便乗ではなく後出しじゃんけん

 興味がある内容として「論点 「ら抜き」言葉、多数派に (1/13 毎日新聞)」という記事を読んで、見事に感想も何も書かずにスルーしていた(単に時期的には、ネタ元の文化庁側の話に持っていくとそれはそれで古すぎるし、既にネタにしてしまったので)のだが、dlit氏の「2017/1/13日付毎日新聞論点「「ら抜き」言葉、多数派に」の記事に便乗してことばの規範性の話」という記事を読んで後出しじゃんけんのようなことをしてみたくなって、書いてみることにした。
 が、dlit氏の方向性とは真逆でネガディブ方向に振れていたりするのだが。

 まず、なぜ新聞記事側をスルーしていたのかというと、しろうと目というか理解力不足のせいか私にはdlit氏の言う『複数の立場からの見解を丁寧に載せて』いるとは思えなかったから、というのがあり、さらには、どう考えても本論と関連性があるとは思えない記述が存在することで、多様な論点というよりバンドパスフィルタと増幅器が見え隠れするのが苦痛だったりしたのが主な要因だったりする。
 それとは別に、考察の深浅は明らかではあるにせよ、私はdlit氏の「正しい日本語」のあり方(あり方が「ある」ではないというのも「あり」なわけですが。)に賛成なので、本質的に新聞側の記事に対する捉え方や行動としてある程度符合する部分があってよさそうなものなのに全く違っているのは、なぜなんだぜ?(焦)などと思ったために、とりあえず、完全スルーではなくて、私自身が記事を書いてしまえば私のどこに問題がありそうなのか(まぁ、あらかた分かりそうなものだし、ってそれをいったらおs(ry)が分かるかな、分からないかな、とか考えたわけである。
 まぁ、あと、当の新聞記事を書いた記者が「業」として日本語を不特定多数にばら撒く者として「ら抜き」を今後使うのかどうなのか宣言はしないのか?他者にどうなんですかと聞くだけが仕事だと思っているのか?とかが見えない(一介の記者にそんなことができないことは分かった上で書いているのだが)のも萎えてしまった要因の一つではあるのだが。
 どうせなら、記事中に「ら抜き」「ら入り」(逆は「入り」でいいのかな?)を忍ばせて意思表示をするぐらいあってもよさそうなのだが、そういうところはなかったりで、かなりがっかりもしたわけではある。(求めどころが違うといえばそれまでだが。)

 で、何か取っ掛かりになるものがないかと、金田一秀穂氏と梶原しげる氏のことばを何度も読み返してみた。(1名は当人のイデオロギーに繋げているため、たとえ有用な論点が含有するとしても個人的にはFラン三流の矜持としてオミットする。)
 金田一氏は講演などで直接話をお聞きしたことすらないのだが、TVや著書などをちょい見したり拾い読みしたりすると、ご本人の研究内容や知見はすっ飛ばしてしゃべったり書いたりしていることも時と場合を選んでかなり大きな振れ幅でやっていると思うし、それゆえ活躍の場が広いのだと思ったりしていた。(くだけたキャラクターによるところも大きいかとは思うが。)
 また、あくまで感覚的ではあるが、意図的な発言の抽出や引用などに対してかなりおおらかなのではないかという印象を受ける。
 というのも、氏が強烈な気分屋であれば別なのだが、ほぼ同じような内容について同じような堅さの掲載誌(紙、Web記事も含む)であっても、無茶苦茶に散漫で説明不足に感じる場合と一言一句無駄がないんじゃないかと思えるようなしっかりした内容でありながら、全体として柔らかさを感じるものであったりと落差が激しいように感じるからだ。
 ちなみに、この新聞記事は、かなり説明不足に感じる部類だと思う。
 ただ、記事生成に関する当該新聞社の内部システムが分からない関係上、そういった記事になった理由は分からないし、私個人の幻覚かもしれないので置いておく。
 梶原氏の記事は、氏自身の感想が全体の文章量に比して少なく、内容的に記者が調査すれば書けるような内容も多いことから、あらかじめこういう方向性でお願いしますという形態で取材しているのではないかと感じた。
 また、アナウンサーという「話しことば」とか「言語の音声表現」を「業」とする者として「ら抜き」を今後どう扱うのか、どうすべきなのかについて主体的に突っ込んで書かれているのかと思って読み進めると1行しか言及していないのにずっこけたところもあるかもしれない。

