続き

 連載の方ではなくて別の記事があったので読んでみた。
 で、読んでみただけだったら特にここで書き残す話でもない(少なからず「大反響」というだけあって、分量だけならWeb上であれば非常に多い)のだが、やはりすごいなぁと思うのは、私が前の記事で書こうとしてぐだぐだ書いた程度のことなら短い記事の中のさらに少ない文章で大抵触れてしまっていることかと。
 めでたく、自分が自分の腐った文章を読み返す必要がないという。
 まとめる能力がないのは、まぁ、・・・いいや、今更。
 それはそれとして、阿部氏のいう『機会の問題ではなく想像力の問題』という主張を、私自身扱いかねて結構見ないふりをしつつも煮えきらずにぐだぐだしてしまったのだが、水野氏は、冒頭から同郷の者から阿部氏の論考に対する感想を踏まえたうえで、『機会を与えられるか、本人がその気になるかして首都圏の大学に進学するのは、(以下略)』という仮定から組み立てているので、似かよったなどというと激しくおこがましいが、そういう親和性があってもいいよね、とか思ったりもしたので。
 例えば、当人の努力に起因するだの、カネがないならカネをわたせばいいじゃないだのといった前提から議論を組み立てた場合、注目点は変わってきてしまうわけで、この手の話というのは、それゆえ話がかみ合わないまま発散せざるを得ないというのもあるのだとは思うけども。

 で、せっかくなので、感想ですらなく、無駄に付加できそうなぐだぐだ感という意味で読んでいて思ってしまったことを少し。

 吉幾三の曲なんだけども、『阿部氏自身はそう思っていても、釧路に住む人々の大部分はそう思っていないはず』という結論に結びつくことが前提なので、『吉幾三が「ない」と歌っているのは目に見える「モノ」に限られ、阿部幸大氏が述べている「文化と教育」ではない。』というのが正しい。
 ただ、実際のところ、『俺ら東京さ行ぐだ』の歌詞は「なぜ行くの?」の問いに対して「ない」からであって、それも「モノ」がないからなのだけども、では「行ってどうしたいの?」という点に関しては、牛であり馬車であり山だったりする。
 この構造に対する考え方というのは、およそ文学作品の感じ方とかと同様に定型のものが存在するわけではなくて、例えば、リンカーンリムジンの運転手だったり銀座のビル群を隠喩すると捉えてもいいだろうし、単にそんな勘違いするヤツいねえよ、といった滑稽さを笑うものであると考えてもいいのではないかと思う。(当時の過度な人口の一極集中化において後先を考えない安易な上京をもっと落ち着いて考え直してもらいたい意味があったという小難しいことを言っていた者もいたが、これも1つの考え方だとは思う)
 ただ、後者の場合であって、創作上のコメディではなく、現実化したものであると仮定すれば、その状況というのは、何らかの「モノ」がない、もしくは不十分であるがゆえに「東京」なるものに対して適切な知が蓄積されない、もしくは知を吸収する認知やそれらを統合する機能が醸成されないことに起因するとも考えられる。
 知る、知らないというのは、ON/OFFっぽくみえて、実態としては様々なレベルが存在するはずで、適切/正確/基準値以上の回答が可能であることで評価するのか、設問が本気でそれ飲めるの吸えるの?というしかないのかどうかということで評価するのかといった条件によってはその後の知らないことに対する手当てとしてどうするのかという部分で大きく変わってくる。
 阿部氏がいう認知外であったということからすれば、東京で牛を飼うという願望がある程度整合性を保つ根拠を形作った認知機構や知を蓄積したり統合して思考に供したりする機構よりもさらに低い次元にあるということを示しかねない。
 ただ、こういったことをいうと完全なあおりになってしまうわけで、『全国の農村からは抗議が殺到した』とまで書いておきながら触れていてないのは、すごく攻めてるなぁ、とか思ってしまった。
 というか、『俺ら東京さ行ぐだ』を知っていて、さらに当時の雰囲気を知っている者にしか分かりにくい部分な気はするので、このようにだらだら書いたところで体感するのは難しい(そもそも自身も人気と『抗議が殺到』で何となく思い出したのを書いている程度なわけで)だろうし、当時抗議していた者の生の声が容易に聞けたり、ブログがねばーとかにまとめられることもないので、何とも言えなかったりはする。
 そして、何も話が進まないという。

