みんなオイラが悪い、わけでもない。キミでもない。

 「女のこれ私の仕事じゃありませんと断る率は異常」とそのコメントを見て思ったことを少し。
 まず、コメで『ストレートな表現』と述べている方もいるが、私はコメを書く人が増田が体験した現象を自身の社会経験から導き出した評価において、未だにここまでばらつくものなのか、という方に目が行ってしまった。
 世間的に企業のグローバル化だの雇用環境の多様化だの言ってはいても現場はともすれば昭和からあまり変わっていないのかもしれない、とか少しショックを受けたりした。

 簡単に触れてみると、例えばグローバル化やISOなどの手順化などを通じて業務の適正で効率的な配分などにまで踏み込めなかった企業は、業務そのものが多層化したり手間が増えるだけで効率が落ちたりすることも多かったのだが、そういった実態は未だに解消されることも企業として淘汰されることなく存続しているところにある。
 雇用環境の多様化についても国内基準かどうか(国内中心の企業か外資系か)でその対応は変わってくるわけだが、国内の実情を中心として考えてみると汚い言い方をすれば違法非正規労働者をとある圧力で法定非正規労働者に置き換えたカテゴリができただけで少なくとも外資系が欧米に身を置く労働環境の多様性とは程遠いと思われる。
 しかしながら、思っている以上に多様ではなくまたあまり劇的な変化があるわけでもない雇用環境(時間や給与の額などの表面的なところの変化をいうものではない。)が続いているにもかかわらず、思った以上に正しく分離せずに話を行うところはなぜか変わっていない。

 コメの内容を俯瞰してみると、かなりの数で、増田が受けた事象(仕事を断られたこと、断られること)に対して「なぜか?」を自身の経験から導き出した内容となっている。
 増田も『それはそうなんだが』としているため、「なぜか?」を設定してその内容について言及はしていないが何らかの結論を出しているのだと思われる。
 コメの内容を参考に赤の他人が勝手に「なぜか?」を挙げてみると、
 1.新しい仕事を受けると仕事が忙しくなる。キャパオーバーになる
 2.1.に付帯する内容だが、1.の理由が理由にならない組織なので言い方を変えた
 3.組織がその女性に指示を出す者をあらかじめ決めている
 4.その女性が断ることがプロジェクト全体をうまく動かせるためそう行動した
 5.少しでも仕事を減らして作業単価を上げたい
 6.5.に付帯する内容だが、ぶっちゃけ仕事したくないし意欲もない
 7.増田がその女性に嫌われている、もしくは軽く見られている
 8.7.に付帯する内容だが、てめーでやれ、クソムシが!ぐらいに考えている
 9.増田の勘違いで実質的に増田の方がその女性よりいろんな作業を断っている
と、何というかかなりむちゃくちゃな内容も含まれるができるかぎり抽出してみた。
 で、結局のところ、昭和的な会社組織をイメージした上で、増田と女性の雇用条件や所属、役職、地位などの属性が分からなければ、事象に対する「なぜか?」の絞込みは難しい。
 というわけで、とりあえず、
 a.女性は派遣労働者で専門26業務として契約している
 b.女性は増田の会社に同内容の契約で派遣されて4年目になる
 c.増田はプロジェクトリーダーだがPMはお飾りのため実質的にPMである
 d.組織の分掌や役職に関する職務権限は硬直的に規定されているためPMが派遣契約にかかる権限を持ち、また業務を指示する権限を持つ
と設定してみる。
 かなり作為的な設定になっているのは理由があって、増田の記事を読んで真っ先に思いついたパターンだったから、というのもある。
 これは、労働者派遣法と関連法令(施行令など)の関係で女性の地位(その会社の派遣労働者であること)が危うくなる業務を増田が指示する形になったのではないか、ということだ。
 労働者派遣法自体『派遣労働者の保護等を図り、もつて派遣労働者の雇用の安定その他福祉の増進に資することを目的とする。』と謳っておきながら、実態は逆なんじゃないのかと思えるような運用をされることも多い。
 専門26業務として派遣契約をした場合、派遣期間制限がないという例外扱いになるわけであるが、政府見解からいうと、例えば専門26業務として契約をした派遣労働者に専門26業務以外の業務を指示し実行した場合、その割合の1割程度を基準に専門26業務以外と同様に派遣期間制限(原則1年最大3年)を受けるとのことで、つまらない話をすれば、例えば茶をいれろとかジュース買って来いとかが1割を超えると契約上、労働者派遣法上問題が生じるということである。
 当然、その不利な立場になる派遣労働者には対抗策が法で定められているが、会社側も雇い止めなどでいくらでも対抗できるため実質的に意味があるとは思えない。
 また、その女性が専門26業務で長期間同じ会社で派遣労働者として働いているということは、社員という立場にならずともある程度安定した雇用を志向していると思われ、その立場を危うくする行為はできる限り避けたという意識が働いている可能性が高いと思われる。
