小学校より前

 増田ネタ。
 タイトルがないので1行目ってことで「保育園にかよってたとき、なぜかしらんが保育園は全部無料だと思っていた」ということにするが、内容は「保育園の頃がよかった」という話である。

 で、それはそれとして、以降「わたくしごと」だけを書くことになる。



 私は、保育園は行っていない。
 そして「なぜか」幼稚園だけに行った。
 自身の中で現実と乖離しているとしても「なぜか」と感じてしまう理由になっているのか断言できないが、幼稚園にいた当時、幼稚園に併設(なのかな?詳しい組織構造は今となってはよく分からないが)されている保育園あがりの園児が多かった。
 そして、その状況において、もうこの時点で学歴差を見せ付けられているようで引け目に感じていたのを覚えている。
 また、それをより先鋭化させる事実を肌身をもって感じていたのは、増田のいう金銭的問題だろう。
 私は増田の認識と残念ながら違っていて、それは、私自身が幼稚園児というある意味製品に湯水の如くカネが投下されていることを口撃され続けていたからだ。
 私の場合、増田のいう『なぜかしらんが』ではない理由は親から懇切丁寧に骨の髄までそれを叩き込まれたことによる、といえるだろう。
 逆に、保育園あがりの者たちといっしょにいると、今思えば相手の家庭の年収や経済的裕福度などがどんなものなのかという認識は当然ながら当時の自分にとって持ち合わせていなかったが、自身と比較して、少なくとも、その所属する組織(ここでいえば幼稚園)や年齢における金銭的認識とそれに伴う行動制限の健全な少なさ、思考、論理形成の制約事項の少なさからくると思われる柔軟さに常に引け目を感じていたのも事実である。
 とはいえ、そんな小賢しい理由付けを当時の自分が行っていたわけではなく、当時の断片的な感覚、感情、勝手に感じていた限界、壁のようなものに後からつなぎ合わせて理由付けしたものに過ぎないが。
 まぁ、正直なところ、いつの時代に戻りたいかという設問がなされた場合に、自意識の記憶から導くとすれば、いつの時代であろうと自意識自体クソなので、どこにも戻りたくはなかったりする残念さである。

 私は先述のとおり保育園にいたことがないので、自身の体験として保育園に所属するイメージが存在しない。
 ただ、保育園が幼稚園に併設されているような状態であったために親のお迎えがすっぽかされた際には、私は延長保育側の建屋に移動せざるを得なかった。(そもそも幼稚園側はさっさと施錠されてしまう)
 そういった一時的な環境の変化でさえめでたく様々な自らのコンプレックスを発動させていた(例えば、そこの園児に対して年長者としての振る舞いができないこととか。これこそなぜか知らんが年中が年少の面倒を見るみたいなことに園側が結構うるさかった記憶があるので)が、今回の流れ的にいって非常に嫌で嫌でしょうがなかったものの1つは、保育士の方(昔でいうと保母さん)や職員の方にとにかくかまってもらえることだった。
 今考えれば、登園していた保育園、幼稚園が規定する管理レベルというのがそういうものだったということなのだろうと思われるが、当時の私の体験する生活環境の狭さから比較すればそれは極端なレベルの過剰サービスであり、それがさらに有料であるという認識の重さから激しくへこんでいたように思う。
 ただ、まぁそういった心理的変化の結果が表出しているのを察知してかまわれていたのだとすれば、見事な悪循環を成していたのだとは思うが。



 で、なんというか。
 増田が感じているような幸福な時期があるというのは、場合によっては今を生きる上で不幸であることもあるのだな、と思ったり。
 思い返してもどのような時期においてもロクな思い出もなく、一定に不幸に感じてしまうのは、ある意味幸福なのだろうか、などと考えたりした。