ひねったところで

 増田ネタ。
 「「風呂場で偶然ばったり会う」←あり得るのか?」ということで。
 コメにもあるとおり、いるわけないという変な思い込みとルーチン的行動による不注意な心理状態が重なって接近遭遇を果たしてしまうというのはあったりなかったりだろうと思う。
 『電気が付いていれば誰か居ることくらい分かるだろ』ってのは、自身の経験上苦笑するしかないのだが、寮にいた頃、残業で遅くなって大浴場で一人風呂に入り、湯船につかって「ごくらくごくらく〜」とかふぬけていると、突然電気を全部消されて真っ暗になり、手探りで半泣き状態になりながら照明スイッチまでたどりついた(とはいえ、非常灯とか非常出口案内とか光源がありそうなのだが、あれはたとえ昔の話でも当時の消防法にさえ違反してたのかもしれない。ボロかったしなぁ)なんてことがあったが、『捻ったシチュエーション』でもロクな意味がないってのもあって、起こり得なくてもお約束なのは様式美としてそれでいいんじゃないのだろうかという気はする。
 というか、そういうのが現実世界で頻々に発生するなら住宅設備メーカーもそれ用の対策機能が標準装備されてそうな気もするが、それだと野暮ってもんじゃないかと。

 あと、コメにあるあの黒いヤツと遭遇するのは、、、今でもあるのか・・・。
 今の借家は排水しないときに排水口を物理的に塞いだら全く来なくなったが、ガキのころの風呂場は隙間が多すぎて結構いたように思う。
 とはいえ、浴室は迎撃する道具も多いので気持ち的に若干楽ではあったが。
 それよりも、当時風呂の火力は薪だったので、一時全く知らない人も多かったが最近になって少しクローズアップされてきたカマドウマがいたりした。
 個人的には、嫌さをヤツとカマドウマと比較した時ゼロ割を起こす程度なので何てことはないのだが、さすがにいっしょに風呂に入る趣味はないので、外に逃がすのに苦労した記憶はある。
 風呂のたき口に一番多かったのはうちではコオロギだったが、コオロギの鳴き声を聞きながら風呂をたくなんてのが理解されないほどここ何十年かで生活様式は変化した、ということになろうかと思う。(のんのんあたりであったかも知れないが)
 逆に、将来、例えば大阪万博の人間洗濯機のような形態に風呂自体が変化するまでは、様式美として生暖かく見守ってもいいかなぁ、とか思ってたりする。