多分、激しく意味のない追記と言い訳

 おとといの「改善ポイント教えて」の記事に関する追記と言い訳。
 といっても、何の役にも立たないですが。
 まず、増田の追記と新しいコメを見ると、実はもう一周してマジレスする方が正しかったっぽくて申しわけない気持ちで一杯だったり。(必ずあらぬ方向からウケを狙うことのみが意味があるわけでもなくはありますが)
 投稿時間的に私の方が後なので、私が最新版を確認してなかったのが敗因(何が敗?)かと。
 『26時』どころか、投稿したの27時(午前3時)だったりするし。
 で、要はどうせコメにはどうやってうまく電子化、ペーパーレス化するか、という話になっているはずなので、それ以外の選択肢もなくはないよ、というのを自虐っぽく書いてみただけだったりするので、トレンドから外れていることばかりが抽出されるはず、という方針と予測から構成されているので、個人的には通常運転だが、そういうことだ、ということで。

 増田が追記した『注文書をメールからFAXに切り替え、注文-売上-出庫の一連の作業に流用することで紙を出力する手間を安価に改善できた』という考え方は、真面目な話、電子化を行う際のイニシャルコストではなくランニングコスト側に導入時には気づかないような付加的コストとして被さってくることで、なぜだか思っていた以上にメリットが享受できない、ひどい場合ではコスト増を伴うような改悪だった、などという失敗事例に対して示唆を与える事項だといえるかと。
 とはいえ、電子データと紙媒体との相互変換といった情報のメディア変換がある意味伏魔殿であるがゆえにそれをリスクと認識して避けるのも手ではあるのだが、明確化してリスクでないものに変え効率的で効果的な手法を投入する方法を取れないわけでもない。
 ただ、それもそれで導入するためには考慮すべき事項が多すぎるので面倒臭すぎたりするので、導入コストという段階で大抵うっちゃられてしまったりするのだが。

 あと、『>マークシート。/何をマークシート化してどう処理するの?』というのはちょっと思いあたる節があって、クスッときた。
 要は、紙や電子データ、その画面表示された状態は、媒体やその特性から簡単に移し変えたりできなかったりするが、その媒体に乗っかっている目的から導かれる意味のある情報という概念を考えるとすると、同じものが様々な媒体に乗っかっていると捉えることも可能である。
 そういった考え方で媒体を捉えると、マークシートという媒体は視認性などの直接的、直感的なユーザビリティを犠牲にする代わりに搭載する情報の密度が高められているということになる。
 情報の密度を上げるメリットは、電子データにおいてファイルを圧縮して保管したり転送したりするといった効率化、高速化、省力化に寄与することで、それは紙ベースのマークシートも同様である。
 では、実際に指定領域を鉛筆で塗りつぶすといった紙媒体が離れた拠点間の情報交換に効果的なのかというと、そんなことはまずないと思われる。
 多分、効果的であるためには、コメ主が「マークシート」と表現した媒体がそういったものを指していないと考えた方がいいように思う。
 例えば、大昔には、パンチカード(あの黄色い紙のこと)でプログラミングしたり結果を出力してたりしたわけで、そういう意味では、同様に転送を容易にする手法の1つであるといえなくはない。
 ない、が、何というか、意味があるのかというと今更そのインフラを新規に導入するというのはシステムの可用性からしてどうなの?という気はする。
 コメ主が同時にOMRとかの用語を出してたりするので結構ガチっぽいんだが、既存システムがそこから出発していればいいんだろうけど、さすがにどうかなぁ、と。
 大昔には、CAMのようなものと専用線を組み合わせたパンチカードの遠隔自動穿孔とかの話を聞いた気がするが、今更そんな技術で相手先に情報を送るぐらいなら、FAXで送った方がよっぽど直感的な行動で完結する気がするし。

 最後に、コメの中で増田が触れていないBMSとか。
 多分、コメ主の気持ちはその幹事会社とかセクションだとかのものなのだろうと思う(私は受け身しか経験がないので証拠はない)のだが、A社、B社の取引形態から考えて、効率的じゃないからやめちゃった、というのが関連企業間のEDIシステムや公私孫間のCALS/ECシステムに類するものではないのだろうなぁ、と思えていたので、さすがにそれはないんだろうな、とか思ってしまったりした。
 およそ、EDIなんぞ企業や当事者間の力関係であらかた既定路線が決められてしまうので、ある意味、デメリットだ、効率性だとかくだらんことはどうでもいい、ただやるだけだ、というのが現場レベルの話だったりで、もしそうなら、増田が改善ポイントを考察する行為そのものが存在していないことになりかねないよなぁ、とも思ったので。
 ただし、先入観から選択肢としてはなから外してしまうのもよくないけども。

 いずれにせよ、BPRあたりの領域においては、短期的な目に見える効率性や負荷から考えて悪手だと思える場合でも時に撃って出るぐらいの強引さが推進する部隊に必要だったりすることもなくはないのだが、その方向性の根底に流れる思想が私怨である、もしくは周囲にそう見えることが表出している場合は、多くの場合、そのプロジェクトが足元を掬われるか、そのシステムが乗っかっている組織、企業など自体の足元が掬われるかすることが多いと感じるので、あまり引っ張られない方がいい気はする。