今週のお題「修学旅行の思い出」

 修学旅行は、西日本住みだったために、京都、奈良、九州北部、信州だった。
 歳を食ってから思い返してみると、自身の今のような状況は別として、それらの地域の中でも一般的には老後の旅行でめぐることが可能な観光地をなぞっているだけなわけで、別にその年齢で行かなければならんのか?と言われると、今ならばどうなんだろうという気もするし、とはいえ、当時としてはありといえばありな気もする。
 というか、当時では、将来的にそんな遠距離を訪れる機会があるのかどうかとか思考がつながらなかったので。
 で、そんなのは置いておくとして、大学なんかで他県の者が多く集まってしまうと修学旅行ネタなんてのはベタな話題だけども、行き先がスキー場で軟禁されてただけとか、海外行ったけど現地警察の厄介になったとか、旅館側に露骨に警戒されているとか(あ。それはうちの学校か・・・)とかいった特異なものを自身が経験したかというとそんなこともなく(先の警戒されていたのは2学年上とその次で、私の代では耳タコレベルで迷惑かけるなと出発前から連日聞かされた)、平穏無事すぎてもはや特別なエピソードなど思い出すことすらできない。(多分なかったはずなので、思い出すとすれば捏造だが)
 ある意味、分かりにくい表現ではあるものの、高速バスの休憩で大のおとなであるにもかかわらず、大抵誰か1人ぐらいは時間どおりに戻ってこないのに、誰かがいなくなったとか間に合わないなんてのがなかったというのが、逆にすごいことだったのかもしれない。(かなり時間に余裕をもっていたことは確かだったんだとは思うけど)
 グループでタクシーや鉄道など公共交通機関で別々に行動とかいった自由行動なんてのが一切なかったのも良好な管理状態に置くために適切な手法だったのかもしれないけども。(小中高ともに自由行動はなかったので)
 私のころは、色々な体面的あるべき論なところがあったとしても、多くの当事者としての捉え方としては、○○を体感する、といったものでいいんじゃない?みたいなものだったように思ったりする。(いや、まぁ、観測範囲なんだけども)
 最近の話を聞くと、かなり露骨に行動計画やら目的やらを決めて移動し、後日発表みたいな形式だったりしたとかいうのを聞くにつけ、それは微視的には大事なことかもしれないけど、それだと行き先が既定で一致してるってのはおかしいじゃん?とか偏屈に考えてしまう(性格的にレッドオーシャンにみんなで飛び込めと命令されるが、考える前に飛べ的な命令絶対服従ではなくて、体裁上は自ら計画して行動しろってのは、はなからかなり萎えるので)が、それも世の変化かもしれないなぁ、とか思ったりもする。

 で、とりあえず、各地の思い出というわけでもなく、多分、当時飲み込んでいたこととか。

 信州は、、、
 うーん、担任のいわゆる蔑視的表現としてのステレオタイプな体育会系と称されるようなしきり癖があまりにひどくて、それにあわせることに精神を使いすぎて何を見たのか行ったのか全く覚えていないレベルだったりする。
 実のところ、そのしきりなんてのは出発する前からそれにあわせて準備させられているわけで、行く前から多分行ったところなんてこれっぽっちも記憶に残らなさそうとか思っていた。
 そんな中、霧ヶ峰の有名な展望スポット(どこかは全く覚えていない)が霧で視界数メートルだったのは、これはベタなネタにできるとその場でひらめいていたりした。
 でもって、ベタなネタとして覚えていた関係上、めでたく記憶が薄れて霧がかかってくるのではなく、最初から霧でほとんど真っ白なシーンしか思い出せない。
 あと、当時はカメラ付き携帯さえない時期なので、銀塩フィルムだった。
 で、カメラを提げてレンズを担いで重い思いをしながら撮ってもネガ回収されるし、現像したのは当然ながら有料だし。
 学校からフィルム貸与なんで、あたりまえといえばあたりまえなんだけど。
 写真部でも委員でもないのになんでやってたのかは・・・・忘れた。
 なんでだろ。
 ただ、いずれにしても、今であれば、スマホやカメラの帯同禁止でなければ、いくらでも撮れるし共有できるわけで、私からすれば幸せな世の中だなぁ、と思うけど、今の当人にはその感覚は分かりえないか・・・
 個人的には、銀塩よりデジカメのデータの方が残ってるし、思い出に色をそえるには容易な気はする。
 ストレージがすっとんだら終わりなのは、物理的に紛失すれば同じことだし。

 九州北部
 当時から臼杵とか高千穂とか伊万里とか行ってみたい(そして未だに行ってない)とか思っていたにもかかわらず、めでたくかすってもない(てもなくはないか?別府、阿蘇、長崎ルートなので)ようなルートだったけども結構楽しめたように思う。
 このときは、そもそも猿集団だったので、いかなる者もクラス行動どころか班行動さえコントロールできるものではなかったこともあり、タイムスケジュールさえ頭に入っていれば、見学地内ではぐれてしまう方が楽だった。
 で、個人的には、その見学地のボランティアガイドと思しき人(?)について回って、当時のちまたのガイド本には載っていなさそうな話を聞くのが楽しかったわけで、そればかりやっていたように思う。
 特に長崎なんかは、何が原因だったか忘れたのだが、予定がぐだぐだになってしまって、4、5時間ぐらいグラバー邸にいたりしたので、もしかしてグラバー邸マスターになったんじゃね?とか勘違いするレベルになってしまっていた気がする。(いや、おこがましくもマスターなんてことは当然ないのだが)
 今だと、ブログとかを漁れば出てくるような話かもしれないけども、当時としては、遠隔地からみれば、現地でしか得られない情報だったりしたわけで。
 そういう意味では、今は幸せなんだか不幸なんだかわからないけども。
 ○○ということを知りました。→ググったら出るやろ。という図式ってのは、何となくそれはそれでさみしい気がするので。
 当然、このときのネガもないんだが。
 さらに、なぜカメラを持っていたのかも記憶にない。
 何してたんだろう・・・・

 京都、奈良。
 ここなあたりは再度訪れることで記憶がどんどん上書きされてしまっているので、もう何が何だか分からなくなっているのだが、これも歳を食ってから言い続けているがゆえに記憶していることとして、その場で見ても遠い、ということ。
 人が多くて押し流されるのでじっくり見ることができないのもあるだろうけど、長時間立ち止まったところで対象との距離は縮まらないわけで。
 確かに、解説書なんかに掲載されている写真とかTVとかの番組で紹介されている映像なんかは、これでもかというぐらいなベストショットで撮っているわけで、それと同等もしくはそれ以上を求めるのはどだい無理なわけだけども、それはそれで当時としては結構ショックだったり。
 大仏とか膝まであがりてぇ、とか、金閣だと池(鏡湖池のこと)を泳いで渡らせろとか思ったぐらいで、まぁ可愛いものである。(ということにしたい)

 それにしても、「修学」というのはかなりのくせものだと思う。
 個人的に、海外に行ける人ってうらやましいなぁ、と単純には思うけど、なにを修めろってのか分からんし。
 うーん、国内と海外とを分離して階層付けし過ぎだってのがあるんかなぁ。
 英語コンプレックスなだけに。
 パスポートが持てるうちに持っておいた方がいいってそんな話でもないか。