食中毒

 直近のO157による食中毒の事案が結構重篤であったこともあり一部で騒がれているようだが、いつもどおりというか何というか情報が有象無象な感じが否めない。
 感覚的にわかるところだとは思うが、食中毒関連の知見というのは人体優先で研究されているわけで、結果的に人命保護という意味で医学の分野が中心であると思われる。
 病原の生態、ひいては生態系全体に関わる観点から研究もされてはいるが、こういった食中毒が発生した場合に原因を特定することが難しいケースがまだまだ多いという点では、研究途上ということにもなろうかと思う。
 で、某専門家らしき者が、今回の件では製造会社のサンプルから検出されないからといってそういった少量のサンプルだけでは判断できないとか、時間が経っているので検出されなくて当たり前とか平気で言っていて、ええんかそれで、という気がした。
 それ自体が嘘だとかどうだとかいう話ではなく、とある条件においては真となるというだけであって、時間を巻き戻せないのと同様に厳格にあらゆる条件をトレースすることが不可能な以上、ばらつきなどといったレベルであらゆる疑念を払拭することは不可能であるというだけであって、もはやそこに最終的な目的に対する適切さは存在しない。
 食中毒というのも、消費者にとっては食って症状が出るという意味で同じではあるものの、分類すれば極端な話全く別物として扱わなければ調査ができないなんてのもある。
 当然ながらO157なんてのは傾向として体内に取り込んでから発症までの期間(潜伏期間)が長いことと自然界に存在する状態で一般的に生存にあまり適さないような環境でも結構長期間生き長らえるとはいえ一般的な食品製造現場での継続的な衛生管理状態から、混入に関する疑わしきプロセスや状況を多数設定できてしまうことわりに経時的な問題で現場が定常的に汚染され続けている状態でない限り普段の洗浄等によってその当時の状況を再現していないために調査が難しくなるといわれている際たる例だと思われる。(およそO157に限らず責任の所在と感染経路が完全に特定できる事例が人災以外で分かることが少ないのが実情だったりするのもそういった部分があるようには思う)
 そういった意味では、言ってることも分からないでもないのだが、専門家でありながらその一部分だけを特別にあげつらうのであれば、基準を満たすのに適切なサンプルの取り方や数量をあらためて規定しろよ、だからダメだったでしょじゃなくてその提言を専門家としてしていなかったのは片棒担いでるぞって思うし、その経時的な部分については消費者からすればかなりセンシティブな問題となるわけで、どうせ分からないからいいやってのが供給者側の意識としてモラルハザードに寄与すると感じさせてしまうのであれば、双方の信頼関係を無駄に破壊しているに過ぎないことにもなろうかと思う。

 で。
 いずれにしろ、その真実など個人では分かりようもないので、以降、いきなり下世話な話になるが、惣菜に関する個人的な考え方の方向性でも。
 根本的に、実質的なフロントエンドである店舗と自身との信頼関係(正確には店長と貴人的に仲良くなるとかいった対人関係や上流側である取引関係などがなければ自身の気持ちの部分だけなのだが)をどのレベルに設定して最終的に身をゆだねるかということではあるのだが、導入などに際して、ということで。
 まず、個人的な特殊性としてその生い立ちからバットや大皿に盛られて陳列されたセルフの計量販売に精神的抵抗が極端に強いことが挙げられるため、そういった点で行動計画の条件はかなりきつく縛られているように感じる。
 感覚的にいえば、商品、食品へのアクセスがセルフである条件において、今回の件のポテトサラダのような販売手法→チェーン系セルフうどん店やセルフ単品取得型の定食屋→回転ずしといった方向で食品そのものの分離度合いに基づきその抵抗が緩くなっていたりする。
 詳しくは書かないが、ガキのころはそれなりに底辺だった関係上、食中毒なんだかどうなんだか分からない症状を多く経験し、その経験から感覚的に自身の中で危険度の順位付けがなされているような気がする。
 とはいえ、これが現状の食中毒のリスク回避や低減に科学的、論理的に寄与するものであるとはいえない。
