電話

 恥ずかしながら、未だこの年になっても電話が苦手である。
 まぁ、先の短い身としては、死ぬまで変わらないのかもしれない。
 この手の話になると、決まってするこじつけ話がある。
 直接的に話者が自身と会話するためには互いに声が物理的に届くところまで接近するための具体的行為が必要で、それを話者が全く察知できないことは例外的だと思われる。
 例外的である理由としては、そういった場合「急に話し掛けられてびっくりする」などといった表現になるような実情があるからである。
 しかしながら、電話はそうではない。
 話者が何の気配もなく接近して目の前にいるというアラート(そんな大層なものではなく、ただの着信音)が鳴っているにもかかわらず、出なければ誰か不明なところである。
 感覚的には玄関のインターフォンを鳴らされてドアスコープをのぞくと相手が外からドアスコープを指で押さえて見えないようにしているようなものである。
 最近でこそ、ナンバーディスプレイなり着信制御なりが可能になっているものの、昔はそんな機能などまるっきりなかったのだ。
 このような会話開始に至るまでの情報量の少なさが電話というデバイスにおける体感的不整合性を産み出しているのではという話である。
 で、こういった話をすると、ネットデバイスに慣れ親しみ、不特定多数や物理的な意味での直接的な話者よりもそうでない話者との対話の比率が多くなっている層からすれば、年寄りの言うことはひと味もふた味も違うぜ!とあきれ蔑んだ目を向けてもらえる。
 とはいうものの、ぼぉーっとそういったことを考えながら昔に遡っていくと、多分ここが起点ではないのか、と思われる内容にたどり着く。

 金融機関の入出金電話音声通知サービスを知っているだろうか。
 正式名称とかを調べるためにググってみても全くかすりもしない。
 先日の記事と同じように、多分、金融機関がネットでの情報開示に真剣に取り組み始めた時期にはとっくに駆逐され尽したサービスだったのかもしれず、情報がない。
 サービスの内容と言うのは、今の入出金があった時にメールやファックスなどで金額や相手先を通知してくれるサービスの音声版である。
 現在の技術からどのようなものか想像するとするなら、音声合成読み上げ機能を用いたそれなりに人間らしく自然ではあるが音声合成っぽくはある程度の実用性をもったものを想像するかもしれない。
 音声合成の技術的な部分にあまり立ち入るべき話の内容ではないのだが、要は単純にアイウエオの単音を同じ音階で等間隔に並べてもかなり理解しづらく、そういった問題に対応するための技術というものが盛り込まれている。
 結局のところ、当時としてはその解決されていない技術的問題などから、単音を同じ音階で等間隔に並べた読み上げで口座番号や口座名を早口で垂れ流すうえに、ただでさえ品質の低い音質の電話音声である上にさらにくぐもったような低品位な音源で再生されるような構造であった。
 当時は自宅の電話と親の事務所の電話が同じであったため、学校から帰宅後に自宅の電話をとると入出金電話音声通知サービスだったりすることが結構あった。
 そして、先のような特徴であるため、はっきり言ってその内容を聞き取れない。
 そもそもその日の入出金をまとめて1本の電話でかかってくるのだが、出金は自動引き落としの光熱費関係とかなのでどうでもいいらしく、入金だけ必ずメモを取れと親から厳命されていた。
 しかしながら、そもそも入金される口座名義一覧を当時小学生の私が持っているわけでもなく、およそ脳内で片言の日本語以下の機械音声を別の対象に紐づけて理解できるのはなんたら電力などといった出金の方ぐらいである。
 で、結局聞き取れなかったと親に報告すると殴られるわけで、対処法としては親がいないときに電話がかかっても出ないという方法である。
 親がいないときに入出金電話音声通知サービスの電話を取らなければ再度かかってくることでその電話を回避できるが、受話器を取ったが最後、二度とかかってこないため、かかってきたかどうかは分からないが、取ったかどうかはばれるというからくりである。
 ただ、取らないにしても着信音の回数は結構多く、1回目を取らなければ2、3回ぐらい数分後にまたかかってくる(それを過ぎれば1、2時間後になる)というしつこさである。
 着信音が嫌で嫌で、最もひどい時は電話から一番遠い部屋で耳をふさいでいるような時期もあったりした。
 しかし、この方法には重大な欠点があり、外から親が電話をかけて来たのを取らなかったために、これまた殴られる羽目になるわけであるが。
 それはそれとして、今でこそ、入金の意味が何なのか分かるようにはなったものの、それがどういうことか分からない、教えてもらえない、多分教えられても分からない小学生レベルにおいて子に押し付けるのもどうかとは個人的に思う。
 現在では、メールによる同様のサービスが提供されているが、たとえそういったサービスがなくても時間内に記帳に行けば済むことで、そこの手を抜いて他者に押し付けていることを業務全体のプロセスを統括する意味において真摯に受け止めているかどうかが問われる部分ではあろうと思う。
 「家族はタダの人件費」と言ってはばからなかっただけに、そんな意識は毛ほども持ち合わせていなかったとは思うが。

 で。
 結局のところ、こういった環境がトラウマとして寄与しているのかどうかは分からない。
 たとえ分かったとしてもどうにもならないわけではあるが。
 いずれにせよ、性格的に何も分からない状態で「はい、スタート!」と言われるのが嫌いという程度なところあたりで終わることにする。(面倒くさくなったので逃げてみた。)