前回のラ(ry。

 なんで前回かというと、視聴が全体的に遅れているからという、非常に個人的な理由による。
 それはそれとして、第8話は、Aqoursのデビューシングルのカップリング曲ときれいにリンクする形で、関連コンテンツを含めた構成の一貫性にぶれがなく、見ていてすっきりする。
 視聴が遅れているだけに事前に情報や評判が入ってきてしまっている関係上、少しひやひやしながら視ていたのだが、なかなかいい感じだったと思う。
 視聴に先立って個人的に最も気がかりだったのは、東京スクールアイドルワールドの来場者投票がAqoursだけ0であることが確率などの意味で現実的なのかどうか、という点だった。
 第4話のAqoursがエントリーした時点で4999組以上存在している(第8話では、昨年の最終エントリー数が7236組と述べられている)なかで、直前(第7話)で99位であるにもかかわらず、上記数値から推定される来場者による投票数が確率的に1未満(員数を四捨五入するなら0.5未満)となるのか?という話で、数学が得意な人なら、順位でしか分からない部分を例えば100位以下から5000位までどういった数値的構成なのか推定できそうだ。
 複数基準の総合値なら何ともいえないが、ファン数やSNSなどの言及数などに起因しているなら、一人一票的な来場者による投票数にもそれなりに相関がありそうな気がするし、逆にある程度の精度で母集団推定が可能ではないかとは思うが、誰もそんな検証はやってないような気がする。
 そもそも、来場者が必ずしも全体を代表するサンプルであるとは限らないわけで。
 さて、先述の「なかなかいい感じだった」のは、構造として非常に技巧的だったことが大きい。
 それは、ラブライブ!全体のイメージに対して数値的なものから受けるイメージの位置付けが、視聴者にとって弾力的に判断できるようにしていることが挙げられるかと思う。
 当然、単純にセリフどおりに受け取ることもできるわけだし、99位と言っていたのに手のひらを返したかのごとく最下位どころか投票数が0であることに「???」となる者にもその矛盾点の根拠となり得る危険性のあるシーンをマスクすることで幅を持たせている。
 また、投票数が0であることにつながる直接的な描写(スクールアイドルへの姿勢、取り組み方ではない部分)は行わないかわりに、「歌えただけまし」という状態という、いうなればマイナスの状態のみ確実に描写することで、マイナスから頂点までへのレンジを大きく取った上で、ゼロ点(原点)のイメージを視聴者に具体的に示さずに、視聴者の感覚における0(ゼロ)のイメージを先のレンジに相対的に当てはめる行為は視聴者に任せることで各視聴者の感覚のばらつきを吸収しているように思う。
 さらには、中盤の会長の話で世界観としてそうなんだ、という形にうまく持っていくという押さえも効いていると感じた。
 演出的な面では、千歌の心理変化をラストの状態まで尺を長めに取っているにもかかわらず、情報をぶっこみすぎない(演出的に感情面をむりやりこねくり回さない)ように配慮されていて、これも「なかなかいい感じだった」要因の1つになっていると思う。
 作っているのがサンライズなだけに、いわゆるロボットバトルモノにありがちな、ストーリ中盤に敵にこてんぱんにやられてレベルアップして復活!みたいな構成パターンと似ていなくもないことから、それをそのままなぞったようなストーリー展開だったらポップコーンでも投げつけてやるぐらいの気持ちだったのだが、さすがにそれはなかったようである。(すまんな、歳を食ってくると、そういうくだらないところに目が行ってしまうのだよ・・・)

 さて、前出の「Step! ZERO to ONE」の楽曲ができる前に多分脚本をあげていると思われる花田氏はいったいどんな気持ちで書いたのだろう。
 話の内容自体は「0から始まる」に集約されるのだが、脚本を書いている段階では、そのミッションはいかにして0にするのか、そしてその心理状態は「0になろう」なのではないかと想像してしまった。
 服を着たまま海につっこんだり、リーダーだから思いやり(メンバーみんなにバレているのだが)を見せなきゃとか、砂浜でみんな集まっちゃうとか。
 気づいたのは、第8話をこの記事のために2、3回ぐらい見たときになのだが、花田氏が脚本を一人書きながら「ZERO」をアカペラで大熱唱してる姿を想像して爆笑してしまった。
 楽しみどころが違うけど、まあいいか。



 余談。
 あまり書かない方がいい鬱展開ネタにつながりそうなのだが、第9話も一緒に見てふと頭をよぎったのは、過去に東京スクールアイドルワールドに出演した(別に同一イベントだとは言ってないわけだが、そう仮定するとして)ダイヤ、果南、鞠莉のグループ名もAqoursだったということであり、その原因はどうあれ、来場者からすれば「歌わなかった」ことから、そもそも東京スクールアイドルワールド界隈のスクールアイドルファン層はAqoursという名前自体にネガティブだったがために実は投票数が0だった(先の来場者が全体を代表するサンプルでない理由の例の1つ)とかだと、数的矛盾は解決するが、話の内容自体がドロドロになったあげく、いろんなエピソードがすっ飛んでしまうので、そんな話にはならないとは思うが、、、
 そもそも、グループ名って継承するのが一般的なのかそうでないのか分からないので、そういう心理(不祥事を起こした会社や商品の名前をイメージ刷新のために変更するような状況をもたらすもの)が想定し得るかどうかわからないわけだが。
 現実問題として、イベント運営者の立場からしたら、来場者投票が0付近になるグループを選出し出演打診を行っている時点で来場者から運営能力を問われかねないわけで、それゆえ周辺の権益関係が云々とか。
 そもそもラブライブ!の世界で域内(というかスクールアイドルは国内限定なのかな?)に何校あるか分わからないが、それでも5000ほどのボリュームがあれば、様々な権益が渦巻くこととなるだろう。
 オリジ曲である必要性からそれを作り出す能力が必要となるわけだが、なんらかのサポート(一応部活なのでコーチ扱い、とか?)をつける関係者がいても不思議ではない。
 スクールアイドル立ち上げから作詞作曲振り付け指南(闇ゴースト)などの胡散臭そうなコンサルのたぐいが跋扈しそうで怖い。
 また、オリジ曲という表現がラブライブ!の世界に存在するということは、著作権のような権利関係もうるさいだろう。
 オリジ曲でもオリジ曲であることを認可させてしまえば、自ら自由にライブすることも難しくなるだろう。
 こういったところにも権益が生まれるはずである。
 運営側がオリジ曲を必須条件として掲げる限り、運営側にはそれを確認する責務が存在するはずで、そういったところが商売になるとかかぎつける者もいるはずである。
 作曲まではいいとして、オケは誰が作るのか?とか考えてみると、μ'sに関していえば、真姫がピアノ以外の楽器は触ったことがあるぐらい、、、と言いつつ神業を披露しそうで、一人多重録音でオケが完成してそうだなぁ、とか思っていたが、考えてみれば、メンバー内でそれをまかなうならそういうことができる者が現状で5000人から7000人ほどいる計算になる。
 部費で作曲家や演奏家とかから買っちゃダメなのか?とか。
 そこに権益をかぎつける者はいないのか?とか。
 もう言い出すと収拾がつかなくなるのでやめる。

 えーと。
 作品は楽しみましょう。(自戒)


 敬称略です。
 最後にラブライバー様、ごめんなさい。