味覚の腐り方とさらなる腐り方の遷移

 この前、味ぽんの味について書いたのだが、アレンジするうち、自身の過去に対する脳内イメージとしては、しょうゆ成分が減った、プラス糖分が増えたかもしくはあっさりしたものに置き換えられたような気がするに至る。
 で、気が付いた経緯というか方向性というのは、煮物に近い状態のものを作ったときの昔のイメージとの違いと単なる混合実験による。
 煮物だと、あっさりしていて醤油がらさがかなり少なめに出ているので、もはや味ぽんだけであまり量も考えずにぶっこんでもそれっぽい煮物ができてしまう構造になっていることがあるのかなと思えたり。(要は他の調味料に比べて、ミスがある程度自動的に吸収され、食えなくなるリスクが下がるということ)
 たぶん、CMでやっている煮物系がそれにあたるのだろうけど、かなりくどく『あっさり』を強調しているのはそういった方向に味の方向性を振ったからのかなぁ、とか想像したり。
 レシピサイトをみると味ぽん鍋なんてのが載っているぐらいなので、鍋のつけだれとしてストレートで用いることを、というかそれのみを想定しなくなった結果なのかなぁ、とか思ってみたりした。
 あと、煮込むと「あっさり」ではなくショ糖系(というか白糖)や三温糖のような雑味があるというか複雑な味にならないし、水分がなくても思った以上にこげないので調理は楽になっている気はするのだが。
 実際、味ぽんの味が変わったのかどうかとか昔と原材料が変わったかどうかなど、私の記憶と味覚の腐り具合からすれば、信頼性が格段に後者にはないわけで、そもそも若い頃から甘味度を体験するとかいうヤツで、ショ糖1と果糖0.7ぐらいの溶液を比べても、果糖の方を薄い、とかいって分類していた味覚音痴からすれば、もはやどうでもいいことなのかもしれないが。
 キャリブレーションさえやりようもないわけだし、それより先は何とやらで。

 で、それはそれとして、ここ最近、ハチのパスタソースが昔の味に戻った(?)気がした、というのも同じなのかなぁ、とか。
 一時、トマト系が生臭い割に薄く粘りもなく酸味も少ないので、煮詰めた後にクエン酸でも混ぜた方がまだそれっぽいかなぁ、とか思ったりした時期があって、買うのを控えていたりしたのだが、年末で調理の工程やら回数やらを減らしていった関係で再び試しに買ってみたら、今度は以前より濃厚になった気さえする。
 で、要は腐っていた私の味覚が別の方向に腐っていっているのかもしれない、とか思い始めたので書いてみた。
 まぁ、方向は別にして、常に軸ブレしていることは確かなんだろう、ということではあるのだろうけど。
 うーん、薬のせいなのか体調のせいなのか・・・