 金田一氏の説明不足がどのようなものかは、氏を詳しく知らない者である私が書くのも甚だ失礼な話なのだが、少なからず、先の新聞記事においては、専門分野である外語のなかにおける日本語、およびその言語教育という観点、言語の認知や行動学という観点から言語をとらえるという考え方がごっそり抜け落ちているように感じた。
 脳内でこういった氏の専門分野等を補完しながら読めれば非常にすばらしいことを言っているように感じるはずなのだが、字面だけを追うと補完できない者が読めばどう感じるのだろうという気持ち(逆の立場からすれば、私自身が十分に補完できていないために十分に理解できていないという恐ろしさにもなるのだが)が先に立って読んでいて負担になっていた気はする。
 補完という意味で気付いたところとしては、例えば、『そもそも「正しい日本語」など存在しない。日本語は常に変化の過程にあり、基準となるべき指標はないからだ。』で例外なく断定的に、かつ話題としてもぶった切っている。
 しかしながら、文章の論理構成からすれば、その後にくる氏の著作の1つでもある『心地よい日本語』はじゃあ正しくないのか?ということにもなりかねない。
 また、『「正しい日本語」以上に僕が大切にしたいのは』というくだりからすれば、存在すらしないものと比較して以上も以下もないという謎な構造をさらしてしまっているところからして、かなり雑な編集だなぁ、と思えてならない。
 手前勝手な作為的見方ではあるのだが、新聞記事の著者が「正しい日本語」というものにおいて、dlit氏の『「正しいことば」とされるものはあり、それは誰かが決めている。』ことに対して信条的に是認できないという観点から文字を起こしているように感じた。
 これは、限りある紙面のなかで『「正しい日本語」について、学者や文部科学省が指針を示すことなどできるはずがない。』という部分が残っているところにも表れているように感じる。
 先のとおり、氏はフランス語やポルトガル語などの基準や規定に関する内容など熟知しているはずで、その国、言語圏の実情にあわせてできること、できないこと、やらなければならないことも分かっているように思う。
 多分、氏には「ら抜き」のみならずこと日本語において、何が決めることができて何が決められないのか、そしてその決め事が実効性を持つ意味、理由およびその限界などに関して専門家として一家言あるのだと思われるが、そこはしゃべっていないのか、記者が理解不能ですっ飛ばしたか、信条的に記事にできなかったか、または別の理由なのかは分からない。
 まぁ、その後に続く『逆に「消えゆく方言文化を残そう」などといって残せるものでもない。』というのは、EUなどの少数言語保護法制などを真っ向から否定しかねない話ではあるのだが、これも分かった上での自虐的発言だという意味で、何となくTVで拝見するイメージなしゃべり口調で「あぁ、言ってそうだなぁ」などと思いはしたが。
 また、『言葉は往々にして、言葉通りとは異なる意味を伝える。夜遅く帰宅した娘に父親が「今何時だと思っているんだ!」と言った時、「11時です」と答える人はいない。「ごめんなさい」が普通の反応だろう。』というくだりも、字面だけからすれば「11時です」と答えることはあらゆる事項において正しい意味が伝わっていないのか、「ごめんなさい」とは逆に「うるせえジジイ!○ね!」と返すことは、あらゆる事項において正しく意味が伝わっていて、その意味に対する娘の行動における認否というパターンの違いだけなのかを表面的に考えてしまうかもしれない。
 しかしながら、それは、氏の専門分野である行動学等の考察から言語を定義し扱うことによって紐解かれる話であろうし、また、そういった面倒くさく難しい箇所は切り飛ばしてしまったのかもしれない。
 感じとしては、下段の『心地よい日本語』に持っていくのであれば、前段の『「正しい日本語」以上に僕が大切にしたいのは「言葉の本意を受け取る」ことだ。』というところから繋げるために言語の役目や機能、構造などに降りていく必要はあるのだろうが、そういう概念的なのは記事にそぐわないだろうということで別にして、もっと的確な事例が氏から提示されていたのではないかと思ったりしたが、そもそもそのインタビューに立ち会ったわけでもないのでまるっきり想像の域を出ないし、その事例も思いつかなかったりする。



 で。
 結局書いてみて思ったのは、ただの追認バイアスかい、ってところかなぁ、とか。
 あと、私自身、過去に受容がどうのとか書いていながら、その実dlit氏のいう『寛容な人』ではないのだな、とか。
 だって「官窯」、じゃないや、「寛容」ならこれだけぐだぐだとツッコミを入れないだろうし。(あまりにひどい誤変換なので残しました。)

 やっぱり、行き着く先は自己嫌悪(後出しじゃんけん)しかなかったか・・・・・




 えと。
 話はほとんど関係なくなるのだが、「ら抜き」がネガティブだという考え方(例えば、記事内で言えば梶原氏の1995年の国語審議会)が法的拘束力がないとしても、何らかの形で提示されることで、使用者の増加がどの程度抑制されたのかを物理モデルで予測、検証とかできれば面白いのに、とか思ったりはする。
 こういった知見を集約して時間を逆にたどれば、言語の進化のミッシングリンクに触れられるかもとか思ったりしたが、多分、誰かやってそうだ。