 どちらかといえば、個人的な自衛というリスク管理の一種として、当時の作り置きの食品がどの程度温度管理されているか皆目見当もつかないような状態で一箇所にまとめられている状況を腐ったみかん現象(教育関連の意味ではない)と同様に認知しても多めにリスクを見積もったことになるだけだったのだろうと思えるし、また事故発生時に、作為の有無に関わらず、混入を特定する際に関係した可能性がある者を特定することが非常に困難で、さらにプロセスの多さから事物も増えることに関してリスク回避側に強めに設定していることもあったろうかと思う。
 結果的に、現実問題として、セルフ系の食べ放題とかだとリスクと値段見合いでダイブしているという心持ちだし、最近はまず見ないかもだが、回転ずしでも狭い店舗でレーン上の皿が重なり合っていたりすると心が重くなるし、ミスドでもセルフ店を事前に調べて避けようとしたりと結構面倒臭い性格なだけという気がする。(でも大抵思うだけで、何もいわずに結局おいしく食ってしまうんだけど)
 実際の数値的根拠があるわけでもなんでもないのだが、昨今調理側の衛生状態と購入者側のそれと商品が配置されている場所のそれは、いずれかが極端に悪いというような時代ではなくなった関係上、惣菜がむき出しでセルフ販売することが確率的なリスクの極端な差につながっていないんじゃないのかとか思ったりもするが、三つ子の魂なんとやらで変わりそうにない。
 ただ、便利なことばで使い方によっては問題視されるべきものではあるが、「民度」として箱入りの菓子を買おうとしたら封が開いていて一部食べられているとか、ハムに歯形らしきものがついているとか、セルフ惣菜を落としたのをトングで拾ってもとに戻すようなユーザがそれなりの数を占めるような客層である場合、セルフであることによる不可能ではないリスクをありうべきリスクとして適切に向き合う必要はあるのかもしれない。
 さらにいえば、それは他者が、という話ではなく自身も同じ場に存在する登場人物である以上同列に扱われることも合わせて認知すべきところではなかろうかと思う。

 ということで、以降、個人的な例ではなくて一般的だといわれる話。(といいつつあまり一般的な切り口ではないが)
 陳列に関していうと、最近では、什器の質が極端に悪かったり、目に見えて衛生状態が悪い(逆にいうとO157とかヒスタミン中毒なんかは目に見えない部類になる)とか臭いで分かるということが減ったため、体感的に分からない方が注意不足過ぎるなどという状況は減ったように思う。
 とはいえ、いくら設備や周辺の環境などといった適切な管理を「可能とする」条件がそろっていたとしても適切に管理されていないと正常な状態は保てないし、また昨今の防腐剤や安定剤の忌避などが先鋭化している関係上、昔よりは同様な食品であっても格段に厳しい管理項目が存在しているものも多いと考えていいように思う。
 ある意味、添加剤といったものと添加した食品全体の安全性といったものはどっちがどっちといえないところも多いので、個人的には難しいところだと思うが、少なくとも無添加であることが今までどおりの管理で常に同じリスクに収まっていると考えるのは無理があるようには思う。
 そういった中で、陳列について見えない、匂わないという以外にある程度体感可能な指標としては温度が挙げられると思う。
 たとえば陳列ケースなんかでも1日に複数回温度測定をするといった管理をしている店舗も多いとは思うが、セルフ惣菜に限らず、保冷什器(魚の切り身とか乳製品の陳列棚でも同様)に陳列されている商品をとろうと手をのばしたときに体感温度が日によってかなり違うとか、客に温度が見える(見せる)ようになっていない店舗では避ける方がいいのかもしれないし、先述のとおり見た目に衛生状態の悪さが認知できる場合(什器にカビが生えているとか)は問題外だが、結露が散見されるとか、今回のO157ではあまり関係しないが食品周辺に風の流れがある場合(元々循環が必要とされているような温風循環式のショーケースなどを除く)とかはそれなりのリスクがあると見ていいかもしれない。(ここなあたりは店舗設計やレイアウトの構造的な問題でもあったりはするが)
