規模の追求と利益

 8月ですねー。
 既にいい加減暑いですが、さらに暑くなるということなわけで。
 私は、暑いのが嫌いなのでうんざりなのだが、だからといって寒いのも嫌いなので、単なるわがままともいう。
 さて、夏といえばビールが飲みたくなる・・・などと下のネタにつなげようかとか考えたが、なんとなくテンションが落ちているので面倒くさいのでやめる。

 で、ネタ記事はというと、「SAB、インベブとの統合作業を凍結 欧米で報道 (日本経済新聞 7/28)」である。
 記事中にもあるように、ABインベブSABミラーはビール製造販売において世界シェアがそれぞれ1位、2位を占める巨大企業である。
 しかしながら、消費者、そのなかでも日本の消費者から見れば、バドワイザー、コロナ、レーベンブロイ、ミラー(子会社のブランドも含む)ぐらいしか聞いたことがないとかスーパーの陳列棚の端のほうでしか見たことがない人も多いだろうし、それ以前に選り好んで輸入ビールを志向する稀有な嗜好者は少なく、ほとんどの消費者は国産メーカーの製品を買うわけで。
 さらに大きいくくりで見れば、ビールというカテゴリの市場が酒類の中で存在感を落とし、さらにさらに酒類の販売・消費数量も減っている(ここ10年ぐらいは横ばいだが)ことからすると用のある人自体が減少傾向にあるといえるかもしれない。
 実際のところ、消費者が減ったとか消費者の購入回数や数量が減ったことや好みの問題がその認知度や関係性だけで薄まっているわけでもなく、そもそも日本の酒類メーカーががんばっているだけで日本の酒類メーカーが滅殺されれば、そもそも選択肢自体がSABミラーやABインベブのブランドしかなくなるかもしれないわけで、そういった考え方をその原因の中心にもってくる者もいたりする。
 そういう傾向の中で、消費者たりえないので正直どうでもいい、と思えてしまう事例から考えを進めるのはあまりいい方法ではないのだが、とりあえず思いついたということで、書き残すことにする。