 さて、また、向かう先に全然関係ない啄木の話のさわりとか。
 まず、先に書くと、先述と同様に歌の認識がどうのということではない。
 多分、学校とかで教わる解釈というのは「声の荒さ」だけに主眼が置かれているのではなくて、「歌うことなき」という属性をもってしても「声の荒さ」があることを表現していることが重要という、なんというか義務教育レベルなツッコミが来ないように、ちゃんと『また、それが事業とか商売のほうに向けられると、とても積極的で、ときにはガメついような動き方をするのじゃないかと考えていたが、』というところまで引用して押えをしているところがまたすごかったり。
 ただ、ここのあたりを読んでいて、小樽港の歴史とか呼べるレベルですらない知識から導くとしても、時系列も含んだ地域的な特性であるとか経済地理学的な要素を踏まえると、必ずしも定性的ではない、もしくは個によって形成される地域社会なるものが、地域の個のある程度定性的に存在すると仮定する特質と似かよった構造を常に持つとも限らない(個に存する定性的な特質から否定する者にとってはそもそも限る限らないではないのだろうし、さらに社会論的な考え方の中の1つを導入しているため、より適切性を欠くと考える者も多い気もするけども)ということが重要なんだろうか、とか思ったりした。
 そもそも西日本住みで北限が茨城とかそこなへんの私からすれば、もう死ぬまでそれより北には行かないんじゃないかとか思いはするが、それでいてなぜに行ったこともない地域の話を知っているのかというと、どうも中学校かそこらで住んだことのない地域の歴史を調べるとかいうのが課題に出されたときのような気がする。(それ以降の毛ほどの知識の追加もなくはないけども)
 で、そういった課題に対して、変な知恵だけあるので、今時であればインターネットで調べれば湯水のごとく情報はあるわけだが、そんなものがない時代には、図書館やらなにやらでがんばって紙をめくるしかないわけで、集めやすい地域を選ぶのになんかいろいろ事前調査した時の記憶が残っているんだと思う。
 学生時代は、結構授業中寝てはいなくても意識は飛んでいることもあったので、日本史でがっつりやっていたかもしれないけども記憶にない。(和親条約や修好通商条約の時代ではないし、手元に当時の教科書もないので授業内容としてあるのかどうかも分からないけど。どちらかといえば、殖産興業とかで扱われていたりする?)
 それとは別に、最近でもないかも知れないけど、「私たちの住んでいるまちを知ろう」みたいな課題が小中学で出されない、ということを聞いたことがある。
 これも、以前書いたやったけど当人に認知されていない状況という可能性もなくはないが、指導要領として定められる事項の選択肢としてあっていいように思う。
 さらにいえば、指導要領でこんな感じにしてね?みたいな事項を満たすには、自身がいる地域を知っただけでは優れた面や逆に課題も見えてはこないし、自身が物理的に知覚できる範囲より先は底知れぬ崖だという時代に生きるわけではないことからして、他の存在とそことの違いは認知できるとしても、ベンチマーキングなどに類する考察としてはおぼつかないと思える。(選択肢をマスクして1つだけを提示してそれを大絶賛することが事項を満たすために楽なのは確かだけども)
 と、当時そんなことまで私なんかが考えられるわけもなかったけれども、小学校のとき、自分のいる地域ばっかり調べさせられるあまり、他の地域も知らないと今住んでる地域のよさも分からんのと違うかな?ということを教師に言ったら、そんなもんは他所の所に住んでからでええと不機嫌そうに言われたので、ああ、これはダメなヤツや、と黙ってしまったのを思い出した。
 一応、私が当時住んでいた地域性からして、小学校の教員の転勤先はよほどのことがない限り狭い市内(合併する前なので)であって、およそ生徒にやらせる「今住んでいる地域」はその市と一致するので、まぁ、そういうことになる。
 このヒトにとって、市の境界は知の断崖絶壁なんだろうなぁ、と当時は思ったものである。
 こういった、実にくだらない発想やその芽を摘んでいけば、思った以上に自身よりも外部に情報や解決策を得ようとすることが少なくなるのかも知れないし、それで機能を満たすのだから知られると面倒臭いものは今は知らないでほしいという願望を満たすために他にも多分様々な複合的に作用せしめる手法があるのだと思ったりする。
 しつこいようだが、先述のとおり気質が仮定されるのさえ拒否する者等には当てはまらないが、『阿部幸大氏が指摘している「文化と教育の格差」という問題は全国的に見られる問題だと思われるが、こうした北海道ならではの事情、北海道民の気質によってさらに拍車がかかっているのではないかと思われる。』というのは、気質があったとしても、それをプラス側に振ることもできた(具体的な理由は分からないけども、多分、小樽港の整備のころだからかと)ということは、それを基点にしてさらに逆に振ることも可能なんじゃない?という考えでもって悪い意味での最適化と効率化が図られた可能性もなくはないかな、と。(小樽がそうだ/そうだったという意味ではない。検討する地域ごとに別の状況を割り振ること)
 象を杭につなぐ話だとか、遠足のおやつをなくすとかいった解決策は根本原因の除去にあるみたいなのを間違えて(意図的かどうかは知らないが)適用することで、それが効果的であれば、グレーゾーンでも一向に躊躇しない層もなかにはあるので。
 というか、そういう人をこれまでmげふんげふん・・・
 で、こうして悪意に満ちた方向にぐだぐだとそれても、結局そのままつながっていくわけである。

