とりあえずメモ的に

 ブラック企業ということばが市場を席捲していることを逆手にとって「ブラック」という立場としての発言を繰り返しているセブンコードの濱野氏なのだが、発言内容をそのままことばどおり受け止める人と、ネタとして受け止める人がいていわゆる外部から見ていると「興味深い」で終わってしまう様相を呈しているようには思う。
 私としては後者だと思っていて、その理由としては、まず、正直ベースでブラックであることを語っているといいつつ、Tweetなどをみても明らかに法に触れる行為が遂行されたことを示唆する内容はなく、かといっていわゆる直近の「ブラック」のエッセンスを盛り込んだ考え方を披露しつつも法に触れる行為を他者に強要しているわけでもないことが挙げられると思う。
 それでいいのか?という疑問が云々というのは置いておくとして、およそ法が規定する部分が本質的にはブラックなのであって、それに抵触しない部分は、倫理的な部分であったり社会通念的なものであったりすることからすればグレーだと表現されるべきなのだが、そのグレーの部分が露見した時点で、露見していないブラックな部分を背負い込んでいることがほとんどであることから、ブラック扱いされてしまうだけであって、ブラックを正しく認識した上でグレーな範囲内で踏みとどまることを目的としてしまうならば「ブラックであると推測ではあるが断定できるという世間的に一般化した属性をもちながらグレーのままで踏みとどまっている企業」という運営形態もとれなくはない。
 ある意味、全方位(主に労働者と他の経営者)に不謹慎極まりない行為であるのは確かではあるが、よく思いつくものだな、と感心したものである。
 また、「ブラック」であることを企業内外に宣言し、その考え方を説明、解説し、実行すること(いわゆるコミットメント)がなされていると考えれば、ガイドラインが明確に設定されている関係上、ブラックになりえず、逆にそれを表面的に真似ることでいわゆる法を犯すような経営者が運営する「ブラック」が逆に淘汰される(なにしろ、自身の犯罪を自ら告発する(経営者なので内部告発にはあたらないはずだと思う。もう法改正されたかな・・・)わけだし)わけで、そういった点でもよく考えている気がする。
 とはいえ、ある程度公的な意味合いを持っている(それは経済団体が政治的圧力を所有していることのみに限らない)ことからすれば、こういった実市場内での実験的な活動は、度を越せば何らかの見えざる手によって圧力が加えられかねない話で、年寄りから見れば、命知らずの若者やなぁ、とも思ったりする。
 まぁ、前者のことばどおり受け止めて非難する者が当人の真実を言い当てているのであれば、真性のき○○いであろうし、現状の市場経済が維持されるならば、近いうちに市場から消えているのがそれ相応にコントロールされた市場経済としての自浄能力であろうとは思う。


 で、氏のTweetを拾い読みしていると、ところどころ苦笑いをせずにはいられない箇所があったりする。
 というのも、目標と現実の分離ということを掲げながらもその「目標と現実」が自身の過去での経験なのか、現在の自身の会社のことなのか、自社とは別のとある1組織のことなのか、カテゴライズされた分野、属性、形態、規模などでまとめた組織群(企業群)、業界、業態をさすのか、労働市場の各階層、もしくは全体を指すのか、市場、社会全体を指すのか結構ばらばらにTweetを投げている関係上、他者をけむに巻いているところがあろうかとは思う。
 ディベートなどでは議論のすり替えにあたるのであろうが、議論の形態(厳密に議論ではないとするものがいるとすれば、ネットワーク型のコミュニケーションの一領域)が違いということ、そもそも当人にとって他者が「ブラック」を自律的に認知する/し続けることを目指しているっぽいところがある気もするところからして、多種多様な者たちがどこかここかで琴線に触れて意識が励起すればよいという意味では結構成功している気もしなくはない。
 ただ、人によっては「そんなに声を荒げないで下さい!!泣いてる子もいるんですよ!!」という状態である場合もあるわけで、諸刃の剣なわけでもあるのだが。
 あと、『残業代はビタ一文支払わん!』ってTweetしているのだが、セブンコードの給与体系でみなし残業代が含まれていることからして、どこのどんな条件の話をしているのか分からなかったりするあたりが面白いところで、それもTwitterであるがゆえの面白さかもしれない。
 実のところ、ちゃんと体系だって書けば書くほど振り切れ感が薄まっていくはずなので。