豊洲

 なんというか、豊洲新市場の問題をニュースなどで見ていると時代を色濃く表した不祥事が相変わらず続いているなぁ、というのが正直な感想ではある。
 不正の構造は、もう書く必要がないレベルのありきたりさなので置いておくとして、自らの大雑把な知識において少し思いついた5点について覚え書きをしてみたい。
 ただし、現時点で真相が明らかではない(将来的にも明らかにならない可能性も高いが)ため、見当違いである可能性も高いことを先に書いておく。

 1点め。
 豊洲新市場の土地がその計画の段階から汚染土壌が問題として衆議院環境委員会などで議論されてきた経緯から考えれば、本計画の土壌汚染の有無について知らない関係者はいないだろうと思われる。
 また、汚染土壌に関してどのように扱うのか等を規定する「土壌汚染対策法」および下位法令は、暴露状態の生鮮食品を大量に扱う施設を建築することを考慮されたものではないため、「土壌汚染対策法」関連法令だけではなく、その施設の使用目的、使用方法を加味した建設手法が取られるべきとのコンセンサスも得られていたようである。
 ただ、このようなコンセンサスなるものは、法令に依拠するものではないため、今更どうもならねえよ、と開き直っても特にどういう問題でもないかもしれない。
 しかしながら、少なからず、東京都環境局のHPを見る限り、「土壌汚染対策法」における「形質変更時要届出区域」に指定されているっぽい。(江東区豊洲六丁目という住所から推定しただけなので正しくない可能性はある)
 「形質変更時要届出区域」に指定されているならば、今回問題となった都が関係者に説明した形状変更と異なった施工が行われていることから考えて、「形質変更時要届出区域内における土地形質変更完了報告書」(都道府県所管なので所管によって名称等は多少違うとは思う)とかで「形状変更が計画どおり行われたことを証する書類」を添付しているはず(これも、所管によって違うかも知れない。以下同じ。)と考えれば、有印私文書の虚偽記載が疑われる場面ではなかろうかと思われるわけだが、あまりそういう話にはなっていないようだ。
 契約的な観点からすれば、都はただの発注者であり、「形質変更時要届出区域内における土地形質変更届出書」および「形質変更時要届出区域内における土地形質変更完了報告書」を作成し、提出するのは受注者である。
 簡単に言えば、都は受注者の責任です、と言えば済む構造(マンションの杭打ち偽装問題と同じ構造)とも言えなくはない。
 ただ、そう言い切れない何か、勝手で下衆な邪推からすれば何らかの利権などの関係でそういう方向に持っていきにくいのかもしれないとか思った。
 多分、公開されていないとは思うが、問題となっている盛土の施工に関して、受注者への特記仕様書に発注者が当該内容を指示していたならば、都に跳ね返ってくる可能性も高い。

 2点め。
 某圧力団体のボスは、ことあるごとに一言で言えば「ふざけるな!」という内容を連呼しているのだが、これまでの経緯や情報開示から考えて、主体性がみられないと思う。
 個人的なイメージとしては、口をあんぐりあけて、「早くメシを食わせろ」「うまいものを食わせろ」とだけ指示し、口に放り込まれたものがうまくなかったら、ぺっぺと吐き出して「うまくねーじゃねーか!ざけんなクソが!」と言っているようにしか見えない。
 自らの商売のために豊洲新市場が建設されるというのは事実ではあるのだが、民意を考慮するならば、それよりも豊洲新市場が国民の食卓をよりよくより安全にすることを食品流通者の信念として行動していることを、それが例え嘘偽りで本意でなかろうと前面に出すところではないかと思う。
 民意がどういう状況にあるのかは分からないが、そもそも移転を推進する立場として、「聞いてない」「情報公開が云々」と言うのなら、自らも豊洲新市場が国民に影響する事項とセットにして独自の情報公開などの積極的な啓蒙を行ってきたのかも問われるところであろうし、それが見えない以上、白々しいとしか感じられない。
 まぁ、当の一般社団法人の設立申請時の事業内容(要は定款の目的及び事業の項)に含まれてないからやんなくても文句を言われる筋合いはないと言われればそのとおりなのだが、逆に言えば、豊洲新市場移転を推進すること自体も定款をみたわけではない(少なからず、ググった限りでは当の一般社団法人の定款は公開されていないっぽい)が、企業データベースに公開されている事業内容に含まれてないからやんなくてもいいんじゃない?という水掛け論に陥りかねないため、どうでもいいと言えばどうでもいいのだが。
 私自身は、結構浪花節的な思考寄りなため、工事発注者、受注者の許可を得て、独自でボーリングコアを抜いたとか、土壌調査したとかを広く公開し、建設された施設の利用者として積極的な監視、チェックを行っているとか言うのであれば、この団体に全面的に賛同したと思う。
 ネットベースではあるが、そういった記事や書き込みが見られないことを考えれば、あまり一般的な感覚ではないのかもしれないが。

