昨日のWBS

 なんとなく見返す元気がなくて聞き飛ばしてしまったのだが、炊飯において水分量が増えると栄養価が下がることが「悩み」になるほどらしい。
 そうだったのか。
 1合で計算すると米150gとするとして、一般的な水の量は200ccなので200g。
 通常の炊飯器を見れば分かるが、蒸気がいくら出ていても極端に重量は減らない。
 仮に米と水の配合比によって調理後の栄養価に影響を与えないと仮定すると、40ccぐらい水を増やすと単位グラムあたりの栄養価は1割ぐらい減るわけだけども。(ちゃんと計算してないので正確ではない)
 それで悩むなら全粥でやれと言われた日には裸足で逃げ出すレベルだろうと思われる。
 そこまで食事を提供するのに限界ラインを攻めなければならず、さらにはそれを解決する選択肢がないとか極端に少ないとかいう世界なんだろうか、とか思ってみたり。
 とはいえ、炊飯器メーカーが質量保存の法則を無視して水と米の混合比にかかわらず一定の栄養価を持つような練成技術を備えた炊飯器を発売するわけではなさそうだし、なんというか、つながりが悪いと思えた。
 発売自体がまだ先なので、特許的な問題等も含んでメーカー自体が開示しない部分やメーカーが報道陣等に情報公開してもオフレコ扱いである部分などもあるはずだとは思う。
 で、それをある程度知った者が破綻なく記事を書き、そこから一般に公開できない部分を削って出来上がり、とすると、マスクされた部分の情報を持たない者が適切に理解できないことがままあるが、これもその1例ではないかとか思えてしまった。
 国語とかの世界でも、文章群の並べ替えとか文章群間の1文を埋めるとかいう問題を作成されたりするが、そこには単一の解答が存在し、その解答以外の組み合わせなり内容がことごとく破綻するか意味をなし得ないように配慮された上で作成される。
 ただ、残念なことに世の中の文章群などというのは、並べ替えるとしても適切な解が複数ある、最適解がありはするが別の解でも条件によっては問題にはならない、そもそも並びを考察するに適さない、文章の扱う場によって順番が変わる、全文章群をひとかたまりとすること自体が破綻しているのでいずれの並びも不適切など様々なパターンがあり、素直な場合の方が少ないように思える。
 また、1文を埋める場合、作問者の能力が低かったりすると、明らかな前後の文章群の転記で事足りる場合、その空白はあること自体冗長なんじゃないの?とか言われて悪問扱いされたりするが、逆に前後の文章群から想定可能な事象が範囲として広すぎるためにどのようにでも書けるとか、そもそも前後の文章群から想定することが不可能ないわゆるテストなどで扱う設問として成立しないようなものを作成することの方がはるかに簡単で、それゆえにそういった状況に遭遇する頻度も実生活では高いように思う。
 それを適切に理解できるようにせよというのが世の要請の1つのような気がするのだが、私にできないことを他者にさせることができるかよ、という。
 なんか、ささくれているというかそんな心持ちの上で見たせいか、どっと疲れた。


 あー、それにしてもハガマの内ブタ的ギミックって、あれって掃除するの面倒そうだなぁ。
 食洗機にぶっこめるなら人や現場によってはどうにかなりそうだけど。
 まぁ、いいや、もうどうでも・・・・