常に行うことの難しさ

 最近ばたばたしていて(少し前の反動もあるのだが)放置していたら何本かすっ飛ばしてしまった。
 何をかというと、「今週のお題」である。
 とりあえず、言い訳から入るとすると、いつもはてなダイアリートップページ(http://d.hatena.ne.jp/)の真ん中らへんの表示とその近くにある機能変更・お知らせ(http://d.hatena.ne.jp/hatenadiary/)のリンク先から確認していたから、というのが主たる要因である。
 また、記事を書く際に上部に表示されるメッセージにも「今週のお題」の内容が表示されていたため、別の記事を書いている際にもイメージを膨らませる機会になっていたというのが個人的な受け止め方であった。
 で、
  1.トップページの「今週のお題」が更新されなくなった
  2.同様に機能変更・お知らせでも更新されなくなった
  3.記事を書く際に上部に表示されるメッセージにお題の内容が表示されない
という変化に気付いていたにも関わらず、適切な措置を怠り、「今週のお題」を確認、その後のフローを停止させてしまったという事故を引き起こしたという結果となったわけである。
 本質的にはインシデント分析等を行うべきところではあろうが、単純に「なぜ」を1ループ程度でも行っていれば防げた事故であったと言えるだろう。
 浅慮拙速を防ぐためにも「なぜ」と問え、というのは、もはや誰もが話すレベルの当たり前な事項ではあるものの、それを言われたときだけでなく、習慣化し、継続し、行動主体に大きな負荷がかかっている(個人なら忙しくて手が回らないとか、体がつらくて判断に精彩を欠くとか、組織なら運営手法や構成人員の練度が低くて仕事が回っていないとか、技術力のなさや製品品質の悪さから売上や利益がどんどん落ちているとか)ときにでも実行できるかどうかといういわば胆力が試される場面にこそ意味があるわけで、およそそういう場面で実行することは簡単なことではない。
 逆に言うと、それを実行し完遂することができたならば、成功者の1人として数えられるのかもしれない。
 話はそれるが、こういった的確な過負荷(オーバーロード)でもって成功に導くエピソードを一般的に「気合い」と捉える向きもあり、また、成功者の多くは、その生存バイアスも含め、的確な過負荷を論理的に腰を据えて分析して計画、実施に移すわけではなく、かなりの部分を感覚的、直感的、もしくは思いつきレベルの内容を適切に具現化する参謀らの働きに分散することで実行可能にしていることが多いことも「気合い」と捉えられてしまう一因であるように思える。
 また、ピーク時のオーバーロードのかけ方が直感的に制御できる者からすれば、それを行動理念や行動計画、組織の運用手順などに落とし込んでしまうと、本質的には組織のリソース(ヒト、モノ、カネ)の末節、最小単位までその直感といった能力なり属性を有していなければならない。
 「意識の共有」などと言う者も多いが、意識を共有したところで、その意識だけが行動の原動力にはならず、また必ずしも正しい判断や行動に結びつかず、さらには正しい判断や行動は1つではなく、その成果もそのリソースひとつひとつの素質と周辺環境、時期などによって千差万別である。
 落とし込み方のレベルにもよるとは思うが、ひどい場合、「意識の共有」のみならず、形式知にすることが難しい成功者本人のパーソナリティや性格、気質、感覚的・感情的な何かとの同質化を伴わなければ破綻しかねない箇所も発生しやすくなる。
 それは、低負荷時に問題として顕在化しなくても最もその必要性が求められるピーク時のオーバーロードにおいて行動不能に陥ってしまうことで表面化することが多い。
 そして、過負荷が的確ではなく主体性の欠く単に無理で無謀なものに作り変えられたあげく行動不能に陥ってしまった状況(離職、労災事案、自殺、過重労働)とその組織的背景から「ブラック企業」の称号を与えられる事態に陥っている企業も存在し、またそういった事例は少なくないように思われる。


 で、何の話をしてたんだっけ?


 えと、せっかくなので、お題を過去にさかのぼってみる。
 まず、本棚。
 うち、ないです。
 2.5畳に本棚置く気ないです。
 まぁ、本といっても基本借りるか友人の家で読んだりで何とかするし、家にあるのは落書きする可能性の高い資格書か参考書ぐらいだし。
 昔は小さめのブックオフよりもはるかに多いぐらい本を抱えてたこともあったけど・・・(遠い目)
 次、バーゲン品。
 これもないなぁ。
 そもそも人ごみがダメで、バーゲンの期間中はショップに近づかない人なので。
 よって欲しければバーゲンより先に買う、というのが肝要です。
 さて、バーゲンなどの値引き品を赤札と言うことが多いです。
 私自身、単に赤色だと目立つからということと、いわゆる状態を表すグリーンとレッドの関係からもう最後だから急げ的な意味合いが色のイメージとしてあるからかと思っていました。
 が、昔、とある百貨店の出入り業者のじいさまが言うには、昔(話を聞いた時よりもさらに過去)借金で差し押さえた家財道具には赤い札をべったり貼りつけていたのだが、これを安値で買って売りさばくのが赤札の始まりと言っていました。
 で、あらためてそれをググってみたのですが、そんな話はどこにも見つかりません。
 そもそも差押え品に何かを貼るなんてのをみる機会は今ではほとんどないだろうし(ちなみに私も見たことない。)、想像するのも困難だとは思うのですが。
 何というか、こういったン十年も前に聞いたそれよりさらに昔の伝聞とかある意味都市伝説的なエピソードはネットで検索するのに向いてないように思ったりします。
 そのじいさま曰く、あの赤札ってのがはがしにくくてなぁ、とか言ってたのですが、そもそも確認しようもないし、それ以前に若い頃どんな仕事してたんだよ、というツッコミを心の中で入れざるをえない(そんな状況から百貨店出入りにまでなったわけだからすごいことだと言わざるをえない、という意味で)話もあったりしましたが、それはそれで真実は知れずともいい思い出ではあります。


 で、何が言いたかったのかというと、今までどおり日記を書く画面で上部に表示されるメッセージにお題の内容が表示されてほしいなぁ、という要望的なものを書いてみようかなぁ、などという話。
 今日はさらにお題のリンクさえなくなっていたりするし・・・。