 こういったことは、多くの10℃以下が求められる食品の陳列に際して、それなりの時間10℃を越えた状態で放置されていると、個人的に自らが常日頃家庭内などで保管している状況と比して明らかに手に取ったときに異質だと感じるのと同じ認知レベルなのでは、と思っていたのだが、いろいろ話を聞くとそうでもなさそうだったので、あえて書いてみることにした。
 で、食品のトレース(類似条件下での推測を含む)に関して消費者が実際に確認できるのは多分ここまでだろうと思われるが、温度管理にしろ混入にしろその上流は遠くはてしない。
 はてしないからまあいいや、アウトオブコントロールやで、で済むのならそれはそれでいいのだとは思うのだが、そうではないとして、リスクにおけるそれなりの順位付けなり重み付けをするとすれば、間接的な想定といった領域から設定することも可能だとは思う。
 これも先述の「そうでもなさそう」な話の1つとして10℃以下の保存というのは、10℃以下だとおいしいという意味ではなく10℃を越える状態が続くと食品自体の変質やかび、菌などが健康被害に関して看過できないレベルに増殖するおそれがあるからダメということがほとんどであるということへの認知だろうかと思う。(ペットボトル飲料とかと同質な扱いと思っている風ではあった)
 そういう意味で、購入した時点での温度が基準値であれば問題が解決されているというわけではなく、売り場で陳列された状態がそれっぽく管理されているように見えても上流からそこに至るまでもそうでなければ多くは意味がないということでもある。
 そこで、以下のとおり上流側を3つに場合分けして考えてみることにする。
 とりあえず、
  (1)店舗内製造
  (2)外部のセントラルキッチンで製造し陳列するだけ
  (3)外部のパッケージ商品を陳列するだけ
と分けるわけだが、その判別方法は、商品に張られたタグとかで判断するぐらいしかない。
 まず、(1)。
 この場合のタグは、製造者に店舗名(チェーン名ではない)が書かれていることが多い。
 セルフの計量販売の場合は、その多くは食品の移動の大変さやコストメリットから(1)が多い。(まれに(2)もなくはない)
 また、今回の事案では(1)ではあっても一部材料が外部のセントラルキッチンで加工されたものを用いるという省力化が図られた構造となっているが、これは今回報道されたために認知できることであって、そうでない場合には知ることは無理である。
 次、(2)。
 (2)も製造者が店舗名になっていることも多いが、店舗の敷地から考えられる店内のキッチンの面積や商品の均一性や香りのある食品の場合店外での臭いなどから推定してどこまでを自作しているかはある程度までは想像できる(分からんかなぁ・・・うーん)ことも多い。
 セントラルキッチンのメリットは大量に扱うことのコストメリットが重視されがちではあるが、継続的に量をさばくだけに均質な安全衛生に関する管理がやりやすいことも挙げられる。(一部では販売者のリスク移転になるという者もいるが、あらゆる面で移転できているわけではないので必ずしも一対一で対応するものではないと思う)
 また、店舗ごとで製造することはある意味、極端な多品種少量生産をばらばらのサイトでセル生産するようなもので、プロセス自体が煩雑化するだけでなくその管理も同様なわけで、高度なマネジメントと作業者の能力が求められることになる。
 ここで、消費者にとっては作業者の能力なんてのは分かりっこないので、マネジメントという領域から推測するとして、店舗などの衛生管理がどうかをチェックするよくある話として、店舗のバックヤードを裏からのぞいてみて整頓されていないとか、破損した商品がうっちゃられているとか、最近はあまり見ないが、商品パレットと排出生ゴミがほぼ接触したような状態で混在化しているとかだと、その内部(マネジメントという意味で)もあまり良好であるとはいえないように思う。
 古過ぎる話ではあるが、昔の下水完備率が低かったころは、店舗から汚水が出る用水路の状態なんてのでも分かったそうである。
