ねずみ扱いであること

 昨今、改竄なのかどうなのかという話が出ているっぽいのだが、そういった領域の話しとは別に、企業不祥事の「改竄」という問題行為について、私自身は文中で結構不用意に使っているっぽく見えるはずなので少しだけ。
 で、結果を先にぶっちゃけると、「書換」だろうと「改竄」だろうと文書(広義に記録、データを含む、以下同じ)の最終的な見た目はどちらも変わらない、ということだろうか。
 そもそも「竄」なんて手書きで書く気も起こらない面倒臭い漢字で、およそ一般に改竄以外で使われるのを見かけることのない、ある意味費用対効果の低いものであるにも関わらず、「斬」みたいな語感のよさで生き残っていることばなのかもしれないといわれれば、それはそうなのかなという気もするのだけれども。
 それは置いておくとして、「書換」と「改竄」の何が違うのかというと、多くの場合は、そのことばを発する側の感情として、文書を変化させた行為に隠蔽や利益誘導や他者を欺くといった悪意を読み取るという主観が載るか載らないかの違いなのではないかと思っていて、私自身そういう用い方をしているつもりでいる。
 ちなみに、企業不祥事のほとんどは、企業というあり方を厳格に適用すれば、少なくともいくばくかのステークホルダにとってみれば、作為があろうとなかろうと結果的に必要な手当てを怠り、適切な結果(単純に製品だけだとは限らない)を生まなかったという点から、その企業のシステム全体として扱うと「改竄」という形とせざるを得ないので、「改竄」でないことが少なく、ある意味楽ではあるのだが。
 一方の肩を持つとかどうとかさらさらないのだが、逆に内部からシステムを見ると、ISO9000でも悪い見方をすれば、システム的(手順化やマニュアル化されたものだけに限らず越権であろうと指示しそれが行使された場合とかも広義として含む)に「adequacy」だ(適切だとか妥当だとか言う意味だとは誰もいってないし、当然一致でもない)ってことで「改竄」でもないんじゃない?と相手に言い張ることも可能だとは思うのだが。

 で、いつものパターンでなりたちなんてのを、と言いつつ、説明とか大それた話でもなんでもなくて、字のとおり穴にかくれたネズミを指す。
 で、昔から農耕民にとってネズミの害は相当嫌われていたということは一応小学生ぐらいで習うレベルなわけで、都会だとあまりそういった被害を体感できないかも知れないが、田舎だとか農家だと未だに体感できると思われる。
 で、そういった背景から、ネズミが蔵かどこかの隙間に逃げ込んで、下手をすればそこを巣にして周辺被害の拠点にされているなどという状況に対して、「隠れてこそこそやりやがって、くそむかつく!!」というような感情が生まれる。
 こういった対象事物、人物、組織などから得られる情報や行為などをもって悪意ある行動だと断定し、限りなくネガティブに受け取った状態を表現するのに「竄」ということになるのだとも思える。
 今時使われることもないというあまりよくない例かもしれない(というか、無学なんでこれぐらいしか知らんし)が、「竄犯」も要は小汚いやり方をしやがったという感情が載った「侵犯」という意味だし、同じように「改竄」から感情を抜いて置き換えれば「改変」ぐらいなものなんじゃないのかな、などと思ったりした。
 こういった考え方をしている関係上、何となくある一定の領域を越えたので「改竄」です、なんていう表現は、逆に感情論という領域の度合いの差なんかなぁ、とか思ってしまって、もはや個人的によく分からない。

 とはいえ、「改竄」という中に感情が載っていることが前提であるとするならば、残念ながらその文書の効力や正当性(正しくは、要求に最も連関すること。必ずしも一致することを指すわけではないし、厳格に見れば、実質的に指さなくてもよいことの方が多いと思う)などの文書そのものの機能がどうであるかを考える、というだけにとどまらず、その原因は何なのかとか、波及性はどうか、副次的な影響はどうか、法令に照らしてどうなのか、関与したヒトはどうだったのか、関連するプロセス、システムがどうだったのか、全体として信頼性、信用度がどうなのかなどの方向に容易に飛び火する(企業不祥事でも流れとしては同じだったりするわけで)のだが、一応、本質的に実態は実態、原因等はそれぞれにちゃんと分離して、調査、分析、検討しなければならないことは確かだと思う。
 ただし、第三者のすべてが事案の全てを網羅的にそれを行うことは現実には不可能であるため、感情的なところから直感的に導いた信用度みたいなものが存在するのも確かであろうし、また、数の方も全体の数から考えれば多い気はするし、それがいい悪いではなくて、実態としてそう認知する必要があろうかとも思う。
 まぁ、非常に低レベルな話だけども、朱書きで訂正しまくった稟議書を社長に持っていったうちの部長が、社長から稟議書を投げつけられてボロクソにののしられたらしいってのが昔あった(いやぁ、社長室から戻ってきたときの土気色した赤ら顔(変な表現だけどまさにそんな感じだった)を見るにつけ、内心怒りに打ち震えているんだろうなぁ、プライド高いなぁとか思ったものだけれども)が、こういうのさえ「書換」というのか「改竄」というのかは、それらの当事者によって変わる、みたいなものかなぁ、とか思ったりした。
 で、とりあえず、いいか悪いかとかは書かないし、書く気もないし、考える気も起きないので終わる。
 というか、花粉でつらいのにどうでもいいといえば語弊があるけども、とにかくネコイラズでもさっさとぶっこんどけよ、自分のことで手一杯なんだわ、みたいな・・・・