「祥」事

 年間大賞もそろそろ終わりに近いのだが、昨日23日に「ブラック企業大賞」が発表された。
 ブラック企業というものをいかに定義するかによって結果はかなり違うものになるはずであるが、ここでは、

ブラック企業には幅広い定義と解釈がありますが、「ブラック企業大賞」では次のようにブラック企業を定義し、その上でいくつかの観点から具体的な企業をノミネートしていきます。
ブラック企業とは・・・・①労働法やその他の法令に抵触し、またはその可能性があるグレーゾーンな条件での労働を、意図的・恣意的に従業員に強いている企業、②パワーハラスメントなどの暴力的強制を常套手段として従業員に強いる体質を持つ企業や法人(学校法人、社会福祉法人、官公庁や公営企業、医療機関なども含む)。

と定義しているため、基本的に企業対労働者としての構図を通じたブラックさを評価する形となっている。
 このため、受賞企業も昨今の世情を反映する形で過剰な長時間労働と制度的なピンハネといったカテゴリに属する事案が主体となっている。
 また、昨日のWBSでは不祥事に揺れた企業としてDeNA三菱自動車等を挙げていたが、これらはステークホルダのうち、消費者、ユーザ、株主といった立場の者に対して大きな影響を持つ意味で、先のステークホルダのうちの労働者に対してではない対象との関係性からブラック企業だと言っても差し支えないのだろうとは思う。

 で、基本的に「悪いこと」に優劣をつけるのもある意味変な話で、「悪いこと」の事案のなかで「よいこと」とすることができるわけではないことからすれば、すべからく「悪い」ことに変わりはない。
 あえて特定の対象にスポットをあてるのは、社会的な啓蒙が主体であることが挙げられるだろう。
 それこそ企業不祥事等を蒐集するのが趣味(なりわいとしていない)といった特殊性癖でもない限り、自身の身に置き換えて判断することで怒りや悲しみを感じることはあっても、自らがその境遇に陥る等の当事者となる可能性について企業、およびその周囲(ステークホルダだけに限らない)全体を含めて真剣に考えることはなかなかないように思うからだ。

 それにしても、「不祥事」というのはかなり都合のいいことばで、「悪事」と報道すると、すわ法律が裁判がなどと叫ぶ者が発生しかねないことを回避する魔法に近いように感じる。
 実質的に「祥」は現在では「よろこばしいこと」を意味するため、「不」で否定すれば、「喜ばしくない」ということである。
 これは、ギャクがすべって笑えない話ではなく、「喜ばしくない」ことの理由はおよそなんらかのネガティブな要素が存在するがゆえに「喜ばれない」と考えていいように思う。
 で、婉曲的にではあっても、結局は「悪い」ことを表現しているのだが、まぁ、利用においては色々あるのだろうとは思う。
 ちなみに、「示」と「羊」でなぜ喜ばしいのかというと私もよく知らない。
 もともとは、「羊」を用いた神事(「示」)を指すわけで、その目的は、将来の予測などといったものであったり、いわゆる羊神判といった原始法体系のような領域であったりする。
 そういう意味では、その行為と結果自体に一方しかないわけではなく、吉凶、善悪をすべて含むものであったろうと思われる。
 それがなぜよいことだけになったのかは分からないが、とりあえず、平安時代レベルの古語ですでにそうなっているので、まぁ、そういうことである。
 最近は機械的に漢字変換ができる関係上間違えることはないと思うが、昔、「不詳事」というのを見かけたことがある。
 確かに現代の法体系に基づき判決が言い渡されることで名実ともに「善悪」が判断されて公言できるとするなら、その段階に至っていない事案はすべて「よく分からない」という意味でもいいのか、などと感心したことがある。
 以前にも少し触れたが、個人的には、こういった用いられ方も、ブラックよりもさらに上位の領域とブラックとを分離して扱うことで当り障りなくやっていこうとしているところが見え隠れすることに、一抹の不安を感じたりする。
 法に触れなければ法によって裁かれることはないが、必ずしも悪でないわけではないことを認知する必要がある。
 正確には、足りていない者には必要がある、ということなのだが。



 個人的には、同様なジャンルではあるのだが、以前「市に禍を買う」ということを書いたように、例えば、好んで浅慮な失態を犯し無様にのた打ち回るような事例という非常に恰好悪い企業を挙げてみるのもどうかとか思ったりする。
 私個人としては今年一番インパクトがあったのはホクレンだったりするが。