 増田は、実質的にはプロジェクト全体を統括する立場でありながら、組織的には別の立場で、プロジェクト自体も別の者が統括していることになっているといった状態で、会社組織は官僚的組織構造に無理やりプロジェクト方式をぶっこんだ多重権限構造となっていると考える。
 こういった組織の場合、やって欲しいけど権限がない、権限はあるけどよく分からないので無難な選択(提案は基本拒否して仕事を増やさない)をする、形式的な権限者と実質的な管理者との指示が競合するため手戻りが多い、また競合への対応策として作業開始を遅らせるなどの様子見や手戻りの対応策として指示待ちが発生するなどの問題が発生しやすい。
 一部のコメに見られるいわゆるそれぞれのプロフェッショナルがその専門性を用いた範囲の業務を行い、PMがそれを統括し統合することでプロジェクトを運営する方がうまくいくかどうかは、その組織体の基盤によって左右されるということであり、平成の世になり、別の世がくるかもしれないと検討を始めている状況になってもそのどちらも生き残っているということなのかもしれない。
 また、増田が『ちょっとやるだけで全員の段取りがよくなる』と述べているように、全員の段取りがよくなるちょっとした作業がプロジェクトに多く散らばっているように見受けられるのも、権限が多層化し、無理に屋上屋を重ねたせいで業務分掌もなく当然権限も指示系統も存在しないような虫食いな状態になっていることに起因していることを示唆しているように思えてならない。
 ちなみに、こういった状態が悪化してくると、誰にも業務指示の権限もなく、その業務内容の権限もなく、その成果を評価する責任もなく、各プロセスの遂行そのものにも責任がなく、問題が起きても責任はないが、実行者は言い逃れをしにくいためにスケープゴートにされるというような組織体制ができ上がってしまうことがある。
 こういう組織の場合、組織に所属するだれもが全員に対して「いつもいつも俺の/私の仕事じゃないと断りやがる」という認識を持つというよろしくない職場環境に陥ることも経験上ままある。
 当事者にとって改善の余地はあまりないので、実質的にあまり意味のある行為ではないのだが、「自分の仕事じゃないと断ってんのは俺/私じゃなくておまえじゃねーのか!」と感じてしまうようなら、双方の人格的な問題ではなくて、所属している組織の構造的問題によって引き起こされているかもしれないと疑ってみるのも手かもしれない。
 さて、増田の『それはそうなんだが』という結論に対して、人(ここでは派遣労働者)を使う上での労働法規を知っている上での結果であるのかどうかは全く触れられていない(そもそも派遣労働者であるかどうかさえ記載はない)ので分からない。
 現在の派遣労働者に関連する労働法規の性格上、コメにあるような『ちょっとやるだけで全員の段取りがよくなる』ような業務・作業が存在するプロジェクト運営は効率が悪いと言える。
 また、具体例を示すと大変なことになるので伏せるが、プロジェクトに偽装請負偽装派遣をぶっこむのもやりやすくなることもあるようだ。(違法行為なので絶対にやらないように。)
 いずれにせよ、先述の権限の多層化を生む状態というのは、既存のどちらかといえば旧態依然とした組織に最新のプロジェクトを無理やり載せた形式であることが多く、逆にプロジェクトが目的で起業したとかスタートアップを立ち上げたとかの場合、プロジェクトを適切に遂行するための組織を作ることになるため、自ずと変わってくるものである。
 女性が自身の労働者としての立場を守るためにリスクを排除することを優先したことと、増田が『ちょっとやるだけで全員の段取りがよくなる』というプロジェクトの効率性を重要視し、柔軟な対応を求めたことと、双方の労働に対する方向性が違うといった競合が発生している以上、プロジェクトを適切に遂行するために適切な組織にはなっていない、と考えてもいいようには思う。
 とはいえ、そんな一般論を一介の雇われ人が考えたところであまり意味はない。
 プロジェクトを遂行することを至上命題にしたならば、コメにもあるように一人で抱え込んで遅くまで青い顔をしながら仕事をし続けなければならないし、組織がぐだぐだなのはしかたがないとして増田などで愚痴って、プロジェクトを転覆させてクビにならない程度にでっち上げることを至上命題にして生きる方法もある。
 既に就職している者からすればあまり参考にならないかも知れないが、例えば派遣労働者に関しての法的知識などを社員に教育しなかったり、それ以前に上から下までそういった知識がないとか得ようという遵法思想が欠けているとか、労働法規違反上等!というスタンスなブラックどころか漆黒状態なのかというレベルの差はあるにせよ、先の起業などによるプロジェクトに適した組織を作り上げている場合には、現場レベルで法的知識レベルまで降りていかなくても問題が起こらないような組織体制を敷いている場合もあるため、一見分かりにくいことの方が多いように思う。
