好き嫌い

 とりあえず、言い訳というか、補足説明というか。
 前の記事あたりで書いている認知に関する力ってのは、認知能力ではなくて非認知能力なんじゃないの?という話なんだけど。
 お互いcognitive、cognitionでいっしょじゃんというのはあると思うんだけども、見分け方としての簡単な方法は、誰が認知してんの?という観点かと。
 非認知能力ってのは、他者が当該対象(主にヒト)の能力のうち、簡易なテストなどである程度直接的に計測ができないものを指すわけで、認知しようとしているのは、当該対象ではなくて計測しようとしている他者であり、前の記事で書いたのは当該対象なので。
 認知に関する力的なものというのは、単に当該対象が情報を入力して/されて受け取り(破棄したり通過したり受け取れずに透過する場合も当然ある、以下同じ)、処理して、知として蓄えたり行動したりするといった認知プロセス全体、もしくはその一部を指すだけなので、非認知能力のごく一部のようには思う。
 とはいえ、私が若干かじった(正確には表面をちょっとなめたレベル)知識社会学やら認知心理学やら文化人類学やらの領域からすれば、その認知というしろものは、認知能力、非認知能力の分類に関係なく、横断的に影響したり制約したりする可能性もあるわけで、結果としては密接に関係しているとも思うわけだけども。
 ちなみにどうでもいいことだが、個人的に認知能力、非認知能力って訳し方があまり好きではなかったり。
 単に自身の脳内で「○○能力」とされてしまうと、主語を当人として考えてしまう癖がついてしまっているからだとは思う。
 まぁ、世の中好き嫌いで回っているわけではないのでどうという話ではないのだけどね。