きずな

 えっと、多分他のよく似た事案と同様にすぐに忘れ去られるとは思うが、某絆キ○クに「関連した」ことについて。
 ちなみに、事案自体は、レギュレーションの関係上、
  ・理由を書くまでもない個人的な感情や他の参照から簡単に導けるもの
  ・ネガティブ系で自身の心理状態から相対的により論理的に破綻しそうなことが疑われるもの
については、たとえ日記といえど書き残す意味があるようには思えない(昨今の当該時間断面でしか適用されない、古い者から見れば言語化されたものが一切一般化されない書き捨てという概念が通常だという考え方からすれば逆だろうけども)ので、書こうとも思わないし書かない。
 さらにいえば、今回の事案に関しては自身の知識も経験も浅い領域に関してどうこう考える資格もないということもあってさらにここで扱うに値しないのだが、数日前のお題で監督する側としてのマネジメントとプレーする側の思考、実行という組織体について言及したし、さらにこれ自体は、組織論として一般化され私が知りうるような領域の組織形態のそれと互いに参照し合うとしてもそれなりの整合性を持つと思われるので、そういった点に関して少し書き残してみる。

 で、その発端というのは、今回の件に関し、行為者以外の者から見て、当該行為の善悪が不明であると仮定するとして、結果チームが勝利し、その行為がなければ負けていたことからすると、勝利の女神が微笑んだのだから当該行為は善である、とTwitterで述べられていたことである。
 このTweetが釣りなのかどうかは別としても、いずれにせよ含蓄のある論理であると思われる。
 実に簡単な考察として、この論法を逆に応用すれば、勝つ意思をもって善悪の判断がつきかねる行為を行ったとしても、結果勝った状況に持っていけば善として扱われるという行動原理によって組織が運営されるとすれば、これ自体モラルハザードの1つであって、さらには組織内での倫理の底抜けが起これば企業不祥事として顕在化するといった昨今多く見られる事案(偽装、改竄、隠蔽という場合に当てはめやすい)における原因の1つに挙げられるように思う。
 こういった考え方を持つことがあらゆる場面で問題があるわけではないだろうが、発言者が釣りでないとするなら、発言者の属する組織、ひいてはそれに連なる社会に対してモラルハザードを引き起こす要因として配役(主役か端役かモブかは始まってみないと分からないが)されその時を待っているということであろうし、釣りだとするならば、そういった原理で多くのシステムが運営されてしまっていることを風刺的に捉えたものだともいえる。
 また、特にオーソライズされているわけでもないはずなので鵜呑みにしていいわけでもないとは思うが、炎上の論理的っぽい解説の1つとして、とあることを発端にして劇的に対象を叩くこととそれに対してなんでそれだけそこまで叩くんだと怒りをあらわにすることの双方の認知に抜け落ちている概念というのは、
 (1)問題が顕在化する以前から漸次的にモラルの低下が起こっていること
 (2)顕在化する閾値がことの複雑さなどの理由から上がっていること
があるらしい。
 個人的には常に(1)によってのみ潜在的問題が顕在化するわけではない(こういうとヒヤリハットを否定するみたいだが、ヒヤリハットだけで全ての問題に対処できるわけではないことも考慮する必要があるという話)と思っているが、(2)が顕著になってくればくるほどパルス的な問題の発生を問題化させない(例えば遡及的に隠蔽だと認定されるようなケースでの行動)、もしくは問題視しない、できない、させない、認知できないといったことを結果的にヒヤリハットとして扱うことができない背景として(1)が効果的に寄与するならば、顕在化するまでに組織的な欠陥を保有し続けていたと推測することも可能かと思う。
 極端に単純化すれば、足切り八助の「悪事は必ず露見する」という一般的な教訓以外の教訓となるべき八助の行動原理とも似ていると考えてもいいかもしれない。
 例えば、企業倫理の課題において八助が常に切る足を1本だけにしていれば社会から悪事として扱われず、また話の結末のような劇症的制裁を受けることもないと考えられるか?というような領域である。(ちなみにこれに一意の解はない)
 また、これとは別に、企業の危機対応の課題において八助のような手法を行う組織化された元締めに八助が所属していたとして、問題が顕在化した際当該組織がどういう行動をとることに注視すべきか?立場を変えて当該組織はどういう行動をとるべきか?というのもあったりする。
 八助の口を封じ尻尾切りをすればいいというまるで時代劇の1時間未満で処理されてしまう浅はかな悪者の悪事に見える行為というのも、現実においてはその事象の複雑さなどから有効な手段であるとされていたり(法的、倫理的にOKかどうかは無関係だし別問題)、またそれが危機対応における応急対応、暫定措置で一般的であるとされる手法を適用した際の行動、対策とと類似することも少なくなく(これを悪用して応急対応などと称して隠蔽や火消しを行うことも枚挙に暇がない)、さらに事象の専門性などを考慮すれば、考察すべき点というのは多岐に渡る。
 今回の事案に落とし込む気は先述のとおりさらさらないし、適切かどうか判断のつかない関連性を特に見出す気もないが、今回の事案がどうのというのとは関係なく、こういった概念が事案となった時点(行為の時点ではない)前後における足切り課題などといわれるものだったりする。
 と、当該Tweetを読んでいて、そんなことを思い出した。