責任は歯医者に鹿内らしい

 日経の某連載記事を読んでいて思ったのだけども。(どれかとは、コードにひっかかる云々)
 偉い先生方と自身との共通点を見いだすとかおこがましいとはいえ、後から感じる虚しさという結果としての一部分としては同じなのかなぁ、とか思ったりしたので書き残してみる。

 私が社畜華やかしころ、商売敵に牙をむき、社内に敵を作ってでも突き進もうとする姿勢に対して「なんで?」と言われることが多かったりした。
 実のところ、当時ビジネス誌やらその他の書籍などから、そういったことをセンスのない無能が行うとすくうまでもなく勝手にすっころぶというのは承知していたので、結構自問自答していたりはしたのだが、結局、ろくな回答も思いつかないし、もっともしっくりきそうなのは「自己満足」だったりした。
 実際、しがない底辺社会人にとって命令にそぐわない行動や成果であってはならないのだが、手法や一挙手一投足が完全に1つにのみ限定されるわけではない場合には、その選択肢の幅をもって自らが選択する1つというのは、ある意味「自己満足」によって自らが意欲的になれるのであればそういうものなんだと思えていた。
 また、未来の事項に対して論理的思考が単一の経路しか示さないという事象は少ないため、意思や意欲といった要素が寸分たりとも入り込む余地がないというわけにもいかないように思っていたということもある。
 加えて、およそ、その「なんで?」は、論理的説明を求めているわけではない(というか、そういう方向での説明は散々しているので)はずという考え方から、それではない部分を求めているのかなぁ、というのもあったりした。
 で、それはそれとして、先述のとおり、有能ではないために思いの至らない領域でめでたくすくわれるわけだが、そもそもすくわれることが分かっているだけに他を巻き込まないことには注意していたと思う。
 あと、当然ながら名実ともに巻き込んだ状態で「すくってみろよ」的にふるまうことも取れない手段であった。
 逆にいえば、当時「すくってみろよ」と強がりを吐いていたのは、すべてフェイクというお粗末なものではあったのだが、まぁ、その程度の人間なのでそんなものである。
 要は遠くにいってひっそり爆死するのが最もきれいなオチだと考えていた。
 そして、望むらくは、少なからずでも積み上げた成果なり実績なりを全部おれがやったといってもいいので生かしてほしいということではあった。
 これを職場を離れる時に誰かに告げるのも、ある意味「自己満足」だったりした。

 で。
 当の日経の記事で感じたのは、当人が自身の行動に関してどのような自己分析を行っていたのかは分かる由もないけれども、それが分かる分からないに関係なく、行動に関しての後々の当時としては多分思いつく者がまずいなかったであろうことでさえ責任として断言されてしまうということかと思う。
 私は、過去の職場とはもうすっかり離れてしまっている(知り合いに会っても仕事の話を意図的にしない)ので分かりえないが、とある部署で作った経理用のサブシステム(といっても当時のオフコンが受け付ける数値の為替を反映する前の会計用集計データを入出力する程度のもの)を作った際に、部署移動したあとで、経理担当者からサブシステムを利用しなければならない者が親会社のコネ社員なので使ってくれないと嘆いていたりした。
 で、その実はというと、その社員にとっては、振替伝票の借方の合計と貸方の合計が一致してなくていいじゃん、そんなめんどいのはやりたきゃ経理でやれよというものだったらしいので、それは私にいわれてもどうにもならんなぁ、という話だったのだが。
 いずれにせよ、詳しく書くといろいろなんなのであれだが、少しでも会社の業務処理が整流化したり精神衛生上楽になったり(単に一般的な業務フローレベルでぎくしゃくしないというだけでも意味はあるのかもしれない)する状態を知ってしまうと、昔に戻れなくなってしまうのはよくある話で、こういったものも些細なことではあるが、思い至らなかった負の遺産といえるかもしれない。
 今の伝票処理とかがオンライン化されているような会社の人だと、まるっきり何のことだか分からないかも知れないけども。

 ただ、ifでしかなく無意味な考え方ではあるものの、持つだけで直接的に必ず自らばかりを毀損することが容易に想像がつく道具を持たないことは、自身の防衛のために存在する論理ではあろうが、道具が必ずしも非選択的に毀損するわけではないことを鑑みれば、非選択性がよりデメリットに働く者がその道具に反対した、という見方もできなくはない。
 それは、残念なことに当該記事で触れられた人々の属性とは別に、当該記事をしたためているジャーナリストとおぼしき人物につらなる属性の者にも責任はあるのではないかと思える。(事実のみを表現するのも仕事だとは思うけども)
 当然ながら、主権たる最小単位の一である私自身もその一端があるはずで。
 どうにもならないし、ならなかったし、意図的にソレから忌避してるけど。