コンフリクト

 国内では話題にさえなっていない(時事的に無理だともいう)ドイツのスーパーマーケット運営会社の行動について。
 多様性(英文では「diversity」になっている)を否定する勢力への示威行為として外国産品を棚から撤去したというもの。
 英語ができないので正しく読めているかどうか不明だが、この件についてTwitterで「この棚は多様性を欠くことでクッソつまらんようになってるよな!?」という形で受け取られているっぽい。
 で、つまらんというかくだんねーとかいう表現が「this shelf is quite boring without diversity」という表現になっていることからすると、英語であるゆえんからか、それを感じるのは主に「発言者である私が」であって「あなたが」でもなければ、「その棚」を客観性でもって表現したわけでもないと言っていいのかもしれない、とか思ってしまう。
 会社のオフィシャルが言っているわけでもないみたいなので、どのように捉えてもいいといえばいいのだろうが、もし、供給者がそうであるならそれはそれで問題があるように感じてしまう。
 というのも、多様性が供給者と消費者のそれとの全てを包含することを示すのであれば、その多様性は無限遠まで拡張し得るものであると思われ、算数の話として無限大からいくら引いても無限大であることからすると、商品を棚から引くことによって状況が変化し、消費者にとっての認知に変化がもたらされるということは、棚に商品がある状態でも消費者に対して無限大の多様性を供給していないことになるからだ。
 何となくこう書くと詭弁っぽいが、この件に落とし込んだ場合、供給者側が自国産の商品を買いたいと思う顧客にいかに寄り添っていないか、きつい言い方をすれば消費者の多様性を受け入れていないか、ということにもなりかねない。
 当然ながら、先述の無限というのは供給者のその経済的な立ち位置からすれば制約があると考えるべきだろうし、また、現実には、消費者側も一介のプレーヤーに無限を求めたりはしないとは思う。
 最近、ちょくちょく書いていたりする台場にからめておけば何らかの自らが為したいとする行動が許されるっぽい悪用が目に付くなぁ、とか思ったりするが、これも構造的には自らの考える多様性を示威することが他の多様性を毀損したとしてもOKといった方向性があるとするなら「似ている」としてもいい気がする。
 まぁ、それ以前の問題として、食料自給率が日本だけ格段に低い、日本の店にあるのは外国産だらけとかいって煽ることが通常モードであるなかで、海外(あ、ドイツ企業だけど実行したのはUKでやったらしい)のスーパーがオイルショック時のような棚になるのを報道できないというのもあるだろうし、国内での食品スーパーの行為に関する認知のされ方が多分大きく違うことも想定できることからすれば、国内でトピック的に扱うこと自体に無理があると考えられた結果なのかもしれない。
 で、そんなことを暗に求めることも相手の多様性を阻害しているという堂々巡りだったりする。