昨日のWBS

 昨日のWBSでは、アメリカの100ドル札、EUの500ユーロ札の廃止議論について触れていた。
 『高額紙幣はかさばらないため、脱税や犯罪の取引に使われており、廃止すれば脱税が減って税収増加したり、犯罪減少に効果がある』とのこと。
 為替レートのみでその紙幣のイメージを日本に適用するにはかなり危険な気もするが、120円換算(最近は110円に近いけど)として100ドル札は1.2万円札にあたる。
 とりあえず、1万円札とほぼ同じと仮定して考えてみると、1億円でもバッグに入るレベルなので、その容積が2倍になったところで保管場所にさほど困ることはないような気がする。
 犯罪取引を考える時には、たとえ2倍でも資金洗浄やら現物の確保や受け渡し時の安全性確保なんかにそれなりのコストとして影響しそうな気もするが。
 それとも、それらの犯罪金額の桁がありえないほど大きいのだろうか。
 ちなみに、アメリカ、EU双方がこの紙幣を廃止したとしても、日本の1万円札が主要通貨の中で最も高額になるかと言うと、200ユーロ札がまだある。(えーと、スイスフラン札は別格なので外します。)
 ただし、何らかの理由で現金で高額取引をせざるをえない人たちには1万円札の価値が上がるのかもしれないと考えてみたりする。
 しかし、日本円は貿易決済通貨としてそれなりに流通しているとはいえ、およそ一般消費者の経済活動で通用するのは日本だけだろうし、日本を拠点にしていない限り長期的に現金で所持し続けるには障壁が高い気がする。
 逆に国内だけを考えてみても、高額のドル札やユーロ札で長期保管しようとしていた人はあまりいなさそうな気がするし、結局のところあまり影響はないのかもしれない。
 そもそも、マイナス金利の副作用で銀行預金を忌避しタンス預金に向かう心理を抑制することが裏の目的なので、日本に同様な方法を適用しても既にゼロ金利の時代にローリスク側にリスクヘッジした金は既にタンス預金に切り替わっている(まぁ、やりようによっては脱税なのだが)可能性が高く、マイナス金利でどの程度タンス預金が積み増されるかを考えても、さほど多くないのでは、と思ったりする。
 で、マイナス金利に際して個人的にはそんな話はどうでもよく、口座維持手数料がいつかけられるのかが、一番ビクビクすることろだったりするが、いずれにせよ正直勘弁して欲しい。

モチベーション

 Twitterで『「給料が低くてもモチベーションを保つ方法」っていうコラムを読んだんだけど、その前に「給料が低いのにモチベーションを保つ理由」について教えてほしい。』という書き込みがあったので、そのコラムを読んでみた。
 で、このコラムの素晴らしいところは、タイトルに「給料が低くてもモチベーションを保つ」ための指南を心理学者にしてもらっているわけではないというところにある。
 タイトルを読んだときの先入観をもって以降の文章を読み進めてしまうために、さも心理学者がタイトルにある件の問題解決手法を提示したかのように思い込んでしまう巧妙なすり替えが行われている。
 事実、文章中には、『そこで今回は、心理学者の内藤誼人先生にモチベーションを保つ方法を聞いてみた。』とあり、確かに嘘は書いていない。
 最後の一文では、仕事のモチベーションを上げて給料アップという文言でしめるという論点の発散ぶりで、綿密に計算した上でこういう構成のプレゼンスを持ってみたいものだと思う。私のように意図せずになっているのはまだまだなのだ。
 で、心理学者の方が述べているモチベーションを上げる方法は、非常に一般的な、乗り気じゃないことをどうやってやり遂げるかとか、やりたくない勉強をどうやってやるかとかでも散々言われていることの派生版で、無責任男シリーズでも見て研究すればよいことのようにも思う。(まぁ、私なんかそのころ生まれてさえないけどな。)
 で、せっかくなので、まずは「給料が低いのにモチベーションを保つ理由」を考えてみる。
 とはいえ、考えるまでもない。
 そもそも、「給料が低い」というその背景に「はたらけどはたらけど云々」に代表されるような状況が横たわっているため、「何かしらの努力を起こしても給料が低いままなのに」という意味をふくむであろうし、また、給料とモチベーションに対するコスト比較を考慮すれば、「モチベーションに見合う給料の増減がない状態でモチベーションを保つ」方法を考える必要があるのではないかと思う。
 さらに、仕事内容や労働する自分の姿に対して「はたしてモチベーションは本当に必要なのか?」と思ってしまうような層もそれなりに存在するなど、外的要因として様々な事項が絡んでくるため、とある一人を言い含める理由をでっち上げたとしても、別の人からは即座に反論される状態ではないかと思われる。
 では、とりあえず、理由は置いておいて(こういうのは労働者側じゃなく使用者側が考えそうだが)「給料が低くてもモチベーションを保つ方法」を考えてみたい。
 これも、まぁ、同じく考えるまでもないかと。
 労働がその対価によって生活するのために行っているというと反対する人もそれなりにいるのだが、それらの人にとって、労働がその対価だけではないだけで、対価がない状態でもその行為を続けるのかというとそうでもないことが多い。(経営層はそれ以外の要因もあるので除く。)そして、その中でも一部の対価がない状態でもその行為を続ける人についてその共通する特徴を分析すると、一般人からすれば生活に困らない程度の金銭や環境を所有していることが多い。(ただし、当人は生来の生活レベルが高いので、収入がないことなどを理由に生活は苦しいと一様に答えはするが。)
 これを逆に考えていいのかどうかわからない(多分論理的には繋がらない)が、生活がある一定程度充足している状態でもモチベーションを保って働くことができる者が存在するとして、生活があまり充足していない者の中にも生活がある一定程度充足してもモチベーションを保って働き続ける者が存在すると仮定するなら、生活があまり充足していないことで他に気を取られて仕事がおろそかになったり、モチベーションが下がる事態を避けることでモチベーションを保つことができるとも考えられる。
 ベーシックインカムの話題に対して「それでも仕事を頑張る人はいる」とマツコ・デラックス氏が発言したことが話題になったことがあったが、多分こういう層について言及したのではないかと思う。
 ただ、当然生活がある一定程度充足すると一段とモチベーションが下がる者や労働の対価(金だけでなく制度なども含め)であることを忘れ、欲のみに走る者が出てくることも事実で、それが逆に目立ってしまっていることが、全体のモチベーションをさらに下げているとも考えられる。
 では、生活がある一定程度充足している状態でもモチベーションを保って働くことができる者かどうかという問題を考えるとすると、様々な統計的調査による裏づけが必要だとは思うが、多分、大金が手に入ったら会社辞めると公言してはばからない人には無理なのだろう。
 生活がある一定程度充足している状態を想像した時に、自身がそれでもなお精力的に働いている姿を想像できるならば、生活がある一定程度充足している状態でもモチベーションを保って働くことができる者といえるかもしれない。
 とはいえ、現状では生活があまり充足していない者で生活がある一定程度充足した状態でもモチベーションを保って働くことができると思われる者においては、生活が充足していると自分に思い込ませる方法ぐらいしかモチベーションを保つ方法を思いつかない。
 経験での話にすぎないが、生活が充足していると自己暗示をかけて仕事に盲目的に打ち込むと、仕事は過激なまでにエキサイティングな状態を体感できるが、私生活はエキサイティングなひどさを呈するなどということも可能ではあった。そして、そのときは、給料は低くてもモチベーションは高かったように思う。
 ただし、それが当人にとって幸せなのかどうかは、別物のようには思う。