 さて、合併とシェアと独占(寡占)の関係は、少なくとも小学校レベルで習う話(最近はどうかは知らないが)だったように思う。
 当時、教科書ではなく資料集とかいう副読本に国内寡占市場の事例として板ガラスとビールとあと何かのシェアを示す円グラフが載っていたように思う。
 とはいえ、小学校レベルでは、そのような事実があるよ、身の回りのものの同じジャンルのものでメーカーがいっぱいあるのと2、3社ぐらいしか見当たらないものがあるよ、ぐらいなイメージを持たせることが基本的な目的ではあるのだが、独占や寡占が市場(多分、ここで言えば「私たちの生活」とかに置き換えられているとは思う。)にどのような影響を与え、それに伴い起こる問題に対して制限(いわゆる独占禁止法)が設けられているところまでつっこんで話をしていたのは、多分その時の教師がそういう方面に明るかったからなのかもしれない。
 私自身いい加減歳を食いながらも未だにこういう方面に疎く、経済学とかをちゃんと体系立てて習っておけばよかったとか思ったりするが、表面的なことは調べれば何となく分かるものの、それより先の精神といったような部分は思った以上にたどり着けず、よく分からないままだったりする。
 当然ながら今よりも多分さらにバカだったと思われる小学校時代の脳みそにとっても同様によく分かるわけもなく、「へぇー・・・」で終わってしまうことではあったのだが、先生が「もっと売ってシェアを伸ばすと悪いことをしたことになるのは変な気分になるだろう?だけど、完全な自由経済としてもっと売りたい、もっとシェアを伸ばしたいと思う自由に対して、他者の自由を守るためにその自由を制限することもあることを知っておこう。」というようなことを言っていたのが未だに忘れられない。
 とはいえ、どのようなことばを用いたのかは既に忘れてしまっていて、反芻が元のことばの置き換えを進めてしまったせいで、もはやその中身しか一致していなさそうではあるのだが。
 やがて、中高と進むにつれて、それこそ独占禁止法の第一条にある『この法律は、私的独占、不当な取引制限及び不公正な取引方法を禁止し、事業支配力の過度の集中を防止して、結合、協定等の方法による生産、販売、価格、技術等の不当な制限その他一切の事業活動の不当な拘束を排除することにより、公正且つ自由な競争を促進し、事業者の創意を発揮させ、事業活動を盛んにし、雇傭及び国民実所得の水準を高め、以て、一般消費者の利益を確保するとともに、国民経済の民主的で健全な発達を促進することを目的とする。』って長いわ!と言いたくなるような内容の解説がなされていく訳であるが、国内法に限らず、海外においても様々な判断のプロセスはあるにせよ、どちらかと言えば定量的な条件をもって判断を行っているように思える。
 ただ、実際に定量的な条件以外で判断する客観的な運用方法があるのかといえばないわけだが、そもそも判断すること自体に喉に魚の骨がひっかかったようなもどかしさというかぞわぞわする居心地の悪さを感じるのだ。
 そもそも独占禁止法と言いつつ正式名称は『私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律』で、私的独占と公正取引の違反が合体している(というか現象としては分離不可分ではあるのだが)ため、私的独占でも公正な取引が結果的に維持される場合とか公正でない取引が私的独占によらないものもあるかもしれない領域まで含めて管轄している法ということになっていると思われる。
 はたして先の第一条を私的独占部分だけにしてみるとすると、「私的独占を禁止し、事業支配力の過度の集中を防止して、生産、販売、価格、技術等の不当な制限その他一切の事業活動の不当な拘束を排除することにより、公正且つ自由な競争を促進し、事業者の創意を発揮させ、事業活動を盛んにし、雇傭及び国民実所得の水準を高め、以て、一般消費者の利益を確保するとともに、国民経済の民主的で健全な発達を促進することを目的とする。」ぐらいになるのだろうか。
 後半部分が変わっちゃいねぇ、ということになるのだが、経済学や法学を学んだものなら鼻で笑われる間違いを犯しているのかも知れない。
 とはいえ、その正答もなかなか見つからないのでそのまま先に進む。
 小学校のときに教わった「企業」の自由の対極をなすのは「消費者」ではないか?というイメージを持っていた。
 しかしながら、条文にもあるように『結合、協定等の方法による生産、販売、価格、技術等の不当な制限その他一切の事業活動の不当な拘束』で直接的に『公正且つ自由な競争』を阻害されるのは、例えば、リア充のトップとかリア充と取り巻きがつるんだリア充グループに属さない者ということであり、ここでは「他の企業」という考え方に重きが置かれていることに気付かされる。
 ただ、条文の流れからすると、
  不当な制限や拘束を排除する
   →公正自由な競争が促進される
    →事業者の創意が発揮される
     →事業活動が盛んになる
      →雇用が増え、給与水準が上がる
       →一般消費者の利益が確保され、経済が健全に発達する
という流れであり、不当な制限や拘束を排除しても単純には一般消費者の利益が確保される構造にはなっていないように思える。
 むしろ、雇用が増え、給与水準が上がることによって一般消費者の利益に結びつくことになっているように感じる。
 違法行為を推奨する気は毛頭ないが、例えばカルテルで原料価格や納入価格の変動をなくすとか、談合で予定価格ぎりぎりの価格で入札しながらも落札できるように手を回すとかも、結論から言えば企業の収入をより安定してより多く確保することを目的としているわけで、それによって雇用の安定化や、給与水準が上がることにつながる可能性もある。
 ただ、少なくともほとんどの国家でそういった行為が違法であるとされているのは、多分経済学的なり法倫理的なりでちゃんとした理由があるからだろうが、感覚的に分かっていても私はちゃんと説明ができなかったりする。
 というようなことを書くと、独占容認主義だとか一般消費者の利益が確保されれば何をしてもいいのかという形になりそうなのだが、そういうのとは違っている。
 不当な制限や拘束を排除することで直接的に一般消費者の利益が確保されるかどうか、ひっくりかえせば、一般消費者の利益が直接的に阻害される原因となっている不当な制限や拘束を排除することが目的であってはならないのだろうか?という考え方である。
 今回のような世界規模で1位、2位(合併を仕掛けたころは3位まで)のシェアを持つ企業の合併が公正自由な競争が保てるっぽい状態だろうからそれでいいや、っていうのでいいのか?ということが疑問点である。
 例えば数理経済学的に公正自由な競争が保てるっぽい状態であれば、必ず一般消費者の利益が確保され、経済が健全に発達する段階まで進む(もしくは確率的に問題ないレベルである)と言えるのならばいいのだが、なかなかそういった内容をググろうにもうまいキーワードが見つからない始末である。
 また、経験的、感覚的に自社よりシェアが大きい競合他社に挑む市場構造において、合併でより相手のシェアが大きくなってしまっては、例えその合併に法的なお墨付きが得られたとしても以前と変わらず同様な手法で公正自由な競争ができるとは思えない。
 さらに、感じることは、今回の記事にもあるように、昨年夏あたりから合併作業を進めてきたのを金銭的問題でストップさせた(現場ではそんな単純な話ではないとは思うが。)ことが一般消費者の利益の面でどう関わる内容かではなく、ステークホルダの一部に過ぎない株主だけが関係者であるっぽい(法手続き的には間違っていないが)形に終始する形態がとられるのは、はたしてどうなのだろう、ということである。
 ましてや、こういった合併の頓挫した状況をもってブレクジットの悪影響とまくし立てる記事(さすがに一方的な内容なのでリンクしないが)を読んでいると、逆に、ブレクジットがあったから国民の目に見える利益どころかブランド廃止、価格上昇などがあるかもしれない合併をグローバル化を傘にきた寡占化を進める者たちから取り戻した、とか言い出す者が現れやしないかとひやひやする。
 ここまでくると、狭義な意味でのナショナリストということなのだが、元に戻れば、そういった人たちにネタを与えているのも、合併を行おうとしている当事者であり、またそれを一方的観点から擁護するマスコミなどの情報発信者ということでもある。
 以前ネタにしたバイエルによるモンサントの買収についても、未だに揉めているらしいが、製薬や農薬などの合従連衡(あくまで寡占であるとは言ってない)は、開発費の高騰のために、まとまった金額と統一的な開発判断のために行う、というお題目を浸透させている(もしくはさせようとしている)ことが一般の者にその目的を知った上で受け入れやすい(ただ、先の買収は逆に買収金額高騰にもつながっていそうな気もするが)形になっているのだが、はたしてABインベブSABミラーの合併は両社の商品の主要な消費者にとってはどう捉えたのだろう、そんな気がした。
 合併や買収に成功すればこれまで開発が不可能だった新薬で人が救えます!と言うのと同じように合併や買収に成功すればこれまでにないすばらしいビールを製造してパブのホールであなたをのた打ち回らせます!とかあるのだろうか。(多分、ない。)
 実は消費者はこだわりもなく、どうでもいいと思っているのならば、企業としては消費者対策として問題がないとしていいのかもしれないが、それでは消費者にとって企業価値は無に等しく、それで自らに誇りを持てるのか、という気さえしてくる。
 というようなことを考えつつも、そのような意思とは当然全く関係なく何ひとつ解説も説明もされぬまま事態は進んでいくはずだ。
 そしてぞわぞわ感もまた続く。