これもリスク、か

 「コウノトリ 誤射で死ぬ 島根、4月にひな誕生」とのこと。
 非常に悲しい話ではあるが、同じ悲劇を繰り返さないためにどうするか、という問題も非常に重要であろうと思う。
 というのも、放置してリスクが低減されなければ、野生の個体数が増えれば増えるほど誤射の数も単純な確率から増えていき、人の心からそれが日常茶飯事として扱われることに無頓着になるのが最も危惧するところではないかと思うからだ。
 とりあえず、現状の問題点として考えられるのは、『巣から約3キロ離れた水田にいたコウノトリをサギと間違って撃った』という点かと思われる。
 およそ、図鑑的な知識としていえば、コウノトリは縄張りをもつ鳥であり、巣の周囲数キロ程度は少なくとも餌場として確保するといわれる。
 また、子育ての期間というつがい双方が大変な時期はその範囲が狭くなり巣から半径2、3キロほどになるといわれている。
 また、サギと間違えた(種名はわからない)とされるが、食性で競合するのがサギ類である、なんて程度のことは、多分最近の子供たちの方がトピック的な意味も含めてよく知っていそうな気はする。
 で、本事案で情報が少ないため勝手に補完した上で、問題があると思われる点の1つとして、よりにもよって行動範囲のぎりぎりなところでなぜサギを狙っていたのか?というリスク管理な部分だろうと思う。
 およそ、適切に情報を開示しなければ、悪意をもってコウノトリをヒャッハーしに来た悪の集団だと捉えられかねないわけで、コウノトリの餌を確保するために競合するサギを駆除する依頼に基づいていたということならそれで、別の案件で駆除依頼がありそれに基づいていたというなら適切なリスクマネジメントを行っていたのかも含め適切に説明しないと、誤解が広がりそうな気はする。
 個人的には、その説明責任を果たすと、駆除区域として設定した責任が問題になりかねないので、もしそうなら情報は出ないかも知れないが、今後、個体数が増えてきた場合も考慮すれば、どこかでそれを課題として位置付けなければ、同じことが繰り返されかねない気はする。
 一応、子育てしている時期は縄張りが狭いとはいっても縄張りにおける競合が少なければ、どちらかといえば実際はもう少し広めなのかもしれないし、そういった部分を適切に評価し、水平展開するよう知見を共有する責務を当該地域においては負っているとは思うが、多分、そんなことはしなさそうな気もするが。
 一応、乱暴な言い方をすると、保護することを共生ということばで理由付けしているようなものなので、こういったことが起こるとその理由の脆弱さが露見するという皮肉な事態にもなる(要は変なところに飛び火する)ので、本質的には易々と扱っていい話でもなかったりするが、対岸の火と捉えるかどうか、というところだろうか。
 あと、猟銃での駆除を行う者の能力、資質に対する疑心暗鬼、というのもあろうかと思う。
 とある知人は、コウノトリをサギと見間違えて撃ち殺すのなら、ペリカンでもタンチョウヅルでもフラミンゴでも撃ち殺しそう、と言っていて、それはそれで極端な話ではあるが、そう思われてもしょうがない、という面もあろうかと思う。(近縁種という意味ではトキとか殺しそうだよね、とか言われてそう。)
 そういった点についても、非狩猟鳥獣をひとからげに扱うことは法的にはそうであっても社会的な捉え方は異なることを考慮した上で、適切に説明責任を果たす必要はあろうかと思う。
 猟銃による誤射により人が亡くなったり怪我をすることも一定数事故として発生し続けることは、行為そのものに内在するリスクが存在する以上、論理的にしょうがないことではあるが、しょうがないから起こっていいのではなく、起こらないような手立てを行っているし、またその認知が十分に励起された状態であることが前提であるといえる。
 それが第三者に見えなければ、水田の脇の道路を歩いていたらトリガーハッピーにヘッドショットされることを危惧される対象、集団として見られかねないことを認知する必要はあるかもしれない。
 いずれにしても、アレルギー様の反応に過ぎないのでしばらく黙っていようではすまない立場にあることを認知すべきではなかろうかとは思うが、これまたそんな風にはしなさそうな気もする。



 どうでもいいが、人を撃ったんじゃないからただの器物損壊程度じゃねえか、と書き込んでいる人もいたが、一応事実関係が明確になっちゃったということもあるが、鳥獣法で罰刑が規定されるため、同じレベルとは言いがたい。
 が、言い渡されるであろう法益のボリュームを単純比較すればよく似た程度という結果にはなるのかもしれない。(さすがに非狩猟鳥獣の捕獲関連の具体的な話は教えてもらったことがないので知らない。)
 それにしても、こういう意識が醸成されると、いつも誤射してるけど、まぁいいじゃん、的な考えが通常なんじゃないのか?というこれまた疑心暗鬼が生まれかねないわけで、いかにしっかりと律していくかが必要で、そしてその設備の大きな力と同様に自らと他者に大きな力をもたらす(多分、前者は行為に伴う責任で後者は他者への影響度から例えば誤射のような大きな問題が簡単に引き起こされる事実を言いたかったのだと思う)ことを認知することが当事者には大切、というのを私がガキのころ(数十年前)に狩猟をしていた田舎のおじいさんから教えられたのを思い出すきっかけになったと思う。