現象論

 増田ネタ。
 「もう裏表のある人の方がまだマシだとおもうようになった」というまんまな話題である。

 で、とりあえず、自らへの戒めも含め、内容とは別の話として書いておきたいなぁ、と思ったのは、現象論も抽象論もどちらも大切な考え方だと思うのだが、それをごっちゃにしたり、考察範囲外の方法で混ぜっ返すのは他者の考え方の受容とはまた別次元の話だと思うので、できればごめん被りたいかなぁ、と、コメを読んでいて思った。
 よくあるネガティブな付帯属性のみを表現した原理主義な特性(増田が示した「原理」ではなくて)をもつ抽象論者やなぁ、と感じた時点で、私も同じ扱いかもしれん、などと、それなりに抽象論側にいつも振れていることを自認せざるを得ない関係上、戒める必要はあるだろう、などと思った次第。
 ただ、当該人物の抽象論は、全体を網羅する記号的表現がなされていないことを指摘しただけで、ではどうあるべきなのかについての解答は示す気がないのか、解を持たないゆえに示せないのかどっちなんだろうとか思ったりもする。
 個人的には、抽象論として用いることが可能なレベルとして定義がされていないのに対立概念かどうかも分からないとは思うし、それ以前に文脈やことばの使われ方のイメージから推察すると、「表裏のある/ない」は定性的特質であって、「一貫性がある/ない」は当該人物の行動、言質、態度などからある一定の時間的範囲を持った外部からの認知であり、これらの認知から定性的特質を推定したプロセスが媒介的に存在すると考えるのが筋ではなかろうか、と思う。
 コメにもあるように、現象として記事が成立し得るものであると考えられる以上、それを適切に表現できない抽象化は実益に供するものではない(供しない論理もあっていいとは思うがその理論を用いて非難されるにはあたらないかと)と思うので。
 って、自分で書いていてイタイわ、、、、

 で、やっと、中身。
 コメに『言いたいことは別のところにあるのはよく分かる』とあるように『どんな理由があろうと一律理屈に合わないから絶対に許さない!/私はどうあろうと一貫してその理屈に殉じます!!!!/って人のほうが、私は怖いとおもう。』という感覚を引き起こす実例として想像すると、実のところ人によって結構ばらけている気もしなくはない。
 そして、それゆえ一般化してしまったりすると逆にその範囲を狭めてしまって陳腐になりそうな気がするので、いろんな考え方ができる、いろんな考え方を包含する形態が適切なところだったのだろうなぁ、と感心したりする。
 個人的に想像したのは、いわゆる躊躇なく「はしごを外す」特質をもった者で、絶対にこうです、普遍です、変わりません、安心して下さい、大丈夫です、と、くどくどと言っておきつつ、平気で何の説明もなくはしごを外し、それを非難すると「ちゃんと説明してましたよ(笑)。私の言動に一貫性がないだなんて言いがかりも甚だしい!」と逆切れする次の取引からボイスレコーダ必須なこまったちゃんだった。
 実のところ、言動が突如として一貫性を失うという特質もその特質が経時的に変化しない場合は一貫性を失う特質に一貫性があるということになりかねないので、難しい表現となってしまっているかもしれない。
 先の個人的な想像に適用してこのケースに関しての定義を勝手にしてしまうと、一貫性とは、言行のうちの「言」についてのみ着目したもので一定か可変かとし、言行一致/不一致との組み合わせで考えると、

       | 言一定      | 言可変
  −−−−−+−−−−−−−−−−+−−−−−−−−−−−−
   言行一致|(1)そんなヤツいねえ |(2)???
  −−−−−+−−−−−−−−−−+−−−−−−−−−−−−
  言行不一致|(3)クソ       |(4)まだマシなんちゃう?

という感じで、ここで(4)をまごうことなき裏表がある特質と定義できると考えていいのだろうか、という気がする。
 で、裏表がない、という特性がどれなのか、どこまでを含めるのかというと、多分増田自身意図してのことだとは思うが、その基準や指針について明記していない。
 私の想像した事例からすると、良否の対比から遡って定義すると、(3)を中心とした特質、ということになろうかと思う。
 また、当然ながら別の事例においては、コメにもあるように、表裏の有無と一貫性の有無の組み合わせで考えた方が適切であることもあると思う。

 あと、話がややこしくなるので本質的には分離した方がいいのだろうとは思うが、現象として表裏一体であることを如実に物語っているように感じるのは、これもコメで指摘のある言行一致、言行不一致に関する様々な指標における適切性の判断が一義的、一意的に定まらないことが多いことも考慮する必要はあろうかと思う。
 定まらない理由は、心理学や社会学など様々な領域からアプローチされているが、個人的には、ぶっちゃけ別の特質、たとえばコメから拾うと、「素直さ」「性別」、他には社会的行動特性や当人の行動規範の1要素、当人のおかれている立場において「言」と「行」のいずれが重要視、評価されるかなどという点が影響するからではないかと考えている。
 多分、『例えば国籍、例えば喫煙の有無、例えば容姿、エトセトラ、エトセトラ・・・』というくだりはそういったところにも増田は触れたかったのではないかと思う。
 思うが、、、思うんだけど。
 年寄りには、ネタとして大きすぎてつらい・・・・