下掘り

 「「金目的の従業員はいらない」コンビニ店長の発言が物議 でもその言い分もまんざらウソとも言い切れない? (9/27 キャリコネニュース)」を読んでいて、近年何度も見かける同様な話の流れに違和感を覚える部分について触れてみたい。

 ちなみに、記事の元ネタは、べいたん@烏賊(イカ)氏の

ボク「時給上げたらどうでしょうか?このままでは人員不足が懸念されます…」
店長「お前さ」
ボク「はい」
店長「金目的の従業員欲しいと思う?」
ボク「目的はどうであれ仕事さえすればそれでいいかと」
店長「金目的の従業員とかいらないわ」
ボク「僕のことですかね…」

というTweetが基点であるが、まずそれは置いておく。

 で、違和感を覚える部分というのは、先の記事にもあるように、労働(ぽい何かも含む)と貨幣(兌換性の高い物も含む)の移動との関連性を考察する際に、アンダーマイニング効果で片付けてしまおうとするところである。
 まぁ、したり顔で「いやいや、違うんだなぁ、これが」的な発言が可能な旬なネタ(とはいえ、実態としては1970年代あたりから研究されている内容なのだが)であるため、当てはめてみたいのは分かる気もする。
 では、当該事象においてアンダーマイニング効果が発生しないのかというと、アンダーマイニングの理論からすれば、発生しているといえるだろう。
 ただ、そこから先が問題であると考えている。
 面倒なので長く引用するが、

やる気や能力があっても金銭的な報酬目当てで働く従業員は、やがてやる気を失っていく−−。もしそうだとすれば、経営者や管理職の立場にある人間が「金目当ての従業員はいらない」という考えを持つことはおかしいことではない。金銭的報酬よりも会社のビジョンに共感し、やりがいを感じて働く従業員を好むだろう。
ただし前述の論文にはアンダーマイニング効果について、その行為に内発的動機付けを抱いているときにのみ起こると書かれている。つまり「嫌いなこと」や「興味のないこと」であれば、お金目的であってもモチベーションは下がらないのだ。多くのアルバイト従業員にとって、仕事とはどちらに当てはまるのだろうか。

とあるのだが、多分どちらでもない。
 思想的な話になりかねないので大雑把に飛ばすが、資本主義経済の根幹の1つである労働と貨幣の交換という行為は、肯定するか否定するかではなく、前提と捉える方がよいと私は考える。
 およそ、ボランティアに報酬を与えた場合の内発的動機付けへの影響と同様な心理的傾向を労働者が呈したとしても、それを理由に労働対価を発生させないことを是認する社会構造ではないからである。
 一応、アンダーマイニング効果というのは、「当初持っていた内発的動機付けが物質的な外的報酬(逆に外的拘束もある)を与えることによって低下すること」であるため、先の引用部分も若干誤認している(例えば『やる気や能力があっても金銭的な報酬目当てで働く従業員は、やがてやる気を失っていく』という話ではなかったりする。その後に『もし』と逃げているが)ところもあるが、結局は、結論として「カネをくれなきゃやる気が出ない」、「やる気のあるヤツはカネを欲しがらない」という二項対立で終了させてしまうことが多い。
 しかしながら、先述の労働対価を前提として考えた場合、アンダーマイニング効果によって内発的動機付けがある程度低下することを見積もった上で、成果やサービスを提供するシステムなり各プロセスが整備され、維持され、それが継続することで利潤を生み、最終的には社会に還元されるといった視点から各種事項を考察しなければならないのではと考える。
 結局、アンダーマイニング効果だけで考えれば一方に振り切れてしまうわけだが、実情としては、労働者、使用者、企業などの設定された場で活動するというシステムの3者の属性によって最適値が変化するし、そもそも最適値自体が存在しない業態などは誰かがわりを食っているだけなどという話になるだけである。
 また、同様な状況下においてアンダーマイニング効果と同時にエンハンシング効果という全く逆の内発的動機付けの上昇が存在することも考慮する必要がある。

