気合い、か?

 「新幹線「脱線防止ガード」外れ 振動でボルトに緩みか (4/1 静岡新聞)」ということなのだが、記事によると4/15までに約70万本を増締めするっぽい。
 その規模にめまいを覚えるが、ユーザーとしては直下型大型地震対策の設備がそれに無関係な脱線を引き起こす可能性を払拭するためにも必要なことであるとはいえる。
 が。
 何となく、この気合いで何とかするっぽい感覚はどうなんだろう、とか思ってみたり。
 というか、事の発端である当の地震後に設置が決まった脱線防止ガードの形状を見て、これ、どうやって今後メンテすんの?と思ってしまったのを思い出したわけで。
 事実、形状が結構面倒臭いこともあって、設置当時は完全な人力で検査していたと思う。(確かニュースか何かの特集で見た記憶が)
 これもこれで、気合いで何とかしているっぽい感じだったわけだが、さすがに気合いで何とかするのはさすがにダメだろう、ということで、今度は多角的にレーザー計測するというこれまた気合いでどうにかしたっぽいシステムが開発されて自動検査できるように去年あたりにはなってたような気がする。(これも同じくニュースソースだったかと)
 昨今、気合いでどうにかする解決手法は間違っていると言われるが、この件に関して気合いっぽい手法以外により効率的、効果的手法が私には思いつかない。
 個人的にも、気合いでどうにかする手法を揶揄することを結構書いたりしているが、本質的にはそこに利益や損失が良心の範囲を越えて特定の事物、人物等に押し込められるような状態を伴うかどうか、という条件で切り分ける必要があるかもしれない。
 そんな気がした。