お茶

 多分、盛り上がることもなく(盛り上げるつもりもないのだろうけど)官僚用語的に粛々と処理されていきそうな「静岡県製茶指導取締条例」の廃止についてなのだが。
 どうも7月末のパブコメ期限を前にして、今更ながらTVニュース(とはいえローカル)で取り扱われたらしく(ググったらそんな感じだった)少し書き込み(パブコメではなくて)とかが増えていたようだった。
 で、私も部外者(県外居住者で県民ではない)なのでその資格もないので静観するしかない(知った当初はそう思っていた)のだけれども、いざ混ぜっ返されたとしても、裏がありそうだと疑心暗鬼になりかねない流れだったりするのが、なんとはなしに悲しい、ぐらいとしかいいようがない。
 でも、せっかく書き始めてしまったので、書き残してみる。

 まず、当の「静岡県製茶指導取締条例」はググってみれば分かるとおり非常にざっくりした内容なのだが、手続きや予算的なリソースに関わるものとすれば、
 1) 加工の制限をしているものの許可
 2) 製茶指導吏員、指導員の活動関連
ぐらいなのだと思う。
 実のところ、2)は知らなかったのだが、1)は結構特殊なブランディングとしてそこそこ知られていると思われる。
 とはいえ、私は1)がこの条例で規定されるものだとは今回の件があるまで知らなかったし、「許可」という大上段なものだとも知らなかったわけだが。
 でもって、それ以外の規定というのは衛生、製法(業者じゃないので間違えているかも知れないが、条文で言うと直火で荒揉みするのはダメってことだけっぽい)、添加物、販売、表示といったおよそ他の法律およびそれに連なる規則などの法令に定められているといっていいのかもしれない。
 個人的には、衛生に関しては製茶業を営む者の規模が小さいことを考慮すると、品目に限定して包括的に規定し、さらには継続的な指導を行うという歯止めまで取り去ることはあまりよいとは思えない(某のりの関連でもあったように昨今の原材料の流通という観点から影響度の大きさというものを考慮すべきという立場なので)ことから、残すべきだとは思うが、それを除けば、おおむねその役目を終えた、あるいは条例が当時先進的過ぎたが時代が追いついたという考え方をしていいのかもしれないとは思う。
 これについては、廃止理由として挙げている

〇 本条例によらなくても、食品衛生法及び食品表示法等が整備され、茶の製造・販売時における衛生管理義務、使用できる添加物規制、その表示義務が定められていること。
〇 製茶機械・技術の向上により、焼葉(直火により著しく焦げた茶葉)などが混入した不良製茶が見られないこと。

として問題はなさそうに思えなくはない。
 とはいうものの、この理由というのは、2つめ、3つめで、先頭に来ている理由は

〇 現在、様々な風味を加えることで、多様なニーズに対応した茶の商品開発が進んでいることから、条例廃止が商品開発を助長し、茶業界の活性化につながる。(現在は、茶に茶以外のものを加える場合、条例により知事の許可を得る必要がある。)