 さて、ここからは、アンダーマイニング効果とは直接関係ないが、元ネタのTweetでいうと、店長の『金目的の従業員とかいらないわ』という部分において感じたことを書いてみる。
 コンビニ店長(多分フランチャイジー企業の社員とかでない限り=オーナーかと)が一般的な独立系の零細企業と感覚的な違いがあるとはいえ、自身の経験から言えば、そういった企業において(といっても3桁も行ってないけど)『金目的』の労働者を不要、もしくは毛嫌い、忌避する使用者は、使用者自身、結構カネにがめつく、およそ外部から見れば『金目的』と捉えざるを得ないことが多かった。
 少なくとも当時現役の『金目的』の労働者云々といった傾向を持った使用者のなかでジャータカ(うさぎが自ら焼肉になろうとする話)のような古風な考えを持っている者にめぐり合ったことはない。
 使用者の『金目的』は労働者のそれと違って支出と収入の構成が違う関係上、様々なタイプが存在するが、もっとも多いのは、事業体すべてが自分の物であると考えているパターンである。
 この場合、よく比喩的な意味合いで雇い入れた労働者を「奴隷」と表現する向きがあるが、個人的には、使用者にとって雇い入れた労働者は私有物(店舗什器や備品など)であるという認知さえなく、それよりはるか下の「供物」だと考えているように感じられる。
 そもそも「供物」に対価を払う必要などない。
 仕方なくカネは出すが、それは「ほどこし」であって、当然「ほどこし」を目的とする物体が欲しいとは思わない。
 次に多かったのは、『金目的』の労働者を雇って使用者が嫌な思いや大きな痛手を受けたパターンである。
 事例として同情の余地がある場合もありはするが、大きく分けて使用者が『金目的』で「山分けしようぜ」などと甘言でおびき寄せた挙句、組織全体が『金目的』の者しかいないというパターン、使用者がカネに執着があるかに見える(言動なので「もうけ」とか「利益」とかを連発するなど)割りに、例えば現金商売における着服等の金銭的リスクに無頓着である昔でいうと才覚、現在ではどちらかといえばシステムに不備があるパターン、使用者が自らの組織で働く意味を根本的なところから理解してもらえていないパターン(ありていにいえば企業理念とかに言い換えられるが表面的なものではない)などが挙げられる。
 基本的にいかにきれいごとを並べたところで限りあるパイを使用者、労働者双方が分け合う関係上考え方や意見が相反するのは当たり前であり、それをいかに調整していくかが重要なわけだが、先述のパターンはいずれもその相反する事象を放置したり先鋭化させてしまう要因だといえる。
 とはいえ、先述のうさぎのような行動が望ましいかといえばそんなこともない。
 うさぎ(に限らず登場するどの動物も)に悟りに至る修行徳目があるがゆえに焼肉になったりしなかったのであって、多分、組織や企業などにはそれがなく、単に焼肉になり、旅の僧は帝釈天になることもないのかもしれない。
 結局のところ、何ごともほどほどでなければならないとしかいいようがない。

 さて、Tweetの内容から俎上にあがっている問題点というのは、「人手が足りない」ということである。
 その問題点を解決するには、「ボク」の言う「目的はどうであれ仕事さえすればそれでいいかと」で概ね正しいと思われる。
 フランチャイズオーナーとして現場を回すことは契約上第一義であることを考えれば当然であるかに見える。
 が、残念ながら、支出面から考えると、人件費というものは順番からいって本部に支払うロイヤリティ等々などよりもずっと後回しにされてしまうことが多い。
 「ない袖は振れない」といえば聞こえはいいかも知れないが、裏返せば、フランチャイズオーナーとしてカネにだらしなく計画性がないともいえる。
 最近でこそあまり取り上げられることはないが、コンビニなどの小売に限らず、売上減→首切り→売上減→・・・といった負のスパイラルと呼ばれる構造から目を背け、「金目的の労働者などろくなもんじゃない」と脳内がきつねとぶどう状態である可能性も考えられる。
 よくある話としては、「人手が足りない」「それに割くカネがない」という矛盾を自己解決不能な状態で矛盾したまま放置した関係上、後戻りできずにずるずるとそのまま落ちていってしまうパターンなのだが、独立系の零細企業などはあるところでバンザイせざるを得ないのに対し、フランチャイズの場合は事情が異なる。
 フランチャイズオーナーは生ける屍になろうとフランチャイズオーナーであり続けなければならないゾンビのような存在でもあることを覚悟の上で本部と契約したのかといったオーナーとしての資質が問われかねないレベルにそろそろ到達しつつあるのかもしれない。
 どことは言わないが、バイトに対し「俺が養ってやっている」と豪語し、客が並んでいても絶対にレジに入らず、挙句に飲酒運転でひき逃げして数ヶ月休業なんてコンビニもあったりする(特定しないでね)がそんな店長の店のようにならないことを望む。
 また、周囲のコンビニの時給に比して格段に安いわけでもなく、客層や時間的な客のばらつきが特殊でもなく、日販もさほど変わらない(ブランド別の平均日販の補正は必要だが)にもかかわらず、自店のみ求人で人が集まらないのは何らかの大きな問題を抱えていると考えていいだろう。
 それが何なのかは分からないし、独立した個人商店でない関係上、思った以上に客さえ明確に言語化できない領域でその店を避け日販を押し下げているという謎な状態であることも多いと聞く。(どこのブランドの話だとは書かないが。)
 こういった状況の中で、時給を上げれば、すでに正しい需要供給曲線ではなくなっている以上、労働者の労働に対する対価という『金目的』ではない何か別の『金目的』の者が群がる可能性は高い。
 過去に時給を上げて失敗した経験があり、その結果から得た教訓がさも自らが真理であるかのごとく『金目的の従業員欲しいと思う?』と語り始める程度の認識にしか至らなかったのだとすれば、浅慮に過ぎるといえるかもしれない。


 結局のところ、いかような考え方を持っていようと別に構いはしないのだが、それが許されるのは事業としての弾性域であって、降伏点までに問題があれば何らかの修正などを行ってもとに戻さなければならず、それを超えた塑性域では予断を許さない状況であり、重要かつ根源的な選択を迫られていると考えた方がいいのだろうと思う。
 「ボク」の所属する店のオペ(財務なども含めて)がどの領域にあるのか分からないが、それを見極められるのは「ボク」だけだろう。
 また、たとえ悪い方に転んでも、13階段を登っていいのは「店長」だけであって欲しいと思う。
 それはまぎれもなく、フランチャイズオーナーにとっての契約と責任と自由と義務だからであり、その中に「ボク」を巻き込むことは含まないからである。