綱3

 先日ツナ缶の話を書いてみたが、思ったほど炎上するわけでもなく多分収束してしまうのではなかろうかと思える。
 炎上するかしないかなど流行モノがなぜ流行ったかどうかが後付けでしか説明できないのとよく似たものである。
 ただ、大塚家具や出光興産のような企業が同族経営(もしくは大株主)であるがゆえの案件として掘り下げるのに格好なゴシップであるのと同様に、同族経営上場企業であることへの噛み付きといった切り口の記事は散見される。
 なんというか、近年の何か問題を起こせば悪しき風習の同族経営が悪いとあたかも鬼の首でも取ったかのような言説を見るに、原義とは別の西洋かぶれ(同族経営ではない企業運営こそが欧米の先進的な手法と表現者がいいたげな割には欧米にも同族経営である企業も数多くあるという事実を無視した仮想の西洋を夢想したかぶれ方)といった者が多いのも事実である。
 さらには、同族経営にありがちな問題点というものは歴史的な知見の積み重ねが大きいためネタにしやすく、加えて現実問題として適当にカマをかけておいても滅茶苦茶にはずれだったという形にも確率的にならなかったりするのが易きに流れる上では黄金パターンだと言えなくもない。
 ということを自らに言い聞かせながら書いてみる。
 てか、ネタにしてる時点で易きに流れた結果なわけだが。

 さて、今回記事にしてみたいと思ったのは、ゴキ混入の事案発覚の後、ハエ混入の事案が掘り起こされた(せっかくなので、その後のクモ混入いれてみた。)ことで、前回意図して触れなかった同族経営である部分に勝手に焦点をあてて勝手に妄想を膨らませるという手法で複数の事案を紐解くという非常に生産的でない内容である。
 しかしながら、上場企業であるため有価証券報告書が公開されていたり、株主であって株主総会に参加する者においてはさらに具体的な情報なり雰囲気なりを得ることが可能な社会的公器であるともいえる。
 こういったことは、第三者から見ればオフィシャル設定資料集みたいなもので、オフィシャルなエビデンスを用いた生産的ではない行為という無駄な代物であるがゆえに誰もやらないだろうという読みも働いている。
 で、時系列として現社長の役職の変遷と異物混入関連の事案とを混ぜて書いてみると

2013/7 取締役副社長、社長補佐兼業務改革担当
               2013/10 ヒスタミン(溝口康博社長時)
2014/4 事業本部長兼業務改革担当
               2014/4  ハエ(※)
2015/4 代表取締役社長、事業本部長
               2015/11 クモ(現社長時)
               2016/10 ゴキ(現社長時)

となる。
 恣意的な配列ではあるが、法令に基づくものではない自主回収においてその最終判断は一般的に社長にあると見ることができるものの、企業においては何らかの権能の偏在に伴いぶれが生じる可能性もなくはない。
 そういった部分が(※)部分に形式的には溝口社長と書くべきところなのかどうなのかを保留してしまいたくなる、そう妄想するところだといえる。
 はたしてヒスタミン問題での自主回収というものが業績にどの程度影響し、または影響があることを想定した上でそれを挽回する方策を死に物狂いで行った結果なのか分からないが、数字上はさほど露骨なまでの影響を受けているようには感じられない。
 ヒスタミン問題が起きた会計年度においても有価証券報告書には『自主回収の影響はありましたが、年度末にかけて消費税増税前の駆け込み需要があり』といった程度の触れ方に留まっており、また、株価も2013/10ごろに極端に下げているわけでもない。
 実際のところ、今回の異物混入問題が明るみになって以降、日経平均の推移からすれば、目立って株価を下げているわけでもなく、作為的(投機的)な何かがあるのかどうか分からないが逆に上昇しており、自主回収しないことがかえって好感されているレベルなのではないかとさえ感じる。
 ちなみに、ここで株価を持ってきたのは『当社グループは、「新たな価値や楽しみ、製品やサービスの信頼性」を提供し、消費者をはじめとするステークホルダーに選ばれ続けるために』という文言がH27年度分の有価証券報告書から削除されているからで、あらゆる企業にあてはまる当たり前の内容であるため有価証券報告書から削除したのか、ステークホルダに対する認識を改めたことを暗喩するのか興味は尽きない。
 いずれにせよ、(※)部分において主体的に最終判断した者をはじめ、社内としていかような感情、感覚的な部分も含めて変化していたのかを知る資料として公開されているのが、有価証券報告書コーポレートガバナンスの項であるといえる。
 というわけで、多分、くだらなさ過ぎて書く人もいないと思われる各年度単位での内部統制システムから手前勝手に妄想による変遷を書いてみることにする。