であるところが「なんで?」と訝しく思えてしまうわけである。
 確かに『様々な風味を加えることで、多様なニーズに対応した茶の商品開発が進んでいる』のは事実であろうとは思うし、およそそういったことに関して聞き及ぶことにおいては、何十年も昔から「海外では緑茶をまぜものにして飲む(もしくは食す)」と言われていて、輸出に際してはそういった国内の文化にないニーズを汲み取る必要があるということも半ば常識ではあったように思う。
 それがなぜ今なのか、ということを考えると、単純な国内の『多様なニーズ』というよりは、国内の他県で進む輸出に関するニーズに対応することの障壁を拙速にとっぱらいたいよ、という浅慮からくる肉付けで理由が生成されているように思えてくる。
 難癖をつけるとすれば、『商品開発を助長』させるために『知事の許可を得る』ことが重しになるのであれば、申請という形でトレーサビリティ確保のためだけの申請番号交付とかだけにするだけでもよくね?という気がする。
 また、条例が販売の有無に関わらず、着色、着香などの添加物を混入させる『開発』そのものに対してさえ高い障壁を持ついうように条文を判断するのであれば、販売に限定すればよいだけであろうかと思うし、そもそもその判断だと4条2項の『物料を用いて製茶を着色し、又は異物を製茶に混入すること。』が製茶業を営む者が自身が飲むためにいれた茶さえ何ひとつ混ぜられない(混ぜれば条例違反)ことになるため、一般的な解釈ではないように思う。
 あと、『多様なニーズ』とはあるものの、はたして「多様性」と「均質化」を分けて理解した上で書いているのかどうか、ということにも疑問を感じる。
 よくある話で、とある会社がとある事業を行っているのだがジリ貧で、ここは一発他の事業に打って出たいというシチュエーションがあったとする。
 で、こういった判断をもとに行動した結果、成功する事例というのは非常に少ない。
 その理由は多岐に渡るが、そのなかの1つに「どっちつかず」というのがある。
 およそ、事業Aと事業Bの売上を考えて、1+1=2といった考えを持ちがちではあるが、リソースが分散するため一概にそうはならない、という話である。
 ここでは2つだけで考えているのだが、これが2,…nという形になると一応多様性ということにはなる。
 で、こういった多様性を求めてプラスアルファを夢見る形態と心理としては、現在の緑茶市場の縮小といったものが符合すると想像できる。
 では、多様化すれば足算で県内業者の売上があがるのかというと先述のとおりあがらないことも多いということも考える必要があろうと思う。
 こういった現象において各ジャンルの売上が思った以上に落ち込み、合算すればさほどよくなっていない/前より悪くなっているといった理由も千差万別であるが、とりあえず、ここでは「均質化」を考えてみる。
 要はいろんなジャンルの商品が百花繚乱のごとく出回ったところで、自身の商品だけが世に存在するわけではないため、消費者側からすれば、百花繚乱ではなくただのよせあつめであり、比較対象の候補であればまだましで、ただよく似た商品群に埋没するだけといった「均質化」が働いたという考え方である。
 一般的にこういった「均質化」から抜け出るために用いられる手法の1つとしてブランディングが存在するわけだが、結局多様化のための施策とそのデメリットを補完するブランディングがセットであるべきで、後者を考慮してないかに見えるのは、単に無能であるということはまずないことから考えれば、それを意図して書かないような何かがあるように思えてしまった。
 まぁ、生産者が「いやだ、やめてくれ」と声をあげていないところからすると、別にそういう流れでいいんだとは思うのだけれども。
 個人的に、善良な業者さんしか知らないので、私のような末節の1ユーザにとってはあってもなくてもあんまり変わることはないんだろうけど、条例がなくなることでしめしめ、うまくいきやしたぜだんな、的なところから悪貨が良貨を駆逐する的な流れにならなきゃいいけど、という心配だけかなぁ。
 あと、何というか、添加物の関係(アレルギー関係)で選んで買っているって人もいるので、選択肢としては残るようにしてほしいとは思うのだけども、一応商売だし。。。
 個人消費より加工業者へ卸すのが多くなっているはずなので、そっちのニーズに答えたいというのがあるのかもしれないけど。



 で、疑心暗鬼なのはほどほどにするとして、どうあるべきかという部分を書いてみるとすると、個人的には、現行法令との重複といった観点から改正するよりはその条文のボリュームからいって廃止はやむなしなのだとは思うが、条例の意志を引き継ぐ条例など(特に条例に限る必要はないとは思う。例えば県組合基準とかでもいいわけだし)の取り決めは残るべきだと思う。
 あげあしをとるようだが、時代にそぐわないといって『製茶の声価を維持する』目的までうっちゃっていいのか?という問題に目を向けないのはどうかとは思うので。
 基本的に先述のブランディングの領域に関する規定ということになるのだとは思うのだが、例えば、県産のブランド商品において県独自の添加物やフレバーなどの分かりやすい統一表記を義務付けるもしくは指導したり、製造の指導員などは単に解散するのではなく、ある程度緩やかに他の機関と連携しながら組織化し、技術の伝達、後進の育成などという役割を行政としてその一部を担ってもいい時期にあるのではないかと思う。
 多分、そんな流れにはならないんだとは思うけど。