。