中華料理の名前

 今年度の文化庁調査による「国語に関する世論調査」の結果が公開された関係で、毎年恒例の国語クイズが各所で始まっている。
 基本的に言語に関する意識調査が主な内容のはずなのだが、悪意ある書き方をするなら、辞書的な意味とは違う表現を行う者を晒しあげることが比較的簡単であるため、そこがクローズアップされているようには思う。
 ただ、それが悪いわけでもないとも思える。
 基本的に同じ単語、表現で経年変化を調査している関係上、毎年ネタにされ、バカにされ続ければいやが応にも覚えそうなものだ。
 ちなみに「いやが応にも」も正しくない(というか多分造語)表現だが、この調査で取り上げられているのかどうかは分からない。
 同じくこういった事例はごまんとあるはずだが、そのなかでも本調査に取り上げられれば、常に注目されるといったかなり恵まれた(そうなんか?)ことばとなるため、めでたく歯止めが効いてしまっているような気がしてならない。
 特に「確信犯」はその好例な気がする。
 そもそも「確信犯」自体、思想犯や政治犯などを相対主義的観点から捉えた法的概念で、およそ一般的に用いられることばだとは思えない。
 また、誤用とされる『悪いことであると分かっていながらなされる行為・犯罪又はその行為を行う人』に該当する的確な単語がなんらかのプロセスで捻出されてしかるべきところを「確信」から連想したためか「確信犯」があてがわれてしまったために混乱しているように思える。
 「故意」を当てればいいのではないか?という者もいるが、いろいろあって省くが「故意(広義)」>『悪いことであると分かっていながらなされる』ことであり、「故意(狭義)」≠『悪いことであると分かっていながらなされる』(場合によっては様々に変化さえする)という実情からすれば、個人的にしっくり来ない。
 そういった悪条件のなか、未だに17.0%の者が本来の意味だと認識しているのは使用頻度と可用性から考えてかなり驚くべき数値な気がする。
 大体、17.0%の人たちは、日常のどんな場面で『政治的・宗教的等の信念に基づいて正しいと信じてなされる行為・犯罪又はその行為を行う人』を「確信犯」だと表現しているのだろうという気がする。
 使っていないとするならば、使用はしないが意味が想起される知識レベルにあるというだけで、言語の使用という観点からすれば異なる数値を測定しているのではないかと思えてくる。
 まぁ、とりあえず正しい正しくないというより、もう二つ意味があるということでよくね?という気がするのだがどうなのだろう。
 そもそも「確信犯」は翻訳に際して作った造語なわけで、別にええやんか、とか思ったりする。
 とはいえ、あまり頭のよくない教師とかがこういったニュースを見て自慢げに自作のテストに混ぜたりするんだよなぁ・・・・。
 とめはしないけど。
 ちなみに私が最初に「確信犯」ということばを聞いたのは小学校のことだったと思うが、「○○飯」という料理の名前だと思ったのを覚えている。
 多分、腹が減っていたのだろう。

 あと、「愛嬌を振りまく」だが。
 今思い起こせば、何度かペーパーテストで間違った記憶が残っていたりする。
 残ってはいるが、未だに多分「愛想を振りまく」と書いてしまうだろう。
 本来そんな意味はないとは思うのだが、自身の中で「愛嬌/愛想を振りまく」という行為はネガティブな意味での八方美人で本意ではなくこびへつらっている状態を勝手に暗喩してしまうため、そもそも「愛嬌」とか原義の「愛敬」に至る慈愛に満ち柔和な面持ちを自らが率先して「撒き散らす」ものでもなかろうよ、という概念から抜け出せない、って言い訳だが。
 そのネガティブさから「愛想を振りまいている」→「愛想が尽きた」という流れが脳内にできあがってしまっているのもあるかもしれない。
 もう今更だからいいよね。(よくないか・・・)
 「愛想」がんばれ!もう少しで逆転だ、ってのはダメかな。(ダメだろ。)