 今はいくらなんでも売り場自体が非衛生的だった場合には即刻保健所に通報されかねない関係上、商売を継続するためにそれっぽく取り繕っているのかどうか、というのを見分けることの一助になるかとは思うし、リスクに重み付けする際にどう扱うかを検討する指標の1つにはなろうかと思う。
 あと、最近のチェーン系スーパーでは惣菜部門などを子会社として独立させていることも多い関係上、スーパーのチェーン名ではない表記が見えることがある。
 このパターンは、各店舗の製造現場とセントラルキッチンを分担する工場、それらを繋ぐ専用のロジとがセットとなって構成されていることも多い。
 こういったところは、その会社名でググってみるとスーパー本体との関連性だとかCSRの関係から具体的な事業内容や製造工程などの情報を抽出することも可能である。
 逆に、こういった別の会社名が複数ある場合は(3)の可能性が高いか単に外部の独立企業とサプライチェーンを構築しているかとか考えられるが、近隣の同じチェーン店で同様の商品でその会社名が違っているような場合は、考えられるパターンが多すぎて推測する意味がなくなってくる。
 ただし、一般的に販売店側のそのロジの関与の仕方から独立系の外部業者から調達した場合に比べて自社用の子会社によるものの方が包装が簡易であることが多いため、確実ではないが、見分ける一助となるかもしれない。
 個人的には、全く知らない土地で水分が多めな混ぜ物系の惣菜を買うとするならば、同系列のチェーン店を回って見た目での品質にぶれがないか、日によってそのぶれがないかをある程度確認してからでしか実行に移さないように思う。(まずは乾燥度合いの高い練っていない揚げ物あたりから買うついでに確認することから入る)
 これに欠点がつくとすれば、単に食品のばらつきが出やすかったり食品の管理がより厳密にならざるを得ない食品に対して適切なサプライチェーンが構築できていないという証左であろうと思うし、またそこには食中毒などの問題が起こるリスクを招きやすい構造であるともいえると思うからである。
 とはいうものの、いちいちそこまでするかどうかは個人の効率見合いなのだとは思うが。
 最後、(3)。
 (2)でも書いたようにロジの関係上、外部、特に独立系であれば包装が厳重で、多くの場合、販売にのみ用いる価格などのタグとは別の原材料用のタグが当該チェーンのタグとは違っていたり、単純に独立系の製造業者名がでかでかと印字されていたりするので分かりやすいと思われる。
 今回のような食中毒の問題などにおいて混入などの危険性を下げるために製造業者が様々な施策を製造時以外においても考慮し実施しているため、その部分の効率化が図れる(1)(2)に比べて割高な可能性は高い(販売店側の利潤も小さめ)が、消費者にとっては想定し得るリスクの広がりを抑えることができるメリットのある選択肢であろうかと思う。
 あと、ぶっちゃければ製品の出荷以降、製造業者の管理下から外れざるを得ない関係上、安全性に関して大きめに見積もっていることもあり、消費者の見えない領域で結構無茶に扱われていても最終消費者が喫食する時点でリスクが相対的に低めになると言えるかもしれない。(理由は様々だが、朝買った昼用の弁当を炎天下で放置して昼食の時間が取れず、夕方になって時間ができてそこでやっとのことで食っても全く問題がないなんてのはあるべき品質保持の概念からすれば全くダメだし容認されていないとは思うが、ある程度は想定はされているのだと思う)
 あと、非常に大手のチェーンでは製造業者を伏せる関係上、こういった判断が不能だったりするので個人的には購入を避けてしまうのだが、これまた個人的な判断ではある。
 と、とりあえず、食材の足の早さなどとは違う部分でのことを書いてみた。
 それ以外は、別途他を参照ということで。



 あ。
 だからといって、惣菜の容器の下側に張られているシールとかを、店頭で商品を裏返してまじまじと見ていたりするとパッケージ内の商品が偏ったりするのでやめた方が無難であろうと思われる。(食品アレルギーなど医学的に情報を必要とする場合を除く)
 そこはそれ、自らが今後継続的に買うことを想定した上で相互信頼の醸成に資する確認であることからすれば、先方が認知するかどうかは別として気持ち的に買って確認することが双方のあるべき姿だと思ったりするので。