ソリューション

 くだらないところで、ソリューションははたして解決策を指すのか?という話になったのだけれども。
 個人的な考え方はというと、ソリューション=solutionでもないし、ちまたにあふれかえるソリューションを指す具体的な事物が、必ずしも解決策に該当するわけではないとか、不完全であるとか、あえて抜け落ちているとかを鑑みるに、ソリューションとはソリューションだと言ってのけた者(法人も含む)が自ら定めた固有で独自の概念であるような気はする。
 まぁ、ぶっちゃけ、ちっとも好転せず未消化のままにソリューションを冠たるものばかりが産出されているかに見えるところからして、そんなものは結果が伴っていないためにソリューション足り得ないとして最初から除外してもいいのかもしれないのだけれど。

 で、それはそれとして、solutionの辞書的な意味としては、解決策でいいように思う。
 というか、私が言ったところで信憑性もへったくれもないけども。(英語能力が(ry)
 あと、人によっては水溶液ってのもあるかもしれない。
 でもって、あまりに初歩的な話として、solutionの動詞はsolveである。
 いやぁ、さすがに中学英語だろ、と思ってググってみたら、高校1年レベルって書いてあった。
 うーん、じゃあ、問題を解くとかいうのを中学英語でどうやって表現してたんだろう。
 今となっては、謎だ。(中学までは(ry)
 solveの元はというと、「そ」が自身を意味し、「る」が食材とかを切り分けるとか結んでいた紐をほどいて分けるみたいな意味で、「ぶ」は動詞ということになる。
 「る」について教わった際に、個人的にはラテン語の時代から必ずしもものごとを分析的に紐解いて解決策を論理的に導出していたんだろうか、という歪んだ偏見がありはした(当初は単純に「分ける」というON/OFFの意味でしかなかったとしても)のだけども、実のところ、そういった変な先入観によって「そ」が「る」している行為を指しているのか、「そ」と「る」している状態を指すのかもはや覚えていないのだが、そういったところはちゃんと勉強した人に聞いてもらうとして。
 で、いずれにせよ、「ぶ」を「しょん」にとっかえて名詞化したのがsolutionということにはなる。
 ここで、結構理解が難しく感じるのは、日本語の名詞化と英語のそれとが結構違っているところかと。
 日本語の場合「○○すること」という形であるとか「○○するの」というあとに動詞がくる形(ex.電車が来るのが見えた)や連用形(ex.へこみ、気付き)ぐらいなものかと思うのだが、これ以上になると、例えば、増える→増加、寝る→就寝といった形に語尾変化といったものというより別の単語に置き換えられてしまうことが多い。
 さらに、「こと」「の」で表現してしまうと、その○○の動詞に関して行為そのものしか示さないことが多い。
 翻って、「しょん」はというと、その行為そのものやその前後(行動に伴う結果や行動理由的なもの)、当該動詞が適用された状態(例えば、conservationとかだと、守ること→保護、保全)を指す。
 感覚的には、一瞬を切り取っているのではなくて、行為に対して時間的視点であるとか行為の連続性であるとか、手法、手順につながる、もしくはつながってきたもの、果てには影響するものまで含めてしまいかねない意味のぶっこみ方をしているように思える。
 先のconservationも単純に保護という状況だけを指すわけではなく、昨今では継続的な管理だとかそのための手法や手順、方針、計画、教育、啓蒙、ユーザーとしての適正な利用、接し方、それらの結果、公知などといったところにまで拡張されているところからして、構造としてそういった性格をもっているのだと思えなくもない。
 同様に、solutionもsolveという行為だけにとどまらず、様々な付帯的事項を含んでいるのだと思われる。
 結局、関連性などを熟考するとかいったところは無視して、単純に「解く」という「こと」以外の内容も多く含まれていると考えた方がよさそうで、「解決」だとか「解決策」だけでは表現しきれないように感じる。
 一方で、「そりゅ〜うしょんん!」とか言われて聞いたみたものの「解決策」ですらなかったという話はごまんとあるわけで、これも勝手な判断だけども、ソリューションという表現が国家間で扱いが違うとかぶれているいうよりかは、先述のとおりソリューション=solutionではなくなっていると考えた方が精神衛生上いいのではないかという気はする。
 また、直接的に「策」(狭義、以下同じ)であったとしても、実行を可能にする手法であったり、それを遂行する上でのリスク回避であったり、それを定着させるものであったりするものが適切に適用され機能しなければ、必ずしも適切な「策」にならず、また、商売の面からいって、非常に狭い範囲のユーザーもしくは具体的な1ユーザーの「策」が扱われることが多くなった関係上、抽象的な「策」だけでは「策」として立ち行かない状況にあるように考える。
 とはいえ、「策」という「策」が適切に機能し、結果を出してしまうとなれば、世の中バラ色なわけで、まるっきりそうでないのは、提供者が無能であるがゆえに適切に機能していないか、もしくは提供者が出しおしみしているかという事象がかなりあるということなのだと思える。
 で、個人的にだけど、「そりゅ〜うしょんん!」が何なの?とたずねて、返答が「策」から出ない領域にしか触れない者は、大抵「そりゅ〜うしょんん!」を受ける側の体力がまだまだ有り余っている(結構大雑把にまわしても結果がついてくる)のか、前者、話を逸らそうとしたり、切れ気味になるのは後者だと判断していたりするのだけども、実際そういった関係の件に私なんかよりも数多く触れる者はどう判断してるのかなぁ、とか思ったりした。

 とある者は、ともに歩むことでしょ、と言ってたけど、それはそれで恐ろしいなぁ・・・
 いや、確かに心構えとしては、それぐらいの覚悟があってもいい気もするけど。