 んでもって。
 『「文化と教養の格差」克服のために、ぜひとも将来は釧路に戻られ、地域の若者に薫陶を授けていただきたいと思う。』というシメ。
 実際、阿部氏個人に向けられているのだが、当然ながら「文化と教養の格差」の少なくとも一部分であろうと気付いている者にも向けているんだろうなぁという部分をあえて分かりやすく明示的に除外しているのは、ここでもすごく攻めていてしびれた。
 個人的に恐ろしくてというか、自分に必ず返ってくると思ってしまうがゆえにその向かう先を脳内から排除してしまうのだけども、まぁ、そういうことだと思う。
 あまり関係ないというか他人ごとだけども、阿部氏の最初の方の記事のサブタイトルが『東大に入って絶望した』という煽情的なものであり、今はニューヨーク、とか読み進めるにつれ、釧路と東京の格差に絶望した話を書いた後に、現在ではニューヨークと東京の格差に絶望する話が続くんかなぁ、とか思っていたりもしたので、早速封じられているんですけど、みたいな。
 この手の展開というのはパワーインフレとかと似かよった構造のもので、層を重ねれば重ねるほど差を生む要因は置き去りにせざるを得ない。
 某小説家が国内で競い、その後に国同士で競い、それより先はもう宇宙人と競うしかないでしょ、という風刺を込めたとかインタビューで語っていて、娯楽にそんなのをぶっこまないでよ、とショックを受けたことがある。
 要はそれを風刺でなくやらかしたら、読者にとっては別の意味での風刺を含む喜劇ということになりかねない。
 それはそれとして、当然私自身の逃げ道でもあるわけだけども、施策上、国民においてはほぼ確実に経験することが可能になっている教育システムがあるために、格差を認知できる者がそこそこいたとしても、それがなぜ好転しないのか?という問題があろうかと思う。
 その要因は複数あるだろうし、多岐にわたるだろうし、個々人によって変わってくるとも思う。
 ただ、少なくとも教育という観点からすると、認知と知と実行と伝達と教育は別であって、1つが可能であればどれもが自動的には可能にならないことがあるかと。(現状では。未来にはできてるかもしれないけど)
 よく、知っていることと教えることは別とはいうけども、私なんかだと、ちょうど技を盗めとかいうのとKMがどうのとかいわれるのとの中間あたりで、ある意味ペーパーの教員資格を持っていることも重なって、教えるということが全く分かってない上に、かといってテクニカルな部分も含んで体系だって教授されたわけでもないことに結構へこんだりした。
 今では教えるということが義務教育レベルでどういう扱いをうけているのかは、外側から見ている立場なのでよくわからない(体感では結構根源的な部分で差があるように思えることも多いので、これもまた格差(ry。)けれども、教育という分野(どちらかといえば、学校より先のもの、社員教育なども含むいわゆる社会教育の範疇)がよりよくなったようには感じられないので、ヒトというライフサイクルにおいて、あまり教えることを教えてはいないんじゃないかなぁ、とか思ったりする。
 とはいえ、知ったことを教えられる人もいるよ?というのもあるわけだけども、個人的に単に先の事項が他から独立して数珠繋ぎになっているだけではないためにそうなるよ、ということにしてあまり深く立ち入りたくはない。(研究されている人も多いと思うし)
 とりあえず、それこそ観測範囲という領域でいうと、高校の同学年で東大に行った数人は、無駄に年を食った今思い起こしても高校生の時点で教えることが可能な人だったし、就職後に私の領域まで降りてきている東大卒はこぞって教えられなかったところからすると、阿部氏はさらに上がっていっているのだから教えられるんじゃないかな、という気はする。
 ということで、散々逃げてみた。




 小樽。
 →コンクリートコア抜かせて、とつながるバカもなかなかいない気はする。
 根っからの社畜なので、ダメだったら死ぬ覚悟という生き様と今ある形ってのに結構憧れるわけで。