その3

 先日の食中毒の件で、約20年ほども営業してきたブランドを手放し、全店閉店することを決定したとのこと。
 マスコミ界隈などでは旗色が悪いとはいえ、シロクロがはっきりしたわけでもなく、逆に保健所側からすれば、当時がどうかは別として現状の調査において問題が極端な高確率で起こりそうといった要素がないとしているわけで、その決断の速さから某領域では下衆な勘ぐりに近いことまで出ていたりはする。
 いずれにせよ、悪意をもって直接的な結果をもたらす行為に及んだ者がいない場合には真実は誰一人として分からないし認知すらできないパターンであるため、よくいう何がどうしてどうなったのかは結局分からないことも多い。
 前回書きはしたが、分からないからといってバンザイしないかぎり何らかの対策なり改善をしていくのが当然であるわけだが、それは会社や組織や業態などが成熟していればしているほど困難であって、さらに原因がわからないことは目に見えて改善するだろうと予想できるような項目以外の選択肢をちまちま潰していくような泥臭い作業が延々と続くことになるともいえる。
 確かにこういったことは商売には当たり前のことだという意見もあるだろうが、リスクアセスメントから考えてリスクの見積もりにおいて不確定要素が多すぎる、結果的に他のブランド(他の名称のスーパーや外食など)にとってリスク資産になりうる、もしくはその危険性が高いと判断した、というのが一般的なものではないかと思われる。
 とはいえ、その判断というものは、私自身がその経営の現場にいない以上もはやただの妄想に過ぎないが、長い間地元に親しまれてきたブランドであるとかそうでなくても立ち上げた後にそれなりに維持してきたブランドに経営者自身に愛着がないわけがなく、それゆえ、何かしらの後手に回ってから決断するみたいな時間感覚をもって一般的な基準とするといったようなものに合致しない今回の例が異質に映るのかも知れない。
 単純に外面から見た考え方からすると、ことが起こって以降一部で述べられていた親会社の対応とは符合しないところではあるが、株式を通じた人情に惑わされない経営判断の行使という意味では有効に機能しているようには思える。
 いやらしい言い方をすれば損切りといわれかねないかもしれないが、リターンが極端に増大することもなく先述のとおり不確定要素が大きくなり想定し得ないリスクを負うことは、ステークホルダは望んでいないはずである。
 まぁ、リターンが極端に増大することがない商売のほとんどの領域において、経営層に限らず所属する要員すべてが様々な立場から不確定要素を排除しリスクを低減するなり事後緩和させたりするのが当然ではあるのだが、それはそれ、前出の意見と同じで人それぞれ、会社それぞれでどうこういう話ではない。
 加えて挙げることができるのは、はたして当の惣菜店はいったい何の強みがあったからこれまで存続してこられたのか?という点からも考えていいように思う。
 これも前回書いたが、リスクを削っていけばいかに販売しないかという他と均質な方向に近づくわけで、そうではなく、差別化していた事項、されていた事項が何だったかという点について残すことを前提にいかに他者(社)とは違う対策打つか別のプロセス、組織体制はどうあるべきかなどをが求められるわけである。
 私自身、地域的に当の惣菜店を利用したことも目にしたこともないので勝手な想像だが、ロジの構造などから考えて、例えば、デパ地下の惣菜のようなメニューと販売形態という付加価値を狙ったものであったとすれば、それを運営するための安全側に振ったオペを想定した際に、それを実行するには管理コストが大きすぎるというところがあるようには思える。
 大きすぎるのは何と比べて大きいのかはいろいろと面倒臭いので書かない(書かないと書いている時点でアウトかもだが)が、個人的経験として現場のボスが立て直してみせます、時間をください、と上に掛け合ってもコストは下がらないでしょ?(笑)で追い返されてくるのを何度か見たことがあるので、何となくそんなパターンを想像してしまった。

 古い考え方に違いないのだが、想いだけで商売ができる時代ではない気がする。
 それは原動力の1つではあるのだろうが、1つでしかない。
 またステークホルダはその原動力を押さえ込んだ上で別の推進力を与えるなんてことも多く、そのリターンが少なくなりがちな構造化ではよりそれらがいびつな状態で推移することも多い。
 無理の結果として割を食うのは消費者なのだが、それがどうもこうもなく、以前からのとおり自衛するほかない気がする。
 トングがべらぼうに売れて店内に潤沢にトングが配置されただけで全てがまるく解決するのなら簡単なのだろうけど。