穴というと星新一を連想してしまう。
 あのショートショートを読んで以降、穴というものは密かに埋めてしまうためのシステムというより、逆に広く知らしめるためのシステムである方がイメージとして先行してしまう。

 世間的にあまり評価されていないように感じるが、今回の博多駅前の陥没事故において事故の予見、判断およびそれに伴う人的被害が出なかったことはすばらしいことだと思う。
 事実、近隣のライフラインの寸断やそもそも地下鉄工事の遅延も避けられない(どこかで帳尻を合わせてしまうかも知れないが。一応地下鉄の開業時期に変更はないらしいし。)ことを考えれば、事故そのものは決してほめられたことではないのだが。
 ぶっちゃけてしまえば、リスク管理の観点から言えば、事故は起こるのが前提である。
 ある意味、無事故で終えるという事実は、確率的には幾ばくかの事故の可能性があったとしても、有限の数において起こらなかったというだけであり、例えば確率が同じ事象において事故が起こったか起こらなかったかという結果のみを評価するということは、正しいサイコロをふって6が出れば賞賛され1が出ればクソミソに叩かれるといった状況とあまり変わらない。
 一方で、事故という事象で捉えるとして、その事故において原因、条件は確実に存在する。(物理法則などを越える場合は除くべきだろうが、多分、土木の世界ではそれはないと思われる。)
 何度か書いたNEXCO西日本の落橋事故においても事故の確率などとは別に明確な原因が存在するわけで、今回の件についても、日経コンストラクションの記事(11/12)に原因と考えられる事項が挙げられているように、現実に発生した事故そのものが原因によって確率的にしか発生しなかったというわけではない。
 その原因を取り除いておけば先の事故の確率とは無関係にその事故は防ぐことができたと考えられることが、混乱してしまう要因の一つだと思われる。
 また、事故の予見、判断といった初期対応に関しては、事故と一体であるとみることもできるが、先述のとおり「すばらしい」と表現できるのは、リスクマネジメントとして別々にして考えるという発想から来る分離された事象に対してのものである。
 こういった捉え方の違いという面倒臭さが様々な箇所の書き込みを見ていると思った以上にぐちゃぐちゃでさらに双方が理解し合えないという悲しい実情が浮き彫りになっている気がする。

 さて、事故直後に福岡市長が『はらわたが煮えくり返っている』と発言した「方が」話題になっているが、当然それを言うことがメインだったわけではなく、謝罪も管理責任についても明言している。
 こういった伝言ゲーム的な現象は、おもしろおかしい方が報道記事として目にとまりやすいことに起因することも大きいのだと思われるが、なぜそういった発言がなされたのかについてはあまり考察されているようには思えない。
 多分、自らが管理・監督の責めを負いそれゆえその責務を果たす側であると同時に、地下鉄関連団体の長として管理・監督の責めを負う者に対して事故を糾弾(そこまできついことは権限上難しいのかも知れないが)する立場の双方を有するからであろうと個人的には想像するが、当該発言の記事においてはそういった部分には触れられてはいない。
 結果的に、伝言ゲームで『はらわたが煮えくり返っている』という部分だけが一人歩きしてしまえば、人によっては当事者意識に欠ける、などと評価する者も現れかねない。
 若いころから市長職を続けているだけあって、一般の政治家と比べフットワークが軽いためか、本人のFacebookで事故復旧に関して情報発信をされており、旧態の政治家とは一線を画しているように思え、非常に頼もしい限り(上から目線だなぁ、おい)だが、はたしてジジババに彼のあふれ出る熱意が伝わっているのかどうか分からない部分ではあろうかと思う。

 一方旧態かどうかは分からないが、自民国対委員長が『朝、国対で『井上が歩いたんじゃないか』という話になった。』という発言で物議をかもしている。
 およそ政治的な世界において与党における失言が公私共に増えるという現象は緊張感が失われたことによる綱紀の緩み(悪意のある言い方をすれば地が出る)が一因であると歴史的に語られることが多いが、彼がそういった意味で歴史に名を残すのかどうかは未来の歴史家が判断するのだろう。(気さくで敵を作らない人だと聞き及んでいたのだが)
 個人的に、事故に絡めてジョークを言うのはその内容のセンス云々(例えばブラックジョークとして機能しているのかどうかとか)は別として、自らの直接的な責任と地場の井上議員との関連性から考えて個人的な話として捉えれば判断されるのは好き嫌い程度の問題としていいように思う方だ。
 ただし、立場としてただの一私人として扱われるわけではなく、一挙手一投足が国会議員として扱われ、評価されるという部分については留意する必要はあるだろう。
 今も代表させていただいている国民の誰かが必死になって復旧に努めていることにも配慮する必要があると思われる。
 で、個人的に救いようがない部分は『朝、国対で(中略)話になった』ところだと思う。
 国会対策委員会は茶話会以下か?小学生が休み時間に机の周りに集まってだべっているレベルなのか?と有権者に感じさせてしまいかねないことに重大な問題があると考える。
 多分、後々ジョークに対して配慮がなかったとか発言するのではないと思われるが、それでは「傷はそこじゃない。血が噴き出しているのは別のところだ。」と予測してみる。
 まぁ、き○○い発言を繰り返す某老人と比べて、氏は井上氏に対し、国政をつかさどる者として市政の領域であっても地場の政治家という立場として事故に対して当事者意識を持てという含意としての表現といった意味を持つ(そういう意味では実はジョークではない)とも考えられるため、かなり練られた比喩表現ではあるのだが、如何せん自爆ネタに姿を変えてしまったのは悲しむべきところなのか、なんとも表現しづらい。



 さて、ついで扱いというのも不謹慎な話だと思うが、ただの雑感を。
 一報を聞いたとき、地下鉄っていうことから、圧気シールドかNATMあたりで圧をかけすぎたとかヘマをやらかしたんかいな、と思っていたらあまりに穴が大きくて、なんやこれは!とか思ってしまう規模だったという。
 座学に過ぎないが、よくあれだけの規模の陥没を引き起こした事故でありながら人的被害がないのは正直感動してしまった。
 福岡市長のFacebookで穴の水を抜かない理由が述べられていたが、個人的には、ああ、そういうところからなのね、とか思ってしまうと同時に、これはこれで仕方がないとも思った。
 およそ、現場に精通した者以外のしろうとにおいて、1)座学など何らかの形で知識として持ち合わせる者、2)水が溜まっていると吸水に伴う強度低下や洗掘などの恐れがあると想像する者、3)いわゆる逃げ道のない溜め桝と同じと考えて水があふれると想像する者、4)何も感じない者に分けられるように思う。
 およそ、2)については、他の道路陥没のニュースなどを見ていれば近年水道管の破裂が原因であることが多いため、水を抜いて(というかあふれた水を処理して)管を直す的なイメージ、および砂あそびで穴を掘ったところに水を入れると壁面が崩落して穴が浅くなるのを体感的に覚えているからというような状況から判断されているように感じる。
 しかしながら、今回のような場合、工学的な説明を面倒なので端折ってしまうとして、周囲の土圧を水で持ちこたえていることを考慮する必要があるため、抜いていいとはいえない。(水を抜いても持ちこたえる可能性も数値的にあるかもしれないが、不確定要素が多い中で安全側を取るのが定石ではある。)
 およそ、座学でも掘削後の壁面が急激にはらんできたらどうするのか?という問題に対し、支保を追加するとか土のうをぶっこむという解答では不十分とされる。
 時間的に間に合わないかもしれない、人が巻き込まれるかもしれないということを考慮すれば、水を張るというのが適切な答えらしい。
 ただし、その掘削形状や時と場合にもよるわけだが。
 とはいえ、こういった土圧を生活の中で体感できるヒントというものが思いつかなかったりする。
 世の先生方はこういった部分にも楽々と対応しているんだろうか、とか思ったりする。
 ちなみに3)あたりになると、子供時代に砂遊びやどろ遊びをしてこなかった層がある程度含まれるようになってくるし、中には地下水という概念が欠落している者も現れる。(要は、土と水の双方が存在している様々な状態、性状というものを体感的に理解できないために、穴の内部に見える水面を構成する構造はボウル状の汚水溜めという固定的な境界面に囲まれていると認識してしまう。)
 こういうのは、、、、、
 適当に何とかしてくださいとしか。
 あと、穴に放り込んでいるものは、ある意味コンクリートである意味土っぽいなにかというようなソイルセメントコンクリート(報道では流動化処理土と言っているのだが、違いについてよく知らない。多分同じだと思うのだが・・・)を使っているっぽい。
 で、技術的な話はここでも飛ばすとして、単に土とセメントを混ぜればいいというわけでもなく、それなりの技術が必要なシロモノであり、福岡市長のFacebookにもその調達の大変さがしのばれる。
 ここでも日曜大工的にコンクリートを自分で練ったことがあっても想像しにくい部分ではないかと思う。
 料理でいうところの隠し味的な分量の部分(混和剤とか。ただし、それによって隠し味どころか劇的に性状が変わったりするわけだが)がその原因として大きく効いていそうな気もするが、実際の需給状況が分からないのでなんともいえない。
 実際のところ、隠し味を持ってきても簡単にどこのコンクリート製造工場でも生産できるというわけでもないわけで。
 あと、一刻を争う応急復旧工事であるため、一般的な配合とは違うとかといった特殊性もあるならば、それも影響しているのかもしれない。
 いずれにせよ、現地の早い復旧と平穏な生活が取り戻せることを願ってやまない。