喜ぶ者

 つい先日、売り切れを喜ぶオーナーは無能なんだぜ?といかにも聞きかじりっぽいことをいわれたので、へぇ、そうなんですかぁ、とだけ返してしまっていた。
 というか、かなり体力的につらかったり、ある意味この手のはもういいかなぁ、という気がしていたのもあったりで。
 機会損失の話ならそこで終わってしまうわけだし。
 とかいいつつも、無意識ながら無駄に過剰に意識してしまっているのか、その後、妙にググってみたりしたのだけども、最近の話からすると、現代ビジネスの本多氏の記事っぽい気がしてきた。
 というか、先の聞きかじりを言った本人に出所を確かめる気など当然ながらなく、単にそれっぽいのが見つかった時点でもうそれでいいやという心の平穏が得られるあたり、かなり腐った性根をしているわけだけども、もう直ることもなかろうと思うので置いておく。
 本多氏の記事なんだと知った段階で、記事を読む前から機会損失がどうのというレベルの話では全くなかろうなぁ、という気もしたというのもあるのだけれども。
 で、一応先にまとめのような感情論に近いっぽい書き方をしてしまうと、個人的に、氏の考え方は、少なくともampmを再建するとかどうとかの時代から、評価される成果としては正しいのだろうけども、正しいとは思えない、というのが先行していて、今回の記事を読んでしまった後も、変わってないんだなぁ、という気がした。
 とはいえ、評価される成果として正しくないだろうし、一部の刹那的な快楽が正しいといえるのかなぁ、という者とは本質的にレベルが違うので、当時なんかは氏の記事をよく読んだものだけれども。
 ということで、今回の記事の構造を個人的に斟酌してみると、完売を喜ぶフランチャイズオーナーの周りには喜んでいないフランチャイザーだったり本部だったりが存在するわけで、氏の提案する理想的なモデルでは、みんな喜ぶ、という話となる。
 『「完売」は成功ではなく、失敗である』という場合分けをすると、

       完売   売残
  発注多  ①?   ②成功
  発注少  ③失敗  ④?

となっていて、②に関して、記事にも『「必要な廃棄」と「異常な廃棄」の二種類がある』としながらも、③から②に導こうとしている。
 で、仕入と売上に関する非常に単純なリスクを考えると、リスクを低減するために②から③に推移するわけだが、立場の違いによって考えるリスク(想定するリスクのうち当人に直接的、直感的なもの)とその具体的なリスク(結果的に当人に降りかかる危機、インシデントや同様な境遇に対して見聞きするもの)は変わってくると考えていいように思う。
 ということで、まず、②に向かうことで、リスクを保有し、結果としてみなが喜ぶことに変わりはないが、保有したリスクは単純な大小にとどまらず、種類、影響度、心理的な負荷などといった領域で違っているのではないか、という点。
 また、②に関して、『二種類』としているものの、みなが喜んでいることになっているのは、喜んでいない者が、その二種類どころか既にこの枠組みから脱落し、枠内には存在していないという点。
 この2点が少なくとも触れられていないのが、評価されるべき成果は正しいが正しくないと思えるところかと。
 まぁ、こんなのは、おいそれと簡単に実行できて、さらに②にとどまることができるわけでもない(そもそも氏が成功しているのは記事で触れられていることだけではなくて本部として②にとどめる能力があるからで、表面的なことを鵜呑みにして誰もが成功するならば幸せなことだろうとは思う)ので、いちゃもんに近いものなんだろうなぁ、とは思うけど、この手の記事に関しては、たとえビジネス誌であっても「この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものと類似または一致していても、全くの偶然です。」とか「個人の感想です。」とかテロップが流れるレベルでガイドラインが設定されてもいい気がしてきたり、とか。
 というか、氏に原因があるわけではなく、氏の文言から煽情的な箇所だけを抜き出して記事に仕立て上げると、結果的にテロップで埋め尽くさなければならないような情報群に集約されていってしまう、なってのはどの世界でも同じことなんだろうけども。

 ちなみに、記事の後半だけを読むと、売り手側としては、自らが自信を持って売ることが可能なものだけ確実に消費者に届けるという考え方でも間違いではなくなってしまうので、記事前半の②に引き上げるという考え方とはズレてしまうのだけども。
 一応、その考え方で④のスパイラルに陥った者は、先と同様に当該図式から脱落するので、結果的に②しか存在しないことにもなるんだが、まぁ、それはそれとして。
 で、これはさすがに、名前が出てないけど氏が上梓した著書からコピペした提灯記事なんじゃないのか?とか思えたりもしたけど、結果的に煽られて釣られた者がここにいてしまったわけだがら、もしそうなら、それはそれで正しいあり方だったのかもしれない。
 氏が意図しているものかどうかは知らないけども。

 もうね。
 無能でもいいから少しだけ喜べれたらいいじゃん、ってのはダメなんかね・・・
 多分、ダメなんだろうけど。