H24→H25(2012/4→2014/3)
 副社長職が新設され、池田氏が副社長、社長補佐兼業務改革担当になる。
 前職は家庭用営業部長。
 入社前は三菱商事
 内部統制システム図の大きな変化は生産本部と販売本部が一本化されたことである。
 一般的に製販の分離と一体化というのは、双方メリットデメリットが存在し、一概にどちらがその企業にとって有益かは、時と場合によって変化するといわれる。
 また、いかに有能な経営者であっても自らが浸かっていた畑により自らが属していた方に有利な結果になる思考、選択を行ってしまうことが経営の失敗事例では多く見られる。
 失敗事例として露見しなくてもそういった判断のぶれ(ある意味ヒヤリハットの世界)を想定した場合、氏が営業畑の人間で販売側に利益となり製造側にしわ寄せがいくような組織構造となる選択を意識・無意識は分からないが「業務改革担当」の権限として判断してしまったと想像することも可能である。
 およそ、世にない製品を生み出し新たな市場を作り出す(シーチキンがそれに該当する)といった「作って売る」というところから商品がコモディティ化して「とにかく売る、何とかして売る」という状態に移行する(とりあえず、マーケットインとかプロダクトアウトとかは別の問題としてここでは考えない)際に、製販の社内での立場やパワーバランスが逆転するものだが、こういった時期に切替えを行うことにより売上や利益が格段に伸びたとしてもその現象は企業が健全に成長しているのか毒饅頭を食いすぎて焼け太りしているのかは思った以上に内外いずれからも分かりにくいものである。(当然逆もある。)
 ただ、先述のとおり製販の分離と一体化といった観点でのメリットデメリットも存在するなど複合的に寄与する要因を総合して判断しなければならないため、基本的にはすべてのデメリットを減じることよりも全体最適をとる形となり、このようなミクロ的な判断を全体的な問題に展開することはできない。
 要は、想像することが可能な問題における原因の一つとして考えることが可能かもしれない、というぐらいな話である。
 あと、内部統制システム図はH15年度まで遡ってみたが会計監査人によるプロセスが追加された程度で大きな変化はなかった。

H25→H26(2013/4→2015/3)
 池田氏が事業本部長兼業務改革担当になる。
 形としては組織を変更し自らがそこにはめ込んだという体といえなくはない。
 内部統制システム図は変化がない。
 解説文における変化だが、まさにことばじりといえばそうなのだが、注目したいのは『取締役に業務執行権限を委嘱する。』から『取締役に業務執行権限を委嘱することができる。』に変更された。
 実際、職務権限規定などの作法からいって『する』のではなく『することができる』のであって、本質的に既得権が自然に存在するのではないということを意味する表現として取り扱われる部分であるが、逆にこういったシステムを悪用し、権限を剥奪し、それを一者集中させる手法は非常に古典的な手法である。
 ただし、いかような現実と意志が働いた結果かは当然ながら不明である。

H26→H27(2014/4→2016/3)
 池田氏が社長兼事業本部長になる。
 内部統制システム図は変化がない。
 解説文における大きな違いは本部間の調整。
 『社長・本部長・経営企画室担当取締役による本部長会議』が『社長・本部長・経営企画室長等による本部長会議』に変更された。
 H27で経営企画室長を担務する役員はいなくなったことから、会議メンバーのパワーバランスは社長・本部長のみに集約されたと見ることも可能である。
 氏は社長兼事業本部長であるため、役職ではなく個人として考えれば残された役職はサービス本部という管理部隊だけである。
 悪意ある見方をすれば、単なる二者打ち合わせが明確な目的をもった機能を会社システムで有効たらしめることはある程度の規模である企業では統制という意味で難しく、「等」という第三者を匂わせることで緩和を図ったと考えられなくもない。

 と、こういう書き方をすると、同族経営における上場企業の後継者のキャリアパスと社内的な権力という意味での統制強化における一連のプロセスであると書き立てる記事も出てきても不思議ではないかもしれない。
 しかしながら、一方で権限が掌握できず社内で多重構造(いわゆる院政や露骨な派閥、聖域など)が続いては企業そのものが空中分解する恐れもあることを考えると、あながちそういった行為が悪いと決め付けられるものではなく、またそれゆえそこかしこに転がっている珍しくもない事例だと思われる。
 ただ、厳然たる事実として横たわっているのは、その行為が同じ時期に直接的な関係の有無にかかわらず問題が発生すれば悪い行為と判断され大過なく乗り切れば良い行為とされるだけである。
 非常に乱暴な考え方ではあるが、いわゆるカリスマ経営者と呼ばれる常勝の経営者において経営の効率化を考えた場合、権限を集中させた方が効率的でスピードも速いだろう。
 しかしながら、当然それがカリスマ経営者であるがゆえに可能なことであって、そうでなければ失敗や判断ミスや手戻りなどにまみれることになる。
 こういったことから昨今のカリスマ経営者以降の共同統治体制云々などという話が出るのと同じで、経営陣の陣容によってその統治体制を最適な方法に改める必要があるのもまた確かである。
 先の内容を言い換えれば、問題が発生すれば統治体制の改め方が間違っていたと判断され、大過なく乗り切れば統治体制の改め方が適切であったと判断されるということになる。
 で。
 こう考えたときに、今回の異物混入問題というのはその事後対応を含めて問題が発生した状態、言い換えれば適切に処置することができなかった状態だと判断される/企業自らが判断するものなのだろうか?というところを考えなければならないように思われる。
 要は、問題が発生している/いたとするならば様々な面で間違っていることになるが、問題が発生していない/いなかったとするならば間違ってなどおらず、適切であったといえるからだ。

 という形で、はしごをはずせたので終わる。