昨日のWBS

 MITメディアラボの伊藤氏の話が出ていた。
 氏はとてつもなく有能な方なので、他者(主に自ら編み出すことの少ないあまり有能ではない者)が、氏のことばを鵜呑みにすると土俵が違うために正しい結果を導かないという典型例なのではないかと先の他者のカテゴリに属する底辺な私は考えたりするが、番組内で流れていた講習会でも大企業の有能な方々に対してもののようなのでいいんじゃないかとは思った。
 氏がインタビューなどでちょくちょく使っている「引き寄せの法則」なんかもそれを分かりやすく解説できる一例な気がする。
 要は適切な手続きや能力を有した状態が維持されていて初めて当該人物にその法則が働くのであって、それを意識せずできないとか能力を高めなければならないような場合は、それ相応の付加的活動が必要とされる、ということが分かった上で聞けば多分適切に理解できているのだと思うが、そうではない自己流の自己中な願掛けまがいの行為だけで成功が常に誰にでも約束されると勘違いするのは正しい理解であるとは思えない。

 見ていた最中に思い出したのは、小学校の理科の先生がいったエピソードである。
 何の時にそれを聞いたのか忘れたのだが、内容としては以下のようだった。

 今後、科学がより発展し、より複雑化していくと、科学の研究もその専門性が一段と深掘りされていく。
 みながどんどん穴を深く掘ってその底にいるとしよう。
 その穴の深さや向きを調べることもなく掘り進んでいれば、深くなればなるほど自身の位置も認知しづらくなるだろう。
 そして他の穴を掘っている者と会話しようにもどんどん難しくなる。
 そんな中で、ある特定の者と意思疎通するのにいちいち地表に出てその者が掘っている穴に入って会話するなんてことは面倒だろう。
 それを楽にするのは横穴を掘ればいい、そうなるはずだ。
 しかし、そこには問題がある。
 掘る横穴が他者の穴を壊してしまう可能性があるからだ。

 で。
 これが一体何が言いたかったのかは既に闇の中なのだが(というかエピソードしか覚えていないので)、当時の私はというと、砂遊びのトンネルで他(主に他者)の作為に干渉しないための技術的な問題なんじゃないのか、とか考えていた。
 ある意味、配管ゲームのアレみたいなものだという感じだろうか。
 ただ、今あらためて考え直してみると、何かと何かの専門的事象な切っ先を繋ぐことは深堀りされればされるほど技術的な意味で難しくなることは確かなのだが、他からの既得権侵害だの規制だの何だのと技術的な内容以外の障壁を適切にかわす必要があるだろうし、それ自体もどんどん難しくなるということがいいたかったんじゃないんだろうか、とか思えてきた。(まぁ、今更なんだけど)
 これの何が関係しているかというと、コメンテータの梅澤氏が『彼のようなディレクターが必要』というように単に専門分野と専門分野を合体させればそれだけでOKというわけではなく、適切な形になるようなお膳立てといったようなもの(バカなんで、氏の活動を抽象化するのは片腹痛いどころの騒ぎではなく、適切な表現は他に譲る)を執行可能な者でなければ効果的にプロジェクトを動かすことは難しいのだろうなぁ、とか考えた。

 で、これって、企画のエジソンが蓄音機に音楽を収録するジョンソンの考え方を思いつきもしなかったという話とは全く関係ないことなので、どうでもいいといえばどうでもいいのだが、まぁ、いつものことなので。