 3点め。
 真相究明を例えばするとして、マスコミなどでは、市場が開場しなくても1日あたり700万円の費用がかかる、という観点から早期解決をという結論に持っていこうとしているところから察するに、それなりかかなりかは分からないが、妥協するなどしてさっさと先に進む方向ということらしい。
 ぶっちゃけ、真相が解明されようとされまいと現実はほぼ変わらないわけで、当事者にとっては、とにかく早く決めてくれ、というのが正直なところかもしれない。
 それはそれとして、先の700万円をどう捉えるか、という点については、その感覚的な大小を述べている記事がほとんどであるように感じる。
 そもそも早期解決に持っていくための要因として設定されているために、そういう考え方になるのは致し方ないところであろうと思う。
 ただ、個人的にそういった観点から私もかなり高額であると感じはするが、それがとりあえず現実であるとした上で、考えたことが2つある。
 まず、1つめは、卸売市場法などの法令を改正する必要が出てきてしまうのかも知れないが、公共事業や公共施設の民営化や特定運営事業者制度、指定管理者制度などを用いた運営を考慮した場合に、民間企業にとっての過大な参入障壁となるのではないかと思われることである。
 そもそも高度成長期のように税収が逓増する時代であれば、過大な参入障壁があるがゆえに、公共事業として実施し維持するのだ、という大義名分が成立したが、昨今の税収が逓減する(都に関しては増加しているのかも知れないが。)時代においては、税を納付する市民の賛同は得にくくなっているように思われる。
 およそ、個人的には、豊洲新市場内に整備される予定だった商業施設において喜代村大和ハウス工業が手を引いたときの都の対応が金額的な折り合いがつかないという事実はそうだとしても、それらの全体的な事象に対する配慮がみられないように当時から感じてはいた。(特に某首長の発言等から考えて。)
 その対応や行為に何らかの利権があるのか単に面倒だからやりたくない(組織として自己完結できない、ともすれば運営自体を議会に承認を求めなければならないとか)という意識の表れなのかは分からない。
 ただ、時代の流れに逆行する布石を打ったかのごとくとられかねない不用意な行動を取ってしまったと気付くことは今後もないのかもしれない。
 2つめは、東京オリンピックをにらみ、世界有数の取扱量をほこる市場として世界にその先進性をアピールしたいという気持ちがあるとしても、少なくともEU諸国などからすれば、持続可能性(サスティナビリティ)の観点から後進的事例として捉えられる可能性もあると思われる。
 これは、単にランニングコストとしてカネがかかっていないとか、光熱費を抑えて環境負荷が云々という直接的な観点ではなく、それらの影響、負荷などを社会のどの領域で負担し、適切に処理されるかといった循環型の考え方に基づくものであるため、簡単な話ではないが、「カネがいっぱいかかるから早く○○○しよう」と声高に述べるだけに留まるシステムで運営されるならば、設備云々の能力は別として、運営面では後進的事例と評価されるかもしれない。

