昨日のWBS

 世の中で参政権がない海外の者から批判に晒されている、とりあえずまだ政治家ではない者というのも少ないんじゃないだろうか、と思えるのはトランプ氏だろうか。
 同じ土俵で捉えていいのかどうか分からないが、例えば企業のトップに一部の領域から極端にネガティブに認知されている者が就いたとして、その者が影響力を発揮してしまうならば、ネガティブに認知する者がネガティブだと想定する組織の流動性、それに伴う組織、ひいては企業全体の組替え、業界全体の変化につながる。
 この際、既得権益の関係などで変化をどうにかして押し留めたい層はあの手この手で批判なり嫌がらせなり恫喝なりを行うわけだが、逆に外部から観測した状態であるにもかかわらず、それらの現象が確認できるならば、何らかの形で変化が起きようとしている、と認識することに不都合があるわけではないのではないかと思う。
 ただ、結果として現状が維持されるのか変わっていくのかは、そのときになってみないと分からないわけだが。

 で、WBSでキヤリアのメキシコへの工場移転をトランプ氏が撤回させたことが報道されたのだが、感想からするに、法体系が違うことによる違和感が先に立ってしまう。
 日本国内であれば、一私企業に政治家が企業行為を制限するとか一私企業に政治家が減税してしまうなどは常識的に不可能だと感じるのではないかと思うからだ。
 ただ、その心理的ネガティブさに付け込んで批判するのもお門違いというもので、キヤリアの件で即刻トランプ氏が何かの法令を犯した咎で拘束されているわけでもないことからすると、ある意味勝手な色眼鏡ということになろう。

 まぁ、それはそれとして、コメンテーターの武田氏から今後の問題点が2点示された。
 1点目は、雇用が減少しているのは海外移転が大きいわけじゃない、というもの。
 フリップで説明されていたのだが、アメリカ製造業の雇用者数の変化(1995〜2008年)は、
  需要の変化    +640万人
  生産拠点の見直し −270万人
  IT化自動化    −780万人
  合計       −410万人
とのことである。
 結論として生産拠点の見直しを押し留めてもIT化が進めば雇用は守れないというもの。
 ただ、生産拠点の見直しを行わなければIT化や自動化が進まないわけでもなく、数値的にマイナスに寄与する部分があるからといって五十歩百歩で無意味だといえる案件かどうか、という部分があろうかと思う。
 事故で50人助けようと100人助けようと死者が出れば世間的には叩かれることに変わりはないだろうが、助けられた当事者にとってはその事実を受け止める者が倍もいるということでもある。
 経済指標をマクロ的数値でのみ推し量るか、ミクロのレベル(個人)に落とし込んでそれを織り込むのかは、立場によって重要性が変わってくるかとは思うが、手法として手をつける者がいなかった流れを断ち切ったという意味で新しい試みであろうと思う。
 それにしても、普通にパラメータを3つ与えられて課題達成型の問題(ここで言えば合計値を増やす)を解く場合、それぞれのパラメータの変化に寄与すると思われる要因の抽出、方策の立案などを行うことになろうが、少なくとも「IT化自動化」に関しては、「IT化自動化」に国策として制限をかけるとか、「IT化自動化」の設備投資が売上の何パーセントかを超過した場合には強制的に雇用を義務付けるなどの本質的な資本主義的経済活動とかけ離れた施策ぐらいしか思いあたらない。
 そもそもそんな形で雇用された者が幸せであるとは思えないし。
 「需要の変化」は基礎研究や新規事業の創出に力を入れる、またそれに関連する投資を呼び込むことで底上げすることが可能だろうが、即効性の方法はあまりなさそうに思われる。
 一方、「生産拠点の見直し」は高々300万人弱だとはいっても結構な数である。
 さらに、工場閉鎖などという形で目に見える点から考えれば、即効性が期待できる。
 ただ、ドルが高くなり国内事業の競争力が損なわれるようになれば事業継続そのものが不可能になってより失業者を増やす結果になる点に注意する必要はあるのだろう。
 と、考えてはみたものの、表面的にそうだというだけで、連関する様々な要因を考慮していけば、その良し悪しの判断はいろいろと変わってくるのかもしれない。
 減税と国内市場の活性化、雇用創出といった考え方だとすると、真っ先にレーガノミクスを想像してしまうのだが、同様に考える学者の方もいらっしゃるようで、レーガノミクス末期の財政危機による増税という結果の轍を輝かしい成功を収めた屈指の財界人が踏まないためのいかなる方法が想定されているのか私は興味がある。
 あと、「生産拠点の見直し」ができないコストを「IT化自動化」で吸収させるということを言っていたが、「IT化自動化」がそもそもタダでできるわけでもなく、極論すれば、「IT化自動化」ですべてを吸収できるのであれば、そもそも「生産拠点の見直し」をせずともよい、または拠点の国内での統合程度で落ち着くはずであろう。
 自動化やIT化が登場しもてはやされたころ、それらが海外の安い人件費を凌駕すようになれば、生産拠点はどこでもよくなるし、為替が重要ならどこ、税金の問題があるならばどこ、土地の問題ならどこというように雇用問題に縛られなくなると夢物語が語られたわけだが、それから何十年経ってもそんな時代はやってこない。
 そして、ぶっちゃけた話、トランプ氏が大統領在任期間中にそういった劇的な経済的社会的変化が完了してしまうとはさすがに思えない。
 そういう意味で、なんとなくトランプ氏の方が相対的比較という意味でまだ現実路線なのではないか、などとさえ考えたりした。

 2つ目は、保護主義政策によって関税の問題などとからめ、輸出入の減少、経済の低迷によって増えていた雇用を減らしてしまう、というもの。
 これは、確かにあるかもしれない。
 ただし、雇用すべき母数を減らすという考え方もなくはない。
 使用者にとって立場的に弱く力関係的に使い勝手のよい労働者として企業が重宝してきた事実とどこまで離別できるか問題ではあろうが、法的に移民扱いになっていない人(不法移民と報道されるが法令に違反しているのかどうかアメリカの場合勉強不足のためよく分からない)を一部国内から退場いただくという考え方で対応することも可能ではあろう。
 また、身近な公共事業へ投資することで雇用を増やすという方法も、極端に高度な工事を避けて、国内業者を優遇していけば国内にだけカネが落ちて循環し、雇用と消費を増やす即効性のある方法だろう。
 いずれにせよ、脊髄反射的に保護主義ならうまくいくんじゃね?としたわけではなく、それなりにデメリットも認識した上でその抑えを入れてきているようには思う。
 ただ、その思惑どおりにことが進むのかは分からないが。



 あと、トレたま
 今回は、口を開けた紙パックを寝かせて冷蔵庫に入れる器具というものだったのだが、冷蔵庫の空きスペースの有効活用がどうこうというよりは確かに映像からすれば庫内の整理が先かもしれない。
 個人的には、夏とかに1リットルパックのニアウォーター系飲料をデスクの上に置き、ある程度時間をかけて少しずつ飲む、みたいなことをするのだが、倒してしまう危険性を考えるとあまり気持ちのいいものではなかったりする。
 そういう意味で、もう最初っから倒しておけばよくね?という発想で、これを卓上で用いるなら形状などは変わるかも知れないが使い勝手はありそうな気がした。
 まぁ、それでも安心感が災いして注ぎ口の上下を逆に置くと地獄を見そうだが。
 それと、激しく個人的な感情だが、シーブリーズを冷蔵庫で冷やすのやめよ?
 分かるんだけど、いろんなこと思い出して悲しくなるから。