 こういった内容は、派遣労働者という事項に限らず様々な場面で存在し、企業に所属しているときには空気のように意識することがなかったのが、起業して自らが代表になった途端酸欠になって慌てふためくといった状況を作り出す要因の一つであったりもする。
 多分、はてな民のような一定水準以上の組織に所属していると思われる場合は別にして、先のような指示者と派遣労働者との競合が発生するという些細な(組織全体からすれば、という話。)事象から、指示業務の権限、責任、評価などが決まっていないとか、無茶振りがはなっから労働者派遣法どころか労基法も真っ青な違反ぶりとか、そもそも派遣契約がちゃんと行われているか分からない(派遣業を行う完全子会社の場合などが多い。これも当然違法行為である。)とかが目に付くようであれば、いつ火の粉かフレシェットか分からないがひっかぶる可能性も出てくる。
 そういった企業や組織が簡単に市場から退場するようにできているかというと全くそんなことはなく、私が過去に所属していた数百人規模の会社では、全事務所合わせて年数回労基の世話(文字どおり悪い意味での「世話」)になっている状態でも元気に存続していたりする。
 負け犬の遠吠えとして処理してもらってかまわないが、先の法人における市場原理とは別に『ちょっとやるだけで全員の段取りがよくなる』レベルの部分最適(例えそれがかなりな規模の1プロジェクトであったとしても)を実際のところ会社(もしくは経営者、親会社、創業一族など)が望んでいない可能性も否定はできない。
 こうなってくると、今度は現場レベルでの部分最適が放置され続けてきた理由を「なぜ?」と考察していく必要が出てくるのだが、これはこれで地雷原で麦踏みをするような愚かしさのような気がしてならない。
 結局のところ、自らのマネジメントスキルを最大限に発揮できる組織を選択するのと自らが所属する組織の体制に合わせたマネジメントスキルを選択するのとは、同じように見えて現実の事例に落とし込んだ場合にその差異が顕著であることも多い。
 先の仮定からすれば、増田は後者である可能性が高いため、単純に前者のような条件での判断指標として優劣を決定してよいものではないのではないかと考える。

 と、有り体に言えば、当事者のどちらも悪いわけではなく組織が悪いというよくある逃げの論理と捉えられかねないが、そういった側面だけを見てリソース(多分ここではヒトとそれに付随するカネ)にその責任と最適化を押し付けてしまうと逆にリソースが非効率的に扱われたり、場合によってはリソース自体が毀損することもある。
 経営者が組織運営のマネジメントを行い、マネジャーなどが担当部署の業務全体やプロジェクトのマネジメントを行い、各要員が自らの担当作業のマネジメントを行ってはいても、組織という「うつわ」やその体制、構造と連関させてマネジメントを行っている組織は一握りであろう。
 あまり業績の芳しくない零細企業の番頭が「先代はワンマンだったけど、息子はBSやPLもちゃんと読めるんですけどねぇ・・・」とか言うのを聞くと、一体どこからつっこめばいいのかうんざりしながらも、否定するわけにも行かないため、出されたお茶を飲みながら「そうなんですかぁ・・・」とお茶を濁さざるを得ないことも同様な事例を含めれば結構多い。
 上の例のように最も単純でともすれば古臭いと揶揄される意思決定プロセスや金回りだけに企業業績という樹形図の末端だけを切り取ったような指標の原因を求められるものではないことに気付けば、もし組織体制やその構造に問題があった場合に気付く可能性もでてくるだろうし、その権限の大きさから現状を変革することも可能かもしれない。
 しかしながら、往々にして組織体制やその構造の問題を実感するのは、主に現場であり、また、そういった者には組織体制やその構造の問題を解決する権限を持っていることは少ない。
 さて、こういった構造的な問題に「ぴんとこない」という場合は、多分社会人として幸せなのだと思う。
 少なくとも組織体としてグローバル企業などと伍していくポテンシャルを持ち合わせているということだと思われる。
 構造的な問題が所属する組織にあるにも関わらず「ぴんとこない」という場合は、多分社会人として世渡りがうまいのだろう。
 ただ、その問題の重症度にもよるが、少なからず誰かにしわ寄せがいっているのも事実ではある。
 「ぴんとくる」場合は、最も不幸せであろう。
 不幸せであることを自覚することが最も不幸せだというのはよくある話だが、多分同じ部類だろう。
 いずれにせよ、どうしようもない(あくまで自らの立場で打てる手は打った上で、という前提だが)ので、ぼちぼち行くしかないわけで、かりかりしてもしゃあないぐらいなところで終わることにする。
 だって、打てない手を打っても書類束や灰皿やクビとかが飛んでいくだけなので。
 経験上・・・ね。