 4点め。
 真相究明云々は置いておくとして、それなりにリスクはあるがリスクテイクは国民が行うものとする、としてしまう(ある意味、某施設と考え方としては同じ)手法は、その行為および結果が適切か、基準を満たすかそうでないかは別として、よく用いられるものではなかろうかと思う。
 実態として、できちゃってるものはしかたがないとして、先述のとおり「なあに、かえって免疫力がつく」としてそのまま供用してしまうのか、もしくは何らかの形で設備を新設するなどのリスク低減を行う対応をとることになるのだろう。
 単純に豊洲新市場が産業廃棄物の最終処分場の直上に乗っかっていると考えるとして、教科書どおりに考えれば、取れるタイプは、管理型か遮断型ぐらいしか思い至らない。
 遮断型は理論的には確実な方法ではあろうが、すでに上屋が建っているため、羽田空港で問題となったような地盤(or地質or土質)改良工法を用いる必要があるだろう。
 そういう意味では、結果的に確実かどうかはよく分からないことになる。
 管理型は、今後永久に有害物質が出ていないかどうか測定し続ける必要はあるだろうが、設備設置のコストは安いだろう。
 ただ、測定を継続するという点から考えれば、偽装する機会もそれだけ多くなり、また市民がそれに関心を払い続けることを強いることにもなる(継続しなければ、単にそのまま供用したのと結果的にあまり変わらないかもしれない)ことはデメリットであろう。

 5点め。
 先の不正の構造にからむ非常に一般的な話であるため、あまり触れる必要がない部分ではあるが、ローカルな公共工事にかかる調達システムの問題というものもあると思われる。
 個人的に、都は、予定価格の事前公表制度などを取り入れておきながら、慢性的な入札参加希望者の不足と不調率の高止まりを考えれば、国や他の自治体とは別の固有の問題が存在するため、国や他の自治体と似かよったシステムを導入しても問題が解決されていないのではないか、と思っている。
 一部のニュースなどでは、豊洲新市場の整備に関して落札率(予定価格に対する落札金額の比率)の異常な高さから談合など可能性などが問題視されていたが、予定価格の事前公表制度が導入されている時点で不正の有無に関わらず、チキンレースである以上、落札率が高くなるのは当然ではある。
 実際に予定価格がある程度良心的な設定であれば、逆に低入札価格の基準値側に張り付くことになるとは思われる(実際にそのような自治体も存在するし、最低入札価格が公表される場合で全入札参加者が最低入札価格で入札し、実質的に最低入札価格でくじ引きをするようなこともある。)が、積算能力の乏しい自治体などでは民間企業に事前見積を取って単純にその6掛けとかを予定価格にするような場合などにおいては、企業努力でどうにかなるレベルを超える場合も想定されるため、不調率が上がる傾向にあるという事例も過去にはあった。
 とにかく、業法やその他法令に反しているかどうかではない適正な範囲内において、税金を負担する市民の適正な社会還元などへの意志と、工事や設計、役務、物品調達などを提供する側の適正な利益を確保できる受注の希求と、発注者の能力に応じた適正な執行の確保を総合的に勘案し、落としどころを探った結果が、国と各自治体の調達システムの差異として表れていると言っていいのではないかと考える。
 自治体の収支が黒字であれば、黒字企業の株主の心理状態とよく似たもので、市民の意識は、全体のポジティブな結果より微視的なネガティブな状態を軽視すると思われる。
 よって、上の3者を考えれば、発注者と受注者の意志に偏った調達システムになっている可能性は高いと言えるかもしれない。
 とは言ってみたものの、今更どうしようもないわけではあるが。





 まぁ、私のように老い先短い者からすれば、ちょっとぐらい毒性のあるものが混ぜられようと、急性中毒になるほどでなければ死期が大々的に変化するとは思えないが、若者や子供においては、はたしてどうなのだろうという気もしなくはない。
 そういったところも含めて、各自が判断